■あさきく
 
 
「アーサーさん、別れましょう・・・私たち、やっぱり合わなかったんです」
 
 
そう、唐突に切り出されたのは、久々にあいつの家に行って、料理を作ってもてなした時の事だった。
ことり。
木彫りのチョップスティックを置いて、本田は静かにそう呟く。
別れましょう。
合わなかったんです、私たち。
伏せられた黒い睫毛、小さく戦慄く桜色の唇、人形のように白い顔。
 
オレはというと、持っていたフィッシュアンドチップスのトレーをカターン!と落として、
その場で小さく、固まった。
 
ゆらんゆらん揺れる木彫りのトレー、油跳ねで火傷しながら作ったフライがべちゃっとテーブルに落ちる。
頭の中で反響してるのは、本田の声。さぁ、もう一度反芻しろ、アーサー。
 
 
「別れましょう・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
 
 
反芻して思った事はそのまま口に出て、自分が発した単語によって思考は更にクリアになり、
知らないうちにオレは目を回して、その場で倒れた。
らしい。
 
 
 
 
「・・・・・・・・まさか、本気で倒れるとは・・・・・・・・・・」
「だから言っただろ、冗談でもそんな事言うなって」
「すぐに笑って嘘ですよって、言うつもりだったんですよ」
「君に関することで、この人が冷静に物事を考えられるわけないだろ」
「失敗ですかねぇ・・・エイプリルフール」
 
 
遠い遠い意識の中で、本田とアルフレッドの声がした。
 
 
 
 
■じゃがいも
 
 
「ルーツー」
 
 
ばたむ!とノックをせずに入ってきたのは愛しいバカ兄。ギルベルト。
ぼとぼと頭から水滴を落としながら、バスローブ一丁でぺたぺた部屋に入ってくる兄に、
俺はタオルを持って怒鳴りつける。
何故俺の書斎にタオルが常備されているのか、この人はもっと知るべきだ。
 
「風邪を引くだろう!床も絨毯も汚れる!あと部屋に入るときはノックをしろ!」
 
ぼふっと毛足の長いタオルを頭からひっかぶせて、ごっしごっし髪を拭いたら、
禿げる禿げる毛が抜ける!!と犬歯剥き出しで怒鳴られた。
ついでにひょろっとリーチの長いアッパーが飛んできた。無論、避ける。
 
「避けたなこんにゃろ」
「殴られる理由がない。取り合えず寝着に着替えてきてくれ、髪は乾かしてやるから」
「その前に、お前に知らせる事が」
「・・・・・・?」
 
ケセ。
いつも通りの笑いを見せて、兄はごそごそバスローブの下から何かを取り出す。
なんだ、もったいぶって・・・ごそごそ動く兄の手を見ていたら、彼は「じゃん!」と声を出して、
細い体温計のようなものを笑いながら取り出した。
??
 
「なんだ」
「妊娠検査薬。陽性だ、喜べ!」
 
ひははははは!妊娠したぜ、オレ様!
そう、バスタオルを頭から被ったまま抱きついてくる兄に、がちっと身体が固まった。
 
 
妊娠?嘘だろう、そんなバカな。男同士で、いや、でも俺達は人間じゃない、
人民の生殖機能の常識が果たして俺達にも当てはまるのか。否か。
否、それよりも、この兄が。兄が、愛しい人が、妊娠?
俺の子供が宿っていると?この身体に?俺の、俺たちの、愛の、絆が!!
 
幸せそうに目を瞑って背中を叩くギルベルトに、俺はくわっと目を開くと、そのままがばぁっと軽い身体を持ち上げた。
ぅおっ!?赤い瞳を丸くするギルベルト。軽い、細い軽い薄い身体。まずはこれから、太らせねば!
 
「ローデリヒ!暖炉に火を入れてくれ!あと精のつく料理をたらふく!
 兄さん、貴方ももっと自覚してくれ、妊婦に冷えは厳禁だ!!」
「お、おぅ」
「参った、忙しくなるな、上司へ告知して、出産準備・・・ああ、その前に、結婚か。
 これからは仕事を巻いて、なるべく早めに帰るようにする。貴方に苦労はさせない」
「お・・・おぅ、そうだな」
「名前は!そうだ、男か女かは、いつわかるんだ。兄さん、いや、ギルベルト・・・初診には俺も同行しよう」
「お・・・ぅ・・・・」
 
軽い身体を、高く持ち上げてくるくるとその場で廻る。
何としたことだ、こんなに心が弾むだなんて!
俺と彼との愛の結晶が、血が、残せるんだ。嬉しい。
何も生み出せないと思っていた自分たちが、一人の命を作る事が、残す事が出来る。
おお、神よ!感謝します!
 
ぐるぐる回していた兄が少しやつれてきた顔になったので、しまったと思って回転を止め、
ぽすりと胸に仕舞いこむ。
愛しい、これからは、この愛しさは倍になる。どちらに似るだろう、どちらに似ても、同じ顔だが。
愛してる、大変だとは思うが、元気な子を産んでくれ。
そう言って頭一つ小さな髪の毛にキスを落としたら、ギルベルトは何か言いたそうに、赤い瞳で見上げてきた。
少しだけ、困惑した瞳に、銀色の睫毛がしぱっと瞬く。
ああ、いつもは自信家な彼でも、流石に戸惑っているんだろう。
国が妊娠するなど、しかも身体性別はきちんと男、事例がない。
事例がないなら、俺たちが一番初めになればいい。
頼りない父親だが、精一杯頑張ろう。そう言って膝まずいて手の甲にキスを落としたら、
ギルベルトは気まずそうに口を開いた。
 
「いや・・・その・・・あー、ルツ」
「なんだ。生活の事なら、心配いらない。今から子育ての勉強も始めよう、いい父親になる」
「イヤそうじゃなくて・・・悪ぃ」
「迷惑だと思っているのか?まさか。ギルベルト。まさか」
 
笑って、腰に手を巻きつけて、痩せっぽちでぺたんこな腹に頬を押し付けた。
ここに、子供がいるのか。全然、実感が湧かない。これから徐々に湧いていくのだろうか。
とくとく、心臓の音が聞こえると思っていたら、きゅぅっと胃腸の動く妙な音しか聞こえなくて、
まぁそんなものかと顔を上げた。
目が合う。赤い瞳、きらきら光る、ルビーの瞳。
彼は俺の瞳から目を離さずに小さく笑って、言った。
 
 
「・・・悪ぃ、エイプリルフールのつもりだったんだけど・・・」
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?
 
固まる。笑顔のままの顔も、浮かれた思考も。
何を言っているんだというようにもう一度笑いかけたら、彼は怖いものでも見るようにぞわっと背筋を震わせて、
パンっと手を合わせて、再度「悪ぃ!」と叫んだ。
 
「わ、悪かった、本当に申し訳ございません、ウソです全部ウソウソウソ!
 妊娠なんてしてねーです、オレ男だし!つぅか、お前も信じるなよ!!」
 
俺を腰に巻きつけたまま、90度に腰を曲げて「サーセンでした!」と叫ぶギルベルト。兄。
俺はというと、ひょろっとした腹に耳をくっつけて、頭の中の書庫の整理に追われていた。
エイプリルフール、4月1日、ウソをついても許される、騙されるのは4月バカ。
エイプリル・フール。書庫からぺらりとB5の本が落ちてくる。ああ、そういえばこんな本、あったな。忘れてた。
兄の腹から聞こえるのは、きゅぅくるくるりと聞こえる、胃腸の消化音。
まぁこんなもんかと再度思って、俺はゆらりと立ち上がった。
 
 
「ル、ルツ、あの、なぁ、おい」
「・・・・・・・・・・一人にしてくれ・・・」
「ルーツ!悪かった、悪かったよ!」
「大嫌いだ!兄さんなんて!!」
 
 
ばたーむ!!と扉を閉めて、俺はどすどすと自室へ戻って、そのまま枕を投げつけて、暴れた。
ああ、恥ずかしい、情けない、全俺が全身で恥ずかしい!!!
その後ご主人の機嫌取りよろしく、兄が「ルツールツルツルツー」と扉をかりかりするのにも耳を貸さず、
ローデリヒのちゅどーん!という料理の爆発音が聞こえるまで自室にこもっていたと言う事は、言うまでもない。
 
ついでに言うと、その日の夜食がお赤飯で、ローデリヒとエリザベートにも大層怒鳴られた兄がいたという事も。