ヰタ・セクスアリス 赤

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NY警察24時☆逮捕しちゃうぞ!







ぎらぎらしたネオンの海、あちらこちらからのスピーカーから聞こえるクソやかましいBGM。車のクラクション、雑踏。 もう深夜だってのに、この街はいつでもこんなに明るいのか。
アメリカ、ニューヨーク州・マンハッタン。
ビッグ・アップルと呼ばれるこの都市は、何年居ても好きになれない。ミッドタウンの西部、タイムズ・スクエアの路地裏で、オレは新調した帽子を被りながら、よくぼさぼさだと言われる太い眉を顰めて溜息をついた。
ブロードウェイ・ミュージカルシアターが集まる、シアター・ディレクトリ。折角この街に来たのなら一度くらいは劇場に足を運んでみたらどうかとも言われるが、結局街の雰囲気に圧倒されて、ついつい足が遠ざかる。
(仕事でなければ、誰が来るか。こんな場所)
目に優しくない威嚇色で光を放つネオンに目を細めさせていたら、ピルル、と胸元の携帯が音を鳴らした。
片手でぱかりと開けて、ハロー? と応答。ジャケットに掛けてる手錠が、ちゃらりと小さな音を立てた。
「Yah, Kirkland…What?... O.K, Leave it to me」
Shit.小さく舌打ち。
『奴が出た』
電話の内容は、オレ達がここで張っていた筈の男の情報だった。逃走経路はこの逆、ミッドタウン・イースト。チェルシーから来るって聞いていたからこっちに待機していたのに。
あっちか、くそ。
間逆じゃねーか、と舌打ちしながら携帯を切ってすぐさま靴の踵を鳴らして、停めてある車の助手席のドアを開けた。皮張りの椅子に乱暴に身体を預けて、ばん、と勢いよくドアを閉める。
「アーサーさん?」
「出たぞ。向こうだ」
運転席に乗っていた相方に顎をしゃくって合図したら、車はすぐにエンジンを鳴らして、ハザードを切って発進した。
「クソ……何でいきなり方向転換しやがるんだ」
「アッパー・イーストに先回りしますか」
「東か西かわかんねえから、ハーレムまで行ってくれ。モーニングサイド・ハイツと、ワシントン・ハイツにも連絡を」
「了解」
 短い返事をして、相方は黒いハンドルを握り直した。
あの野郎、今日こそブタ箱にブチ込んでやる。
指示を出しながら苛々と舌打ちしたら、運転席に座っている男は少し楽しそうな声で言った。
「どんな顔してるんですかね。まだ若いって聞きますけど」
「どうせ、ろくでもねえ奴だろ」
「興味深いですねえ。我々をここまで手こずらせて」
笑いながら、それでも神経質にラインを取ってハンドルを切るのは、こちらに来てからパートナーになった東洋人だ。
黒い髪に黒い瞳、肌理の細かい黄味がかった陶器のような肌は、こいつの国にある人形の様。無表情な顔はいまいち何を考えているのか分からないが、一緒に仕事をしてるうちに、信用に足る人間だという事はよくわかった。
常に冷静で、義理に厚く、たまに硬すぎる時はあるけど真面目で一本筋がしっかりしてる。職歴的にはオレの方が長いけど、だいぶ年上であるというこいつの助言には、正直色々と助けられる事も多い。
でこぼこしたブロックを縫う様に車を走らせる本田の隣で、オレはどすんと背もたれに体重を預けて舌打ちした。
「興味深くなんてねえよ。オレ達警察を舐めやがって……ランダムに送られてくる脅迫状だの置き手紙だの犯行予告だの、ゲームやってんじゃねえんだぞ」
「まあ、愉快犯ですかねえ……あ、アーサーさん。足はダッシュボードに乗せないでください」
「あ、悪い」
「私の国にルパン三世という泥棒がいまして、その方にそっくりですね……今回の泥棒は」
本田はそう言ってから、きききっとブレーキを操作してカーブを曲がった。色とりどりの、目に優しくない原色のネオンに街灯、あちこちで鳴らされるクラクション。
舌打ちして、心の中で中指を立てる。
煩い街だ。本当に。ああ、頭にくる。
「気持ちはわかりますけどね」
そう言うなり、本田は前の車にクラクションを鳴らしてからスピードを上げた。
「時間は? 何分経っていますか」
質問に、袖をまくって長針を確認する。先程他の管轄の奴から連絡があってから、十分。逃げ足の速いあの野郎の事だ、もしかしたら逃げられるかもしれない。苛々する気持ちを顔に表しながら答えたら、本田は更にスピードを上げて「近道します」と私有地に車ごと突っ込んだ。
組んでみて分かったこの相方は、見た目によらず、意外に竹を割ったように気持ちの良い性格をしていて、時たま思いもよらない行動を取る。
シートベルトを腹に食い込ませながら「私有地はマズイだろ」と唸ったら、「後でここのオーナーさんに謝っておきます」と、ものすごいスピードの中で微笑まれた。
スピード違反ぎりぎりの速度で、メーターとナビを確認しながら、本田は細かくアクセルとハンドルを調節する。東洋人ていうのは、皆こいつみたいに器用なのかな。あまり運転に自信の無いオレはこいつと組んでから、いつも助手席専門だ。

裏通りを抜けて、目に痛いネオンの海の大通りへ。
このまま突っ切ればイースト・ハーレム、車通りも少ない。
「カークランドだ。もうすぐ到着する」
そう、無線で同じ管轄の部下に伝えた時に、一人の男が目に入った。
身長一八〇弱の中肉、ブロンド。クラッシュデニムに、派手なレッドのバックパック、暗闇にも目立つ空色のフード付きのパーカー……先程の連絡の特徴、そのまんま。男は路地から出て来た所曲がり角で、大きな鞄を持ってこちらを見ている。それどころか、少し笑っている様にも見える。
口の形だけで「ハロー」と軽く手を振る男に、思わず助手席の窓を開けて「Fuck!!」とでかく怒鳴りつけた。
「あのやろ、おい! 本田、ストップ! 見つけた、降ろせ!」
「降ろせって、ア、アーサーさん!」
大通りから続く路地裏、あの裏道はそのまま港へ出る。海へ逃げる気か、あの野郎。
トレードマークともいえるそのパーカーが一瞬こちらを向いて、サングラス越しに笑って、そのまま路地に入って行った。 車から男の所まで、距離にして五十メートル。明らかにオレに対して挑発するように笑う男に、ぴぃっと頭に血が上った。
運転席のブレーキをがんっと踏んで、サイドブレーキを思い切り強く後ろに引く。ロックがかかった後輪に車はドリフトしながらスピンして、運転席にいる本田は「何するんですか」と慌ててブレーキを掛けた。
必死にハンドルを操作する本田に軽く謝って舌打ちして、そのまま助手席の扉を開けて、さっきの路地裏目指して駆け出した。
「アーサーさん、一人じゃ。待って下さい!」
「お前はそこで待機してろ!」
叫ぶ本田に叫び返して、アスファルトのブロックを蹴って飛ぶ様に走った。
頭の中がぐつぐつ煮える。
(バカにしやがって、あの野郎。どこのどいつか知らねーが、オレを舐めるなんて百年早ぇんだよ!)
細くとも自慢の脚力で、対して人の居ない大通りを猛ダッシュして、男が消えた路地裏で急停止、方向転換して走り出す。街灯の切れた暗い路地裏。一方通行でないと難しい程の道幅のそこは、記憶通り島の端に繋がっていた。
近くにブルックリン・ブリッジが見える所まで来てしまった。ここから出られたら困る。管轄が変わる。また、逃げられる。
再度舌打ちして、スピードを緩めることなく胸元のピストルに手をかけた。
セーフティレバーはまだ外さない。発砲する事はないだろうけど、それでもすぐに応戦出来るように。トリガーに人差し指を引っ掻けて、走る。意外に長い路地裏の暗い道、男の姿は見えない。
(畜生、もう突っ切ったか……)
水の香りのするそこで、そう眉を寄せた時に――。
「ハイ、俊足のポリスマン。暗い足元には気をつけてね」
足元に何かにゅっと長いものが出てきたと思ったら、タイミングよく下から掬われて、うわっと思ったのと同時に、無様に前のめりにすっ転んだ。
ざざざぁっ、と頭をかばって肩から落ちる。持っていたピストルが手から離れて地面に転がった。カラカラと渇いた音が聞こえる。
やべえ。ピストル。
一瞬何が起きたのか分からなくて、それでもすぐに頭を覚醒させて、奥歯を噛んで起き上がる。光もろくに届かない真っ暗な路地裏で、まずは目を慣らそうと自分の瞳を細くした。
……クソ、何だ?
真っ暗な路地裏。明かりはない。かろうじて路地の両端の街灯で近くの物が見えるくらいだ。
少し湿っている地面に手をついて、起き上がろうと下半身に力を入れる。その時に、パシッと何か閃光みたいなものが光って、起き上がろうとしていた肩をぐいっと押された。冷たい地面に、身体が仰向けに縫い付けられる。
(……ッ?)
ぱし、ぱし、と続けて眩しく光る閃光。何だと目を凝らして観れば、閃光の正体はデジタル一眼レフの眩しいフラッシュだった。ストロボが光る際に見えたのは空色のパーカー。肩は、汚れたスニーカーに踏みつけられていた。
やられた。
瞬時に頭は冴える。ピストル、クソ、届かない。舌打ちして、オレを踏みつけている男を睨みつける。「退けよゲス野郎」。そう低く唸ったら男は声を上げて笑って、再度持っている一眼レフのシャッターを切った。
「最近の警察はガラが悪いね。足は遅いし、脳なしだし」
「テメーが最近あちこち荒しまくってる宝石ドロか。みみっちい仕事してねえで、真面目に働けよ。ブタ野郎」
「俺たちが汗水垂らして働いた金で食わせてもらっている君たちに、説教される事なんて何もないんだけど」
「世間知らずの坊やに傾ける耳は持ってねぇよ」
話しながらもカシャカシャ鳴るシャッター音。その度に焚かれるフラッシュ。目を細めて、男の顔を下から見上げる。
アングロサクソン。発音からしてイギリス系。ティアドロップのサングラスで顔は分からない。若い声だ。頭の中に納めているプロファイリングを高速で捲って、前科がある奴じゃないか、同じような特徴の奴は居ないか、データを照合させようと頭を回す。
記憶に違いが無ければ、照合結果、記録はゼロ。
チッ、と肩を踏みつけられながら心の中で舌打ちする。地面に転がされたまま「声と特徴は覚えたからな」と呻いたら、男は「ああそう」と興味無さそうにバックパックの紐を解いた。
バッグが引っ繰り返されて、頭上に何かが落ちて来る。なんだ、と首を捻って見たら、それは今まで被害にあった、盗まれた沢山の宝石類だった。
立ったままの男は、面白くなさそうに口を尖らせて、空になったバッグを捨てる。そうしてオレの髪の毛を引っ掴んで、耳元に唇を寄せた。
「特徴を覚えるも何も、君は俺のことを知ってるはずなんだけど。おかしいな、そんなに俺って影薄い?」
「……何?」
「もう一度記憶のファイルを調べてみてよ。仕事じゃなくて、今度はプライベートのラベルのファイルをさ」
眉を寄せて見上げるオレに、男はもう一度カシャリとシャッターを切った。
ストラップのついたカメラを首から下げて、今度は携帯電話のライトで、自分の顔を横から当てる。ライトに映るのは、白い肌と柔らかそうな金髪、少し肉厚な唇。顔……といわれても、大きなサングラスが邪魔でよく分からない。
不審な表情を変えないオレに、男は はあ、と息を吐いて、ティアドロップのサングラスに手をかけた。
「案外、君も薄情だね。ていうか、本当に警官になったんだ?俺が警官がカッコイイって言ったから?」
「……ッ?」
予想外の言葉に驚いて、思わず起き上がろうと、踏まれている肩に力を入れる。そうしたら倍くらいの力で更に強く踏みつけられて、転んで打った右肩がずきんと痛んだ。
「なっ、に……それ、知って」
「思い出した? 仕方ないか。十年も前の話だし、俺も変わったしね。でも君は、全然変わってないね」
ねえ、アーサー。
くす、と笑って外されるサングラス。携帯の液晶で光る二つの瞳は、ビー玉みたいなスカイブルー。以前俺が大好きだった空の色。
見覚えがない、筈がない。
昔一生懸命慈しんだ、血の繋がって無い、歳の離れた弟。
両親の離婚で離ればなれになってしまって、アメリカに居る、という以外の連絡先も教えてもらえなくて、オレはこいつとの約束通りに、今の仕事について。そうしたらいつかこいつが会いに来てくれると、そう思いながら、毎日生きていたのに。
「……アルフレッド……?」
愛しい弟は、オレがずっと追っていた犯罪者になっていた。



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