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結婚の約束までしていた男が出て行った。理由が何なのかは知らない。
他に女でも出来た? オレに飽きた? 元々オレなんて好きじゃなかった?
理由なんてどうでもいい。とにかくあいつは居なくなって、オレは一人になった。
もともと、オレも本気だった訳じゃねえし。
男同士の恋愛なんて、先が見えてるし。
生粋のゲイのオレなんかはともかく、あいつ、もともとノンケだったし。
怖くなったんだろうな。目が覚めたんだろうな。世間体だとか将来だとか、今、自分がしている事の不毛さに。
ひとりぼっちになってしまった部屋の中で、じわ、と浮いてくる涙を拭って立ち上がった。
飲もう。
今日は、もう楽しく飲もう。
言っておくけど、あいつと別れて辛いから飲むわけじゃない。オレはもともと酒が好きなんだ。
何もかも忘れるみたいに酔っぱらって、バカ騒ぎして、吐いて、ぶっ倒れて、ぐるぐる回る世界を見るのが好きなんだ。
あいつと一緒にいた時は全然飲まなかったけど、別にそれもあいつの為なんかじゃない。
勘違いするなよ。オレは、全然悲しくなんてないんだからな。
※
「そこ、オレの席なんだけど」
行きつけの、比較的ゲイとニューハーフの多いバーに行ったら、オレが確保していた席に見た事のないカップルが座っていた。
まだ若い。オレより年下かもしれない。女に至っては未成年かも。
挑発するようにこちらを見てにやにや笑う男に、オレも眉を寄せて睨みつけた。
「どけよ坊や。聞こえなかったか? それとも地球語が不自由か」
「ここはあんたの席だって、誰が決めたんだよ」
「煙草とグラス置いてあんだろうが。きちんと見えてんのかよ。飾りかよその目は」
「カリカリすんなよ。若い男に逃げられたって? ホモ野郎」
次の瞬間、オレは隣のテーブルに置いてあったビール瓶を握って、目の前の男を思い切り殴りつけた。
ゴッ、という鈍い音がして、男が椅子から転げ落ちる。持っていたビール瓶は反動でテーブルにぶつかって、そのまま割れた。きゃあっ、という女の悲鳴が上がる。胸糞悪い。割れた瓶から溢れたビールが床を濡らして、履いているブーツを滑らせる。
殴りつけたくらいでは暴言を吐かれた機嫌がおさまらず、オレは鉄板入りのブーツで男の鳩尾を何度も蹴った。
「女の隣でそのホモ野郎にボコボコにされてる気分はどうだよ。クソが、偉そうに人の人権侵害してんじゃねえよ。フェミニストがそんなに偉いか? 女の上で腰振ってサルみてえに奇声あげてよ、それがオレ達とどう違うってんだよ。なあ」
折角気持ちよくなっていた酔いが醒めそうだ。畜生が。
蹴っ飛ばしていた男が呻いて動いた為に、狙いが外れて爪先が顔面にめりこんだ。鼻にでも当たったのか、ぱっと血が飛んで辺りに散る。オレのサマーセーターにも飛んできて、思わず顔を顰めて舌打ちした。
騒ぎに興奮した女が泣き叫んで、店が騒然とし始める。
すぐに、「アーティ!」と、店のマスターが血相変えて飛んできた。手術はしない事をポリシーとしたニューハーフだ。オレよりもよっぽど逞しい腕でオレと倒れている客を引き剥がすと、「揉め事は外で」とオレに向かって静かに言った。
「だって、こいつが」
「知ってるわ。でも、他のお客さんの手前もあるから、今は出て」
「…………」
「可哀想に、アーティ。アルの事聞いたわ。酷い男。最低よ」
可哀想に。その言葉がまた胸に痛くて、ぐっと詰まって涙を堪えた。
酔いでふらつく身体を、オカマのマスターに抱えられて店を出る。
「店が終わったら連絡するから」と手を握られて、オレは何も答えずに暗い階段を静かに上がった。
もう酔いは醒めていると思ったのに、歩き出せば足元はふらふらとおぼつかない。
まだ慣れないマンハッタンの街を、俯いたままとぼとぼ歩く。
さっきの男に言われた言葉が、まだ胸に刺さっていた。
『若い男に逃げられたって?』
……逃げられた、じゃ、ねえよ。オレが捨てたんだよ。
ポケットに手を突っ込んで、でこぼこしたブロックを蹴る様に歩いた。
(あんなガキ臭くてつまんねえ男、もともと願い下げだったんだ)
明日にでもオレから振ってやるつもりだったんだ。出て行かれる前に、追い出すつもりだったんだ。
趣味だって合わなかった。好きな食べ物も違った。キスなんてどうしようもない位に下手くそだった。セックスの相性なんて最悪だった。最初から別れるつもりだったんだ。オレから、ゴミみたいに捨ててやるつもりだったんだ。
順番が少し変わっただけだ。その後に、こうして、ああ清々したって街に出て、違う男引っ掛けて、さっさと新しい恋をして、忘れ……。
「……なんで、オレが忘れなきゃなんねえんだよ」
道路の真ん中で、血飛沫の散った白いサマーセーターを握ってぼろぼろ泣く。
忘れなきゃなんないのは、あいつの方なんだ。
オレに捨てられて、別れないで欲しいって縋って、こんな風に泣いているのはあいつじゃなきゃ駄目なんだ。
今月の家賃とか、どうすんだよ。
車もバイクもまだローンが残ってるのに。あいつが欲しいって言うから買ったのに。
冷蔵庫だってキッチンだって、あいつがよく食うからでっかいやつに決めたんだ。
あのばかでかいアイスだって、どうするんだよ。食えねえよ。
大好きだったのに。アルフレッド。
「……っう、うわあああ、わあああ、わあぁあああん」
道路の真ん中で突然泣き出したオレに、通行人が驚いた顔をしてこちらを見た。
構わずに、そのまま声を上げて泣き続ける。こうでもしないと、地面に倒れてこのまま消えてしまいそうだ。
好きだったんだ。顔も、声も、身体も、でっかい手も、優しい性格やバカみたいに真っ直ぐな生き方も。喧嘩も一杯したけど、その度にもっと仲良くなれるような気がしてたんだ。
出て行くなんて、思ってなかった。あいつがオレを置いて行くなんて、考えてみた事もなかった。
「何で、オレを捨てたんだ。なんでだよ。ちくしょう、バカ」
ひっと喉を鳴らして、出て来る涙と鼻水を拭う。ぐずぐずと歩いていたら靴にブロックが引っ掛かって思い切り転んだ。酔っ払いの男が暴れているとでも思っているんだろう。くすくす笑うカップルの声が聞こえてきて、頭にきた。
おかしいかよ。四つも年下の男にフラれた男が泣いているのが面白いかよ。
ホモで悪いか。男が男を好きになって何が悪い。
結婚しようなんて言われて浮かれて、貯金全部崩して家買って、あいつの好きな物全部揃えて、愛してるなんてそれこそ百万回も言い合って抱き合って、それで最後に捨てられて。
「それの何がおかしいってんだよ、ばかやろう!」
目の前にいる若いアベックに怒鳴ったら、二人は何かを言い合いながら立ち去った。
涙が止まらない。心臓が痛くて、もうこのままここで死にたい。最後にもう一度アルに会いたい。会って、抱きしめられたまま気持ちよく死にたい。
目を瞑ったらアルフレッドがオレに「愛してる」って言ってくれてる姿が浮かんで、すぐにすっと居なくなった。
アルの隣に知らない女がいて、そのまま二人で何処かに行ってしまう。はっとして目を開けて、その後に胸が引き裂かれそうな恐怖が襲った。
今、あいつが他の女を抱いてたらどうしよう。男と寝てたら、あの手で、顔で、声で、オレ以外の奴をベッドで愛していたらどうしよう。発狂しそうな衝動に駆られて、短くなっていく呼吸を整える。整えられない。
過呼吸寸前になる前に誰かがオレの手を掴んで、引っ張り上げた。
(アル)
思って目を開けたら、全く違う奴だった。ばかでかい、知らない男。
そのまま担がれて車に連れ込まれそうになったので、キレそうになってクロムハーツを嵌めた拳でぶん殴った。男がよろけた所を髪の毛を引っ掴んで引き摺り倒して、そのまま腹と急所を蹴っ飛ばした。
泣きながら、はあはあと息を乱して男の車もボコボコにした。ガラスというガラスを割って、バンパーをひん曲げて、それでも気がすまなくて近くにあったゴミ箱を投げて、ぶちまけた。
「アル以外の奴が、オレの身体に触るんじゃねえよ」
まだ止まらない涙を拭いながら掠れた声で叫んだ時には、男の意識はもう無かった。
オレは結局そのまま、朝までずっと泣き続けた。
※
「……ワオ。想像していた以上にすっごいな」
「…………」
結婚の約束までしてオレを捨てて出て行った男が、戻って来た。
オレがひとりぼっちになってから、一週間目の事だった。
「……アル」
その時オレは、散々当たり散らして滅茶苦茶になった部屋の中で、力任せに引きちぎってしまったクマの縫いぐるみを泣きながら縫い直している最中だった。レールから外れたカーテン、倒された食器棚、切り裂かれた自分の洋服を見て、アルフレッドは天を仰いで目元を覆った。
「あのさ……俺、二週間だけ里帰りするって伝えておいたよね。隣の家の人から連絡貰って、慌てて帰ってきたんだぞ」
大きなバックパックを降ろして息を吐くアルフレッドに、オレはまだ縫い途中のクマの人形を抱きしめて、目元に溜まった涙を堪える。声が震えてしまいそうだったので、何度か深呼吸をしてから小さく言った。
「じ……実家に帰るってことだろ。オレが嫌になったんだろ」
「なんでそういう風に飛躍するんだい。面白い人だなあ」
アルフレッドは笑って、ぐちゃぐちゃになった部屋の中に入ってくる。
そこらじゅうにガラスが散らばっているから、気を付けないと危ない。オレは、綿の出ているクマを握ったまま、一週間ぶりに見るのアルの顔をじっと見ていた。
蜂蜜色の髪も、空色の瞳も、少し日に焼けた肌も、何も変わってない。オレの大好きなアルフレッドだ。
アルフレッドが、オレの座っているソファの隣に腰掛ける。これも何度も蹴っ飛ばしたから、足が折れて少し歪んでいる。
ぎしりと鳴るソファに苦笑してから、アルはオレの涙を拭って額に小さくキスをした。
「家族に報告に行ってたんだよ。結婚するからって」
「誰とだよ」
「君とだろ」
他に誰が、と言いながら、他の場所にもキスを落としていく。
こめかみ、瞼、鼻、頬、唇。ちゅ、と音を立てて、戯れみたいに。
結局オレはまた泣き出してしまって、アルフレッドは子供をあやすみたいにオレの身体を抱きしめてくれた。
「俺の家、少し変わってるからさ……でも、大丈夫そうだ。結婚式にも来てくれるって」
「……っぅ、う、……っ」
「何で泣くんだい。もしかして嫌なの」
「い、いやじゃない」
「そう。よかった」
指輪は、君の好きなデザインにしたいから、明日一緒に買いに行こう。
耳元でそう言う年下の男に抱き締められながら、オレは滅茶苦茶に荒れた部屋の中で、何度も頷いてわあわあ泣いた。
一通り落ち着いた後に、二人でオレが散らかした部屋を片付けた。
片付けっていっても、ほとんど買い直さなきゃならなさそうだ。
アルフレッドは「いつもの事だ」とでも言う様に、慣れた手つきでごみ袋にぼんぼんと破片になった家財を突っ込んでいる。
言おうかどうしようか迷ってから、オレはおずおずと広い背中に話しかけた。
「……あの、アル」
「なんだい」
「オレ、……あの、この間バーと路上で喧嘩しちまって、謝りに行かないと。怪我もさせた。……車も、少し」
「また? 法外な治療費請求されやしないだろうね」
「……あと、前から言い寄ってきてた奴がいて、あの、お前と別れたって言っちまった」
「……寝たの? そいつと」
「ま、まさか。ただ、結構しつこくて」
「……君が言い寄られてたとかも初耳なんだけど……いいよ、俺が話つけて来る。連絡先教えて」
立ち上がって、壁の隅に落ちている携帯電話を手に取る。これも力の限りに壁に叩きつけてしまったから、壊れてるかも。電源を入れて画面をタッチしたら、幸いにも液晶は無事だった。着信歴に残っている番号をアルに見せて、ぱんぱんになったゴミ袋の口を縛る。
アルは不機嫌そうに眉を寄せてから番号を自分の携帯電話にメモすると、すぐにサングラスを嵌めて踵を向けた。
「殴っていいんだろ? 何か変な事されてないかい」
「されてない」
「そう。じゃあ、行って来る」
「アル」
「うん?」
「ごめん。大好きだ。やっぱり」
「なんだい、やっぱりって」
サングラスを外して笑うアルに、オレは「なんでもない」と言ってから、後ろから抱きついてキスをした。
※
その夜。アルは、右頬と目の辺りに大きな痣を作って帰って来た。
吃驚して、おろおろしながら薬箱をひっくり返す。
アルは絶対に喧嘩じゃ負けない。オレ以外には。あと、女の子と子供以外には。
何処かで転んだのか、と綺麗に片付いたリビングを走って顔に触れたら、アルは「ノープロブレム」とむっすり答えた。
その後に、「あのさ」と頬を抑えてオレを見る。
「君のニューハーフの友達に、サイテー男って引っ叩かれたんだけど……君、俺の事なんか言った?」
「……あ」
「レズビアンの子達にはお酒を引っかけられるわ、追いまわされるわ、参ったよ」
「……ごめん。捨てられたって言いふらしてた」
「……なるほど、君の事を捨てたら俺はこの街に居られそうにないな。肝に銘じておくよ」
誤解を解くためにも早く結婚しよう、と腫れた頬を押さえて笑うアルを見て、オレは一生この男を大事にしようと心に決めた。
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