「イギリス。今日という今日はイエスという返事をもらうぞ」
「……いやだ」
「取り敢えず、出てきてくれよ。話をしよう」
「断る。帰れ」
「そうはいくもんか。いいかい、これで百回目だ。顔を見せてくれないのならば、五秒後に君の家を破壊する」
「は……っ?」
「いくぞ。ファイブ、フォー……」
カウントが始まって、慌てて扉を開けようと玄関まで走った時に、ドンッ! という音がしてフロントドアが吹っ飛んだ。
ご……五秒たってねえだろ。
ていうか、オレ、ドアの真後ろにいたんだけど。
何の躊躇も無く弾丸を打ちこんできた男の相変わらずの無茶苦茶さに、軽く頬をひきつらせてその場にへたり込んだ。
もうもうと立つ白い煙の中に見えるのは、アメリカ特殊部隊の制服を着た元弟。グレーのゴーグルを外しながら、アメリカはがしゃこんといかついRPGを背負い直した。
「ハロー。ダーリン。答えは?」
「……何度言われようと、答えはノーだ」
「……オーケイ、なら力づくで良い返事をもらうまでだ」
「そうはいくかよ」
言うなりオレは立ちあがり、スニーカーで床を蹴ってから、前傾の姿勢でアメリカのでかい身体の横を走り抜けた。
アメリカの手がすばやくオレのジャケットを引っ掴むが、想定内だ、とオレはそのジャケットを脱ぎ捨てて、自慢の脚力で屋敷の外に走り出る。
チッ、と軽い舌打ちが聞こえた。
同時に、腰の無線機を外す音も。
「ヘイ! 俺だ。ターゲットは予測通りロンドン市街に逃走、オペレーションナンバー○○八展開開始。市民たちは第三区域まで避難指示を出し、早急に身柄を確保すること」
『ラジャー』
「彼を捕まえる為なら、手段は問わない」
走りながら、遠くでそんな会話が聞こえた様な気がした。
ドン、ドンと後方から爆発音が響く。
公道の煉瓦が、標識が、オレが走り抜けた数秒後に派手な音を立てて、白い煙を撒き散らしながら吹き飛んで行く。
ああ、家の自慢の石畳が。古くからある大切な文化遺産が。
オレはそれを後ろ手に見ながら、全力で火の粉のあがるロンドンの街を走り回った。
(ちょ……っと、おい、おい、おいっ!)
上空のあちこちから、矢の様に弾丸が飛んでくる。
ひゅるる、と気の抜けた音を立てて爆発するものもあれば、オレの身体目がけて一直線に突っ込んでくるものも。
まるで映画のスタントマンの様にそれを一つ一つ死ぬ気で避けながら、敵の姿を確認する。制服を着た兵士が五人、六人……空にはバラバラと音を鳴らす迷彩柄のヘリコプターまで。
い、いくらオレが国だからって、当たったらどうするんだ。死んだらどうすんだ。
「オレが何したっていうんだよ、アメリカぁ!」
走りながら空に向かって叫んだら、一際大きな爆弾の様なものがばらばらと飛散しながら降ってきた。弾丸にも見えたそれは、着弾したと同時に中から網の様なものが出て来て、辺り一帯を包んでしまう。
(蜘蛛の巣みてえだ……捕獲専用の兵器かよ)
衝撃で吹っ飛ばされたオレは、そのねばつく網に触れて、改めて背筋を凍らせた。
上空から、聞きなれた大声がスピーカーを通して聞こえてきた。
「イギリス! いい加減に観念して、これにサインしてくれよ!」
「冗談じゃねえ! お前、何でもかんでも自分の思い通りになると思ってんじゃねえぞ!」
「今や世界のスタンダードはこの俺だぞ!」
アメリカがヘリの中から見せているのは、一通の制約書類だ。
ここからじゃよく見えないけど、もうこれで百回は見せられた。何度も何度も差し出されてはその度に破り捨てていたから、あれはもうセロハンテープの跡で酷い事になっている。
新しいものを用意すればいいのに。ていうか、早く諦めればいいのに。
それは、アメリカ合衆国発行の、正式な婚姻届けだった。
「ようやくニューヨークだって正式に認められる様になったんだ! 君のところでだって、パートナーシップ法があるなら早く認めるべきなんだぞ!」
「大きなお世話だ!」
どうしてそれが、オレとお前が結婚しなくちゃならないって理由になるんだ。
怒鳴ってからオレは再度走り出し、アメリカはヘリの拡声器越しに息を吐いて、下にいるオレ目がけて捕獲用の爆弾を投下した。
アメリカに、突然「結婚してほしい」と言われたのは三カ月前。
初めは何の冗談だと思って笑っていたけど、毎日毎日、仕事の時も休みの時も、顔を合わせない時も言われ続けて、一ヶ月目あたりでブチ切れた。
『人をからかうのもいい加減にしろよっ!』
『からかってなんていないだろ! 君が本気にしてくれないだけじゃないか』
『何の罰ゲームだよ? これ以上馬鹿にしたこと言ったら、本気で怒るからな』
『君こそ、俺の本気のプロポーズを毎日毎日台無しにしてくれて、人の覚悟と決意を何だと思ってるんだよ』
『だから……っ』
『俺のこと、ずっと好きだったくせに』
『……ッ!』
その言葉にかっとして、思わず拳で殴りつけてしまったのは、それが図星だったからだ。
あの時の動揺は今でも忘れない。
気持ちに気付かれていたこと、その気持ちを見透かされている上で、こんな茶番みたいな事をされていること……顔が赤くなってしまっているのも、泣き出しそうになってしまっていることも自分でわかって、それを見られたくなくて、その時は反対の頬をぶん殴って走って帰ってきてしまった。
なんてことだ、最悪だ。まさかバレていたなんて。
恥ずかしさと情けなさと惨めさで、布団の中でしくしく泣いていたら、その翌日もアメリカは家にやってきた。
いつもと同じ様にくしゃくしゃになった婚姻届を持って、俺が殴った両頬を、ハムスターの様に真っ赤に腫らして。
『……君が俺のことを好きだなんて、もう百年も前から知ってたんだぞ。でも俺は、その前から好きだったんだ。タイミングがなかったんだよ。まだ俺の所も同性婚については議論も荒れてたし、国である俺が先頭切って認める訳にはいかなくて……』
『……だからって、何でいきなり結婚なんだよ』
『これ以上、君の何を知れって? どうせ一緒になるなら、早いうちの方がいいだろ』
『…………』
頬を氷で冷やしながら当然のようにそう言うアメリカに、何故だかオレは腹が立った。
こいつの中ではオレがこいつを好きな事も、プロポーズを断らない事も当然で、オレの意見や都合なんて、何も考えていないんだ。
この二百年強、オレがどんな思いで過ごしていたか、こいつへの気持ちを押さえて一緒にいることが、どんなに辛かったか。
独立という道を選ばれた時の悲しさも、裏切られた時の絶望も、国として追いこされて差をつけられていく惨めさも、踏みにじられたプライドも、悔しさも、それでもこいつが好きだという気持ちを捨てきれなかった苦しさも。何も、知らなかったくせに。
よくもそれで、オレの事が好きだったなんて、簡単に。お前だけそんな気楽に、オレがお前を好きなことが当たり前みたいに。
オレは、ずっと言えなかったのに。
冗談じゃない。
『……断る』
『イギリス』
『絶対イヤだ』
『……素直になったらどうだい。意地張ったって、いい事ないぞ』
『今まで、お前のこと好きだったけど、今この瞬間に嫌いになった。本当に嫌いになった』
『イギリスってば』
『出て行けよ』
泣きながら部屋を追いだした時に、アメリカは「俺、絶対に諦めないからな!」と叫んで、その宣言通りに次の日もその次の日も、オレにプロポーズの言葉と花を贈り続けた。
今日で、それが100回目。
『素直になりなよ』と呆れ交じりで言うあいつの顔を思い出して、街中を駆けまわりながら再度頭に血が上るのを感じた。
(ふざけんなよ。人の気持ちも知らないで。オレは、そんなにお気楽な性格じゃないんだよ)
ずっと決めてたんだ。あいつに裏切られてから、もう二度と大切なものは作らないって。もうあんなに悲しい思いも惨めな思いもしたくない。
だから、気持ちだってずっと言わずに隠してきたんだ。
ドン! と後方から衝撃波の塊のようなものが飛んできて、背中からそれをまともに受けたオレは、弾みで地面に転がった。
実弾は使ってないみたいだけど、この仕打ちも何なんだよ。
好きだとか言って、本当はオレのことを苛めたいだけなんじゃねえのかよ。また、からかってるだけじゃねえのかよ。
よろよろと起き上がってまた走り出したら、デニムに入れていた携帯電話が振動した。着信はアメリカ。上空を見ればアメリカが乗っているヘリがオレの頭上を回っている。
少し考えてから息を吸って、「……ハロー」と言って電話に出た。
『どうしたら俺と結婚してくれるんだい』
「……何度聞いても、言われても、答えはノーだ。悔しかったら経済制裁でも何でもかけてみろよ。それでも、お前と結婚なんてしてやるもんか」
『しないよ……何言ってるんだい。あのさ、何をそんなに頑なになってるんだよ。俺は君が好きで、君は俺が好きなんだろ? 断る理由なんて何もないじゃないか』
電話の奥で吐かれる溜息に、むかーっと頭にきて、オレは電話越しに怒鳴りつけた。
「そういう態度がむかつくって言ってんだよ! だいたいお前、オレのこと好きだって言っておきながら裏切ったり、こんな風に無理やり自分の意見ゴリ押ししたり、それで結婚とか、オレの事幸せにする自信あるのかよ!」
お前のせいで街も滅茶苦茶だし、オレの心も身体も傷だらけだ。
唾も飛びそうな勢いで端末に向かって怒鳴ったら、アメリカは一瞬息を飲んで、そうしてオレと同じくらいの音量で怒鳴った。
『俺が君を幸せにする自信なんて、これっぽっちもないけど!』
「……ッふざけんな! それで結婚なんて、誰がするか!」
何なんだよ、本当に。
いい加減にしろよ。これ以上人を振りまわすなよ。
流石に涙が出てきて、携帯を投げ捨てようと振り被った時に、電話が壊れそうな音と一緒に、上空からばかでかい声が聞こえた。
「でも、君が隣で笑っていてくれるなら、俺は世界で一番幸せな男になる自信がある!」
驚いて見上げれば、そう遠くない空の上に、機動隊の制服を着たアメリカの姿が見えた。バラバラと鳴るヘリの梯子にぶら下がっている。
思わず目を丸くして、携帯電話を取り落とした。
「ばっ……! ばか、危ねえ……」
命綱がついていない。
縄で出来た梯子は風にあおられて、アメリカの身体もその度に大きく翻る。落ちるんじゃないか、という不安に、オレは「戻れ」と叫んで手をあげた。
アメリカはオレの言葉を聞かずに、縄梯子に手を掛けたまま空の上でオレに叫ぶ。
「だから俺は力ずくでも君を笑わせられる様に努力するし、君が幸せに笑ってくれる為なら、なんでもする」
「危ねえって! ヘリ戻れ!」
「俺はずっと本気だぞ、イギリス!」
言うなりアメリカは縄梯子から手を離して、真っ青な空からオレに向かって両手を広げる様に、でっかい身体を躍らせた。
ギャー! と悲鳴をあげて、オレはアメリカの目標落下地点を推測して走り出す。
見えたのは、眩しい程に明るい空の青。
ロンドンの空の色じゃない。こいつの、アメリカ合衆国の空の色だ。
その瞳で真っ直ぐにオレを見つめながら、元弟で今は恋しいその男は、高い空から落ちて来た。
オレはアメリカが落ちて来るのを受けとめようと、両手を広げてそれを見る。もう小さな子供じゃない。オレがこうして手を広げたって、受け止められやしないだろう。
それでも。
青い瞳と目を合わせながら「アメリカ」と言って手を広げるオレに、アメリカはアメリカは自由落下しながら笑って、
「無事だったら結婚して」と言って自分の背中のパラシュートの紐を解いた。
「……ん? あ、あれ?」
「アメリカ!」
「……っうわ、開かない。やばい、イギリス、どいて!」
「え……っ、えっ!」
空から降ってきたアメリカは、それを受け止めようとしたオレを突き飛ばして、派手な音と土煙を立てて土砂の上に落下した。
頭上から、『我が国!』と叫ぶ兵士たちの悲鳴が響いていた。
「痛っ……たた……痛ぁ……」
「ア、 アメリカッ! 大丈夫……」
「ごめん、途中でパラシュートが開く予定だったんだけど……」
「ばっ……かじゃねえの……何やってんだよ」
不発した、と言ってアメリカは悪戯に失敗した子供みたいに笑った。
オレはアメリカの煤だらけになった顔を拭って、何処か怪我はないかと身体に触れる。
人一倍頑丈な身体のこいつだって、あの高さからじゃ……。
泣きそうになりながら再度「バカ」と唸ったら、アメリカは「どこも折れてないぞ」と息を吐いて、横になったままでオレの両手を握りしめた。
「俺と結婚してくれよ。イギリス」
「…………」
真っ直ぐに瞳を見つめられて、101回目のプロポーズを受ける。瞳の色だけは、小さな頃から変わらない。それから目を反らさずに、オレは黙って唇を噛んだ。
アメリカが、握る手の力を強くして続ける。
「まだ、愛してるとかは……わからないけど、君がいいんだ。俺のいい所も悪い所も、君なら理解してくれるだろ。俺が自分らしくいられるのって、君の前しかないんだよ」
砂だらけになった前髪を掻き分けられて、優しく唇が押し付けられた。
「観念してよ。お願いだから、落ちてきて」
「…………」
「……あーもー……」
大きく息を吐いて、アメリカは自分の顔を両手で押さえた。
101回目も失敗か……。
そう言って、ぐしゃぐしゃと自分の頭を掻きまわす。
「何をしたらいい? わかった、俺と一緒になってくれるなら、アイスをやめるよ。コーラも好きなゲームもやめる。君の酒癖の悪さにも文句を言わないし、なんなら、新居だってイギリスに構えたっていい。イギリスから国際線で仕事に通う。サッカー観戦も一緒にする。君の手料理だって週三回は食べるし……」
「……なんで週三回なんだよ」
「……それくらいが、多分俺の限界だ」
煤だらけの顔で困ったように笑ったアメリカは、「でも、毎日食べて欲しいなら、喜んで食べる」と言ってオレの頬に両手で触れた。
温かい、でっかい手。閉じてしまいそうになるオレの瞼に再度キスをして、アメリカはオレの身体を抱きしめた。
「……君が好きなんだ。君から独立する前から、ずっと」
泣き出しそうな声だった。
間近で聞こえる声に、オレもゆっくり目を閉じる。
……オレが、こんなに悩むのも、泣きたいくらいにむかつくのも、何度自分に自問しても「好き」という答えしか出ないのも、こいつだけだ。
好きだからこんなに考えるんだ。
嫌ならさっさと離れればいいのに、それも出来ずに。
「……わかったよ」
――オレの負けだ。畜生。
抱きしめてくる身体に、おずおずと腕を回してそう言った。
こんな身体張った告白を一〇一回も受けて、これ以上拒み続けるのも限界だ。
オレも、ずっとずっと、好きだったんだ。
弟としてじゃなくて、一人の男として。百年も。
「……本当に?」
アメリカが、不安そうな声で尋ねてくる。
オレは身体を離してから、小さく頷いてでかい手を自分の頬に触れさせた。
「……その代わり、お前、さっきの台詞忘れんじゃねえぞ。アイスもコーラもゲームもやめて、新居はロンドン、オレの酒の飲み方にも文句は言わない。部屋は毎日片付ける事。あと、もう少し痩せろ」
「……っ言ってない事も含まれてるぞ」
「あと、この惨状の修復費も、お前が出せよ。国庫からじゃなくて、お前のポケットマネーで」
「それはそのつもりだったけどさ……オーケイ、わかったよ。それで君は俺のものになってくれるんだろ?」
「お前だって、オレのものになるんだからな」
「分かってるよ」
そう言ってから、アメリカは嬉しそうに笑ってオレの頬とこめかみにキスをした。唇にはいいのか、とも思ったけど、なんとなく言うのも恥ずかしくて、それは言わなかった。
好きだ、という言葉は、もう少し先まで待って貰おう。
もうずっと前からバレてるみたいだけど、今は恥ずかしすぎて、素直になったらきっと盛大に空回る。
その代わり、小さな頃に毎日していた額のキスをオレも返した。
次にこいつに裏切られたら、きっとオレは死ぬと思う。
二百年以上溜めに溜めていた恨みを甘く見るなよ。
でも、どうせ死ぬなら、こいつを殺してからオレも死のう。その後の国のことなんて関係ない。
なるほど、そう考えれば面白くないこともない。
「なに笑ってんだい。君」
「……笑ってたか? なんでもない」
「変な人だな」
「お前の方が変だよ……オレと結婚したいだなんて」
「自覚してるよ」
半壊したロンドンの真ん中で、二人で笑う。
アメリカ合衆国とイギリス連合王国の運命は、こうして今後のこいつの心持ち一つに委ねられた。
101回目のプロポーズ・終
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