「ほっ、本田のばかぁぁぁぁあああーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
「ア、アーサーさーーん!!」
 
時刻は日本時間でのPM:5:00。
夕日をバックに、きらきらとした涙を流して、金髪の恋人は走り去っていった。
かつてはヨーロッパ諸国に君臨した、泣く子も黙る不良海賊、大英帝国。
その威厳とプライドはそのままに、紳士的な何かを目一杯顰めさせて、ぼろぼろと大粒の涙を流して。
ぴゅんっと風のように駆けて行く彼を見て、夕飯には戻ってきてくれるのだろうかと、やけに母親のような事を思った。
 
始まりは、広い台所の椅子にかかっている、真っ白なレースの、薄い布。
彼は最近出来た、愛しい、理想の、恋人だ。
彼の笑顔は大好きだし、喜ぶ事はなんでもしてあげたい。
 
「でも・・・・コレは流石に・・・・」
 
ないでしょう。
 
彼の出て行った玄関の引き戸と、放られた白い布を見て、私は小さく小さく、溜息をついた。
 
 
 
 
「・・・なんですか、これ」
「・・・お、お前に、その、似合うと思って」
 
・・・・・・・・・これが?
 
おずおずと差し出されたかさかさした包みを開けてみれば、ぴろりと薄い、白い布。
限りなく純白に近いその布を見て、目の前の彼の真意を図ろうと、顔を傾ける。
彼なりの、お国柄のジョークというものだろうか?ここはひとつ、笑って差し上げたほうが良いのでしょうか。
にこりと笑って、取り合えず有難うございますと頭を下げたら、彼はぱっと顔を輝かせて、
さっそく着て見せてくれと意気揚々に立ち上がった。
え。着る?早速?
思わず顔を上げて立ち上がったアーサーさんを見てみればなんだかすごく嬉しそうに
袋に入った布を広げている。
え、ちょ、ちょっと、本気ですか?ジョークじゃなくて?
 
「夢だったんだ、こういうの。あ、き、着替えてる所は覗かないから」
「ほ、本当に着るんですか?私が?」
「絶対に、絶対に似合うから」
「え・・・ちょっと、アーサーさん」
 
鼻息あらい。
じりじりと顔を赤くして近づいてくる恋人の顔をぺちんと叩いて、ついでに押し付けられてる
白い布もぐいーっと彼の体に押し戻す。
ジョークでないなら、冗談じゃありません。
着ませんよ、と小さく言ったら、布を押し付けられた彼はぽとりとそれを落とした。
 
「なっ・・・・なんでだ、本田、着てくれるって」
「い、言ってませんよ。本気だったんですか?
 私とて日本男児のはしくれ、こんなもの着るわけにはいきません」
「な、なんだよ、オレの夢なんだよ、着てくれよ!」
「だいたい、こういった類のものは、貴方の方が似合います!是非!」
 
ぐいぐいと純白の布きれをお互いに押し合って騒いでいるうちに、お互いぜぇぜぇ息が上がってくる。
体格はだいぶ違うが、力はどうして結構強いのだ。私は。じじいなめちゃいけません。
ぐぐぐと手をからめて力比べのように押し合いへし合いしてるうちに、アーサーさんは
本気で着てくれないのか、オレの夢を叶えてくれないのか、と、切なそうに眉を寄せた。
ぐ。
そ、その顔、弱いです。いい、いい受け子っぷりですよ、アーサーさん!ああスケッチしたい。
滲む汗を肩で軽く拭ってから、「イヤです」と一言発したら、彼はうりゅっと緑色の瞳に
涙を浮かべて、ばかぁ!と叫んで出て行ってしまった。
 
 
 
 
これが、冒頭の状態。
とんとんと腰を叩きながら、現況である純白のレースをべろっとめくって溜息をつく。
 
「・・・・・・・・・っはぁー・・・・・・・・・」
 
・・・・まさか、本気だったとは・・・。一体、私にどんな夢を見てらっしゃるんでしょうか、あの方。
誰もこんなじじいのこんなもの着た姿、見たくないでしょうに。
両手で持ち上げて見るは、純白のレースふりふりの、丈の短いエプロン。
夢だったんだ、裸エプロン。
そういってぽぽっと顔を赤らめたあの人は、殺人的に可愛かった。
うーむ・・・気持ちはわかる。男の夢です、ロマンです。
私だって裸エプロン属性はあります。
白い肌に映える純白のレース、同配色のニーソックス、計算しつくされた絶対領域、
お玉を持ってれば更に完成度は上がります。ゴハンと私どっちにしますか?ああ、いいじゃないですか・・・!
コレはやはりアーサーさんの方が似合います、絶対に!!
おっと、いけません、涎が。
ずるりと口の端を着物の袖で拭ってから、ふりふりのエプロンを身体に合わせて、鏡を見てみる。
 
夢でありロマンはわかるのですが・・・改めて見ると、こんな物を着て料理なんて出来るわけがない。
純白のレースは油が跳ねればシミになりそうだし、こんなに裾が短ければ手ぬぐいを
ひっかけておく事もできません。手も拭けない。
だいたい・・・・似合わない。
我ながら、割烹着と三角巾の似合う顔だと思いながら、レースのエプロンをふりふり振ってみる。
 
恋人の喜ぶ事ならば是非してあげたのは山々ですが、きっと幻滅させるだけです。
夢を、壊してしまうだけです。
男のロマンを、彼のロマンを、萌を、夢を・・・。
日本男児としてのプライドと、大切な恋人のお願いと。
それ以前に、コレ自体似合いそうにない自分に葛藤して、私は小さく溜息をついた。
 
 
 
 
その後、夕飯の時間になっても返って来ない彼の携帯電話に連絡をしてみれば
「着てくれる気になったのか」という、ずるずる鼻水をすする音。
「・・・着ませんけど、早く帰ってきて下さい。夕飯、出来てますよ」
静かにそう伝えたら、「・・・・・・・ッ!」という涙声と共に電話は切れた。
 
 
ちらり。はー。
再度小さく溜息をついて、ほっぽり投げられた白いレースを見る。
何処から買って来たのだか・・・もしや、レース編みを趣味とする彼の手作りでしょうか。
ぺろりと軽いソレを持って、再度鏡の前に立ってみる。
サイズはぴったり、彼の家の女性は私よりも背が高いのでしょうか・・・。
裏返して見てみれば、首元には綺麗に刺繍された、赤い日の丸とユニオンジャック。
・・・・・・・・・・・・・・・。作ったのでしょうか、やはり・・・・。私の為に。
恋人の人差し指に巻かれた絆創膏を思い出して、私はよし、と決意して、するすると着物の帯を解いた。
 
 
コスプレだと思えば、こんなもの。
中帯を解いて、ぱさりと白い襦袢を落とす。
姿見の前には薄くとも筋肉の乗った、成人男性の自分の体。
全盛期よりもだいーぶ貧弱にはなりましたが、それでも一応この身体が保ってられるのは
未だ衰えないサブカルチャー文化のおかげでしょうか・・・。
一体、こんな男の裸エプロンなんてどうして見たいんだか、と思いながらふりふりしたエプロンに手を通す。
ノースリーブのフリルはやけに肌触りがよくて、素肌に触れるさわさわとした感触に、ふむと思わずため息が出た。
なるほど、さすがはアーサーさん、いい生地を使ってますね・・・。
ていうか、これ、絶対絶対に手作りでしょう。アーサーさん。既製のものであれば、だいぶいい値段しそうですけど。
脇からてろんと垂れてる太くて長いレースの紐を後ろできゅっと結ぶと、狙っているかのように大きなリボンが腰の位置で出来た。
 
・・・・ぅわぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
姿見に映った自分の姿を見て、げんなりと声が出る。
何か、変な日本人の男が裸でふりふりのエプロンつけてる・・・・ふんどし、見えてますし。
見えるか見えないかの微妙な位置で揺れる裾は、ひらひらと揺れる褌を隠してはくれない。
美しくない。こんなチラリズムは、萌の美的に反します。
仕方ない、と思ってくっと白い褌にも手を掛けて、しゅるしゅると解いた。ここまでしたのなら、完璧にしてみようじゃありませんか。
裸エプロンというのなら、裸で着けなければならないでしょう。
褌を全て解いて、少し裏返ってる裾を直して、リボンを直して。
折角だから、と思ってクローゼットを開けてヘッドドレスもがさごそ取り出して頭につけて。
別に、コスプレ魂に火がついた訳ではありません、これはアーサーさんに喜んでいただく為に・・・・。
どうだ、とばかりに姿見の前に再度立って、私はそのまま小さく崩れ落ちた。
 
 
に・・・・・・・似合わない・・・・・・・・・!!
 
 
少しは見れるかと思えば、怪しい成人男性が裸でエプロンとヘッドドレスをしてる、
どう見ても頭のおかしい変態さんにしか見えない。
何が・・・何がいけないのでしょうか。この和風な顔?肩幅?すね毛?
後ろを向いても、大きなリボンの下に見える尻は少し日焼けの跡が残っている。
こんな事なら、前に漂流した時に、調子に乗ってヴァルガスさんのビキニなんて借りるんじゃ無かったです・・・。
だって水着なんて持っていって無かったから、でも泳ぎたかったから・・・!
俺は裸でいいよ〜なんて言って泳いでた彼の優しさ甘えた事に、今は後悔の念しか残りません。
フライパンで隠してみたりお玉を持ってみたりするも、益々何がしたいのかがわからなくなり、
私は小さく小さく肩を落とした。
 
・・・・・やはり、私は彼の理想にはなれない。
恐らく、このふりふり裸エプロンでお酌などしてもらいたかったのでしょう、
彼の男のロマンを、私の力で叶えて差し上げる事はできそうにない・・・。
不甲斐ない、と思いながらエプロンの裾を見てみれば、綺麗な金色の糸で「arthur」という刺繍がしてあった。
・・・これ、アーサーさんの手作りというか、アーサーさんの物なんじゃ・・・。
ふと妄想に走りかけた自分の思考を圏外に押しやり、とにかく脱ごう、と後ろのリボンに手を掛ける。
彼には申し訳ないが、こんな姿絶対に、絶対に見せるわけにはいかない。
彼の理想を崩してはならない。こんな、不甲斐ない自分を見せるわけにはいかないのです。
ずずっと出てきた涙と鼻水を拭って後ろ手に手を廻せば、意外にがちっと結ばれたレースのリボン。
 
・・・・・おや、少しきつく結びすぎたでしょうか・・・。ふん、ぬ、・・・・・か、絡まってます。
繊細なレースはくちゃっと後ろで絡まって、解こうとすればする程くるくると絡まっていく。
おや、ふぬ、や、やばいです。コレ、一体どうなってやがるんでしょうか。鏡越しだから全然わからない・・・!
切る訳にもいきませんし、ああ、ちょっと、解けませんが!!
鏡の中では、裸にフリルのエプロンをした男が脂汗を掻きながら後ろ手にエプロンの紐を解こうとしている。
だらだら、解けそうで解けないもどかしさに、全身からぶわっと脂汗が出る。
時刻は19時。先ほど、彼に電話をしたのはいつだった?
今日みたいに喧嘩をして彼が出て行く事は、実は珍しい事ではない。
その後何度か連絡をして、だいたい一時間前後でぐすぐす鼻を鳴らしながら帰ってくるのも定例なのだ。
そろそろ、一時間は経つ、危険です、これは!
早く、早く脱がなければと焦れば焦るほど手は震えて、だんだんと後ろを向いてる首が疲れてくる。
そのうちに、肩から手を抜いて、結び目を前に持ってくればいいんだと言うことに気がついて、
身体を捻って肩を抜こうとした時に・・・・・・・・・・・・・・・・首が吊った。
 
「・・・・・・・・・・・・・ッッ!!」
 
・・・!い、痛い・・・・・・・・・!!
ぎりぎりと悲鳴を上げる首、解けないリボン。
何故かそのまま腕も固まり、激痛の中で涙を堪えて耐える。
後ろを向いてる鏡の中には、水着の跡が残るお尻を晒した、裸エプロンの首の攣った男。ヘッドドレスつき。
こ、これは、なんという、私は!
羞恥と何がなんだかわからない光景に、思わず顔ががーっと赤くなって、涙が滲む。
彼がコレを着て欲しいといったから喜ばせたくて、でも似合わなくて、だから、脱ごうと。
彼の戻ってこない間に脱いで、そしらぬ顔で逆に着てみて下さいとお願いするだけの予定だったのに・・・!
私はどうしていつもこうなんだろう。
後ろを向いたままぎしぎし鳴る攣った首、痛みの所為だけではなく落ちる涙に、
そのうちに聞きなれた足音が、こちらに向かって走ってくる音が聞こえた。
少し軽めの、たったっとリズムよく走る、足音。
よく知ってる、足音。
聞きなれたその音と、きぃっと門を開く音に、うるさく鳴る心拍数は一気に最大値まで跳ね上がる。
 
や、やばい、やばいやばいやばいやばいやばい、これは、ちょ、ちょっと待ってください!!
 
せ、せめて何か、何か着てから・・・・・・・!
首は動かないから、身体を捩って辺りを見回すも今の自分を隠してくれそうなものは何も無い。
寝室まで、走るか、トイレ?ああ、でももう来てますよあの方!
せめて、このおかしくひんまがってる首を気合で前に押し戻して、激痛に涙を零しながら
玄関を見れば、構える前にがらぁっと玄関の引き戸が開いた。
 
 
「ヘイ、菊!ゲームゲーム、ゲームやらせてくれよ、ついでにお腹も減ってるんだぞ!」
 
 
あぁぁぁぁぁああああ来やがりましたよこのあえて空気読まないフリーダムメタボ野郎・・・・・・・・!!
 
玄関の引き戸を開けて意気揚々に入ってくるのは、予想通り、金髪碧眼の、身体の大きなフリーダム国家。
何度も土足厳禁だと伝えているのに派手なスニーカーでどかどか入ってきたミスター・ジョーンズは、
居間の姿見の前で固まってる私を見て、「ワォ」と声を上げる。
 
「なんだいそれ!ジャパニーズ新婚さんイラッシャイ?」
「み、見ないで、見ないで下さい・・・・!」
「・・・ん?ちょっと、それ、何処かで見たことあるぞ。後ろの裾見せてくれよ」
「ぎゃぁ!め、捲らないで下さい!ついでに、後ろのリボン解いて下さ・・・・」
 
ぺろりと丈の短いエプロンの裾を持ち上げてふぅむとテキサスを光らせるジョーンズさんに、
まずはリボンの結び目を何とかして欲しいと訴える。
ぺたりと座り込んでしくしく泣いていたら、またもや玄関の扉ががらっと引かれる音が聞こえた。
 
・・・・・・・ま、まさか・・・・・
恐る恐る玄関を見れば、予想通り、顔を真っ青にした恋人・・・アーサーさん。
・・・私って、一体どこまでお約束な人なんでしょう。
 
 
「・・・・・・・・・・・・・本田」
 
 
彼は真っ青になった顔とぶわっと浮かぶ涙を隠さずに、ぶるぶると肩を震わせて小さく小さく、声を出す。
ちっ、ち、違うんです、これは、アーサーさん、違うって何が?どこから?
このエプロン?ジョーンズさんが部屋にいる事?それとも、ジョーンズさんが私のエプロンの裾を捲っている事?
何からどう弁解していいのかわからずにぱくぱく口を開け閉めしていたら、空気読まない無敵の合衆国は、
とびっきりの笑顔で「ハイ!」とアーサーさんに右手を挙げた。
 
「何だいアーサー、君も来てたのかい?なぁ、コレ、このエプロン。
 コレってひょっとしてあの時の・・・・」
 
え、なんですかあの時ってどの時ですかジョーンズさんその話ちょっと詳しく・・・・
・・・・・・・って、そんな場合じゃないです!
アーサーさんはがががーっと顔を真赤にして、ぼろっと涙をこぼして、拳を握りしめて、叫んだ。
 
 
「ほっ、本田も、アルフレッドも、大ッ嫌いだ!ばかぁぁああああーーーっ!!」
 
 
叫んで、うわぁぁぁぁああんと泣きながら、彼はその足で踵を返して走って行ってしまった。
まるで、冒頭の時と全く同じように、きらきらと涙を光らせながら。
アーサーさん、待って!!
その後、気が動転した私が裸エプロンのままご近所を走り回り、警察を呼ばれたあげくジョーンズさんに世界会議の場で発表されて、
各国の皆さんにおおいにネタにされたのは、また別の話。
 
 
鎖国しようかな・・・・そう泣きながら呟いて、責任を感じたアーサーさんに泣かれた事も。
それもまた、別の話。