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         Bienvenu à café de François
モンマルトルのふもと、ちょっと路地裏で目立たないけど、自分的には結構気に入ってる小さな物件。
隣はパン屋、三軒先は結構大きなお花屋さん。ちょっと大通りに出ればストリップ劇場が立ち並ぶけど、ピガール駅目の前のムール貝屋は中々美味い。
知ってる?レオン。こちらに来た際は是非どうぞ。
ここで言うパリっ子っていうのは、このモンマルトルの岡の影が落ちるところまでって言われてるけれども、
実際は非常に治安も悪く最近はお肌の黒いお友達のほうが多いんじゃないかしら。
安いモーテルが立ち並ぶ大通りは、外国人のバックパッカーも結構多くて、だからなんだと言うわけでもないけれど、ここ最近パリもずいぶん物騒になってきたとは思う。
どうでもいいけどこの間強制執行されたパリ市内での喫煙禁止。
これのおかげで、お兄さんのお店も商売あがったりなんだけど、政府さま。
「ボンジュー。バゲット4本下さいな」
「ボンジュール、フランソワ」
「お元気?あらいい匂い」
「ショコラよ。ご一緒にいかが?」
「お望みのままにマドモアゼル。でもごめんねー、もうそろそろ店開けなきゃいけないのよ。追加でクッペももらっていーい?」
白い髪留めに、少し汚れた白のエプロン。ミトンを脱いでショコラを傾ける女性の手を取って軽くキスをして、篭に積まれてるパンを手に取る。
少し硬めの皮に、綺麗な焦げ目。もう冷めてしまってるけれどもふわりと鼻腔をくすぐる、小麦粉とバターの香り。
美味しそう、そう言って笑って、そばかすのある頬にキスを落としたら、彼女はくすぐったそうに笑った。
「どうぞ、好きなだけ持って行って。請求は月末分にまとめるわ」
「メルシー。あとで顔出してね。その時に一緒にショコラでも」
「メルシー」
バゲット4本、一回り小さなクッペを茶色の紙袋に入れてもらって、そのままちりんと店を出る。
時刻は14時。そろそろ学生さん達が学校終わって、鞄を片手にこちらに向かってくる頃だろう。
ボンジュール、フランソワ。
ボンジュー、課題はどう?進んでる?
終わってない!ここでさせて、今日篭る。
はいはい、ドーゾ。
またこんな会話から始まるんだろうな、今日も。
レンガ造りの歩道を、履きつぶしたスニーカーでぽてぽて歩く。
ああ、今日もいい天気。風は強いけど、気持ちいい。
丘の上にででんと建つのは白い聖堂、サクレ・クレール寺院。真っ白な外壁が太陽に照らされてきらきら光る。
無宗教ではないけど、特に決まった宗教があるわけでもない、信仰に不真面目な俺はあんまり足を運んだ事はない。
綺麗だなと思って、時々デッサンのお勉強兼ねてクロッキー帳とB2の鉛筆片手に登るくらい?
結構急な階段は、キャンパスと三脚持って上がるには、ちょっとだけ骨が折れるから。
かろん、と自分の店の扉をあけて買ってきたばかりの紙袋をどすんと置く。
5年前から始めた小さなカフェ、始めたきっかけは自分が苦学生だった時に、
落ち着ける場所欲しいなぁ、そう思いながら寒空の下、仲間でよくつるんでたから。
でっかいキャンパス、こまごました油絵の具のつまった年期の入った皮の鞄、普通のカフェでは邪魔だし何より学生は金が無い。
若いときっていいのよーいくらでもアイディアはぽんぽん出るし、描きたいものは山積みだし、好きな画家の話は皆でしたい。
あの技法は、あの陰影の付け方は、あれは本物か、贋作か。最近ようやく手に入った新しい絵の具、
ブランド物の筆に、古本屋で見つけた掘り出し物の画集。
そうそう、それに、クラスの可愛い女の子の話も。
彼女と一緒になれるのならば何を犠牲にしても幸せに、この肖像はあの愛しい人の為だけに。
愛の告白、受け入れて貰えぬのならば流れゆくセーヌ河にこの身を投げよう。
身振り手振りでオペラ歌手の真似して大きな声で喋って、歌って、笑って、勉強して、絵描いて。
そんな学生さんの為の溜まり場みたいなカフェやりたいなぁと思って、そろそろ5年。
予想してたよりも人は入る。評判上々、ただしソルボンヌ大学の苦学生限定、かわいー見知らぬ後輩たちはそれぞれの友人を連れてやってくる。
騒がしい日もあれば、すんごく静かな日もあったり、進路相談されたり、時には人生相談、愛の告白をされてしまったり。
女の子によ?光栄でしょーこんなちっちゃいカフェのオーナーが。
もちろん丁寧に断るけど、若い子はいいねーすぐに次の恋のお相手を探すために羽ばたける。
初めて5年目、色んな学生を見送ってきたけど、彼らはどこにでも行ける羽と靴を持ってる気がする。
未来は限りなく広くて明るい。全く羨ましい。彼らのキャンパスは真っ白で、それがとっても羨ましい。
俺のキャンパスは何色なんだろ。まだ何も描かれてない部分はあるかな。
油絵の具の乗ってない、真っ白な部分。あるといいな。きっとないけど。
ぱたんぱたんと窓を開けて、オープン準備。あ。忘れてたけど、今日学校休みじゃない?
ちっとも儲けにならない連中だけど、居なければ少し寂しいのよね。まぁ、本でも読んで、たまには俺も絵でも描こうかな。
かろん。
入り口にかけてある鐘が鳴る。
「ボンジュー・・・」
振り返って言いかけて、入ってくる客に目を細める。ボンジュール、言おうとしていた挨拶はそのまま「ハロー」という言葉に変えて、軽く片手を上げて、笑いかけた。
ドアのベルを鳴らして入ってくるのは、やせっぽちの小柄な英国人。
言い忘れてた、この店の、学生以外の常連さん。不機嫌デフォルト、太い金色の眉毛は顰められてるか無表情にまっすぐか、たいていどっちか。
グッドアフタヌーン、坊ちゃん。
トーションでお気に入りのジノリのカップを拭きながら彼の母国語で挨拶したら、彼はつんっとそっぽを向いて、バーバリー・ロンドンのトレンチコートをばさりと投げた。
「仕事どしたの。今日商談だって言ってなかったっけ」
「ストだ、スト。メトロが動かねー、やってられるか」
「あらら」
かっかしながら、胸元のジャケットから携帯電話を取り出す男、ぱかりと開いて、カチカチ弄る。
ぴぴっと鳴る電子音、耳にくっつけて、開口一番に「ストだ。今日一日止まってるみたいだから、明日にしてくれ」
最後に舌打ち、シット、ファッキン・フレンチ!怒鳴って叫んで、携帯を仕舞う。
あー、今、この子以外にお客さん居なくて良かった。
拭き終ったカップとソーサーをことんと置いて、持っていたトーションをカウンターの下にかける。
コーヒー豆はカウンターの上に、こっちにはこの自分勝手でオレ様な英国人の為の小さな箱が置いてある。
中身は紅茶。取り取りの綺麗な色の、フレーバーティ。
本日は何になさいますか、ミスター。
わざわざイギリスから取り寄せた王室ご用達のフォートナム・アンド・メイソン。
貰った木箱をカウンターに載せて、彼のお気に入りのウェッジウッドのカップを出して。
デザート、あるよ?
笑って言ったら、ようやく不機嫌な英国人は、ちらりとこちらに視線を向けた。
「帰りてぇ」
「またそういう事を」
「もうイヤだ。ストもメトロもやけに花屋が多い所もずっと同じ景色の建物も、あちこちから聞こえるフランス語にも耐えられねぇ」
「いや、ここフランスだしね」
「フランス人が多いんだよ!何で何処に行ってもフランス人に会うんだ、限界だ、もうやだ」
「二度言うけど、ここフランスだよ。坊ちゃん」
死にたい、つうか、殺したい、死んじまえ、フレンチ野郎どもめ。そう言ってカウンターに頬を擦り付ける彼に、ちょっと閉店のプレート出そうかななんて考える。
因みに喋る言葉は全て英語。少しイングランド訛りのある、硬ったい英語。
「アロー」で声をかけても返事は「ハイ」、「ボンソワール、坊ちゃん」「グッドイブニング、クソワイン」
意思の疎通がしづらいんですけど。
俺も英語はまぁまぁ得意だから、いいけどね。ていうかお前がここに通い出すようになってからぐんと上がったよ、英語力。
しゅんしゅんと湯の沸く音、ゆっくりと火を消して、温めたティーポットにこぷこぷ注ぐ。
茶葉はオレンジペコーのアールグレイ、蒸らしは一分半、お湯の温度は95度、どう、完璧じゃないですか。
同じように温めてあるカップにゆっくり注いで、頬をつけてる木製のカウンターにことりと置く。
どうぞ、と一緒に軽い茶請けに作ったマカロンを出したら、男はむくりと起き上がって、片手でぱさぱさの前髪を掻き揚げた後、背中を伸ばしてカップを持った。
「どうでしょ」
「・・・悪くない、今日は」
「今日も、でしょ。ソレ、新作なんだけど感想聞かせて」
「赤くねぇ?」
「ラズベリーの色?でも結構甘いよ」
眉を顰めて、真っ赤なマカロンを見つめる英国人。どっかの国のお菓子みたいに合成着色料どっさりの色じゃないから、安心してよ。
カウンターに背を向けて、作りかけのお菓子を小さな冷蔵庫から取り出す。
掌に乗る程の小さなケーキは昨日閉店後につくったもの。硬くなってないかな、そう思いながらナイフで軽く切り目を入れる。
坊ちゃん、嫌いなものあったっけ?フルーツとかで。
そう軽く振り返って聞けば、彼は更に太い金色の眉をひそめて、子供みたいに口を尖らせた。
「いい加減、お前、その呼び方止めろよ」
「坊ちゃん?名前教えてくれないくせに、呼びようがないじゃないの」
ぱくりとマカロンを含む、薄い唇。あんまり手入れしてなさそうな乾いた唇は、それでも色素は結構赤くて、勿体無いなぁといつも思う。
髪だって肌だって、あの太い金色の眉毛だって、きちんとお手入れすればそれなりに綺麗にはなりそうなのに。
言った所で恐らくナチュラルに「ゲイ野郎」と皮肉っぽく舌打ちされて笑われるだけだろうから、言わないけど。
この、フランス嫌いのフランス人嫌いなイギリス人は、時たま、時たまっていっても週に3回くらいは必ず来る。
むっつり不機嫌そうに眉を寄せて、大抵ビジネススーツに身を包んで、この町では見かけないような、トラッドなコートを片手に持って、きっちりしっかりネクタイして。
幼い見た目は学生みたい。それでも身に着けてるものは結構上質なものが多いから、きっとビジネスマンか、お金持ちの観光客か、どっちかだろうなぁ。
初対面の時に「観光?」と笑顔で聞いたら「誰がこんなトコ観光に来るか」と唸られて、あらら、前者だったかと肩をすくめた。
初めっからよくない第一印象、威嚇してる犬とか猫とかみたいに殺気だった状態で「紅茶」と言われた時には一体どんな客なんだと思ったけど。
だってここ、パリで紅茶を飲む奴なんていないしね。
コーヒーでもいい?美味しいのがあるけど。
そう、営業スマイル作って笑ってとっておきのロースト豆を見せてやったら、ぶっちんとすごい勢いでキレられた、ああ、懐かしい。
『これだからフランスはイヤなんだよ、英語は通じねーしどいつもこいつもやたらめったら香水くせーし挙句には何処に行っても紅茶は飲めねーしよ!
 ストだって何日やりゃぁ気が済むんだよ、オレをバカにしてんのか!!』
がぁん!と椅子を蹴っ飛ばして早口の英語で捲くし立てる英国人、幸いにも閉店間際だったから他のお客さんはいなくて、
あわわ、何、何なのこの子、と思わず警察を呼ぼうかと電話を手にしそうになったのを覚えてる。
聞けばフランスが大嫌いなくせにこっちの支社に飛ばされたこのイギリス人は、来た早々にストに巻き込まれタクシーの渋滞にはまり、当然仕事には遅れ、
鉄道に文句を言っても英語は通じず、フランスでは幼く見える容姿をからかわれ、イングランド訛りの言葉をバカにされ、一息つこうと紅茶を頼めばそこでも更にバカにされ。
もともと嫌いだったフランスが更に嫌いになったと、フランス人の俺にぼやく。
そんな馴れ初め。
何が気にいってくれたか、恐らく英語を話せる、プラス、フランス人にしてはイギリス差別の無い俺の所はまだ居心地がいいんだろう、
気が向いた時にふらりと遊びに来てくれる。
遊びに・・・ていうか、愚痴?言いに来てるだけのような気もするけれども。
「あー、まじむかつく。クソ、何でオレがこんなトコに居なきゃなんねーんだ」
「結構いい街よー。悪態ばっかつく前に、どっか観光でもしてきたら?案内しましょうか、お坊ちゃん」
「結構だ、この街の空気吸ってるだけで胸クソ悪くなる」
「あらそーぉ」
いつも思うのだけど、この子、この街で上手くやっていけないのって英国人云々よりもこの全く可愛気のない歪んだ性格なんじゃないだろうか・・・・。
気まぐれにふらりと来て、店にはないものをオーダー、口を開けばネガティブな愚痴ばかり、死んだってフランス語なんて喋るかと頑なな態度は俺の名前も覚えやしないし。
別にいいけど。
ついでに自分の名前も明かさない。つけたあだ名には毎回文句。
イギリス人って文句をいう事で生きてるって聞いた事はあるけど、この子はまさにこの典型。
恐らく何も危害を加えないフランス人が外歩いてるだけで頭に来てるに違いない。
笑った顔は、結構可愛いんだけどなぁ。年齢知らないけど。大人ぶってるけど、まだ10代なんじゃない?もしかして。
この傍若無人な態度は、なかなかいい大人には真似できない。
紅茶を一口啜って、満足そうに目を瞑って、その後男は小さく呟く。
がらんとした店内、学校が休みなら、きっと今日の客は彼だけだろう。
仕事もなくなったっていうし、ちょっと長居してくれれば俺も話し相手が出来て嬉しいんだけど。
「お前」
「ん?」
「何でこんなトコでカフェやってんの」
「色々あって。愛を配りたいんですよ」
「ばかみてぇ」
「ほっといて」
カウンターに背を向けたまんま、笑いながらバーナーセット、昨日のうちに作っておいたアメ細工を軽く炙って、色を着ける。
ぷん、と店中に香る、カラメルの甘い香り。
いい匂いって、幸せになるでしょ、どんなに怒ってても、苛ついてても、美味しいもの食べてる時は忘れるでしょう。
甘いものはエンドルフィンを分泌する効果があるんだって。エンドルフィン、いわゆる幸せホルモン。
自分の作ったもので誰かが幸せになるなんて、いいじゃない。それでもってそんなお菓子に合うコーヒー。
美味しいものを食べるための空間、誰かと一緒に食べればそれで幸せは倍になる。
一人で来る人は、もしよかったら俺と一緒に。
そんなお店が作りたくて。
独り言みたいに、歌うみたいに話しながら、ハイ、ドウゾ、とカウンターの上にピンクのプレートをことりと置く。
「坊ちゃん特製、スペシャル・オペラ。紅茶にも合うように工夫したんだけど、どうでしょう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「茶葉がねー入ってるのよ。今飲んでるのと同じの。これとかキレーでしょ?作りたてのうちに食べて」
バーナーのコンセントを抜いて、カウンターに手を突いて炙ったばかりの飴細工を指差す。
コーヒーシロップを使ってないガナッシュ入りのチョコレートケーキは、もうオペラとは云えないかもしれないけど。
だって、コーヒー嫌いだって言うんだもの。でもパリに居るならコレは是非とも食べて頂きたい。
チョコは好きみたいだから、今度甘めのショコラ・ショーでも作ろうかな。
彼は緑色の瞳をちょっとだけ丸くして俺の目を見て、その後、作ったばかりのケーキに視線を落として。
セットしてた彼の国のブランドのフォークを握って一口ぱくりと口に入れたら、険の強かった眉間の皺が、少しだけほわりと、和らいだ。
お国柄なのか性格なのか、他人にも自分にも素直になれないこの男は滅多に表情を変えてくれない。
俺たちフランス人から見たら常に面白く無さそうに怒ってるように見えるから(実際そうなんだろうけど)、きっとすごく孤立してんだろうなぁ。
小さく口を動かすイギリス人、どう?と聞いてみれば、男は下を向いたままぼそりと「うまい、」と一言、呟いた。
「合格?」
「うん」
あ、笑った。
味オンチ大国イギリス、こいつの場合はマズイ物はわからないが、美味しいものはわかるらしい。
ほら、やっぱり笑った顔は普通に可愛い。いつもそうしてればいいのに、そしたら誰もお前をからかわないし、イギリス人だからって差別もしない。
人に心を開いてもらいたいなら、自分から。
そんな事言った所で聞いてくれる筈は無いとは思うけど。多分、100パーセントないけど、そんなこと。
紅茶のおかわりもどうぞ。坊ちゃんしか飲まないんだから、ダメになる前に全部飲んでよ。
そう言いながらティーポットを傾けたら、彼は笑った顔をそのままに、フォークを握りながらこちらを向いた。
「お前って」
「何」
「ヘンなフランス人」
「皆俺みたいな感じですよ、フランス人は」
「ちげーよ」
「そうだよ」
くすくすと笑いながらプレートの上にある彼特製のケーキを口に運ぶ神経質なイギリス人。
ほら、人は美味しいものがあれば簡単に笑える。
さっきまでストがどーの、帰りたいだの死にたいだのフランス人は嫌いだの、そんな事ばっか言ってた仏国嫌いの英国人だって、こんな風に笑える。
自分のしてる事で、誰かが笑ってくれる。その時だけでも、幸せになってくれる。
こんな時が一番幸せで、ああ、いい商売してるなぁと、心から思う。
出来れば、仕事以外でもそういった事が出来るといいんだけど。これがね。なかなか。
皿を全部空にして、少しだけ覚めた紅茶を啜って、彼はうまかった、と目を瞑る。
味音痴のイギリス人。こいつ、ずっとここにいればそのうち味覚治ったりしないのかな。ただ単に、美味しいものを舌が知らないだけじゃないの?
こんな事言ったら怒鳴られるだろうと思いながら、綺麗なったプレートを下げようとカウンターに手を伸ばす。
すぐ傍には目を瞑った英国人。きらきら光る金色の睫毛。俺もよく長いって誉められるけど、この子も男のくせに結構長いなぁ。
カチャカチャフォークとプレートをまとめて、残りの紅茶を淹れなおして。
あ。口もと、クリ―ムついてる。
教えてあげようか指で取ってやろうか、いや、指で取るのはないだろう、スキンシップ慣れしてないお国柄。
口元に手を伸ばした手は無意識、怒られるからやめておけって。
気づいて、手を降ろそうとしたその時に、少し高めの電子音が、ぴりりりりりりりっと男の胸ポケットから鳴りだした。
ぱちん、大きな瞳をあける英国人。
口もとに伸ばした手はそのまんま。ばれたかな、と一瞬思ったけれども、彼は俺の手には気づかずにジャケットの内側から黒い携帯電話を取り出して、ぱかりと開ける。
ディスプレイを見て、その途端、男の顔は蕩けるように花開いた。
ぴぴっと通話ボタンを押して、嬉しそうに、「ハイ、ハニー」そう言って俺にくるりと背を向ける。弾んだ声。
どうやら彼には恋人がいるらしく、初めてそれを知った時、というか、この180度態度の変わった声と表情を見た時に、何だかわからないけど酷く寂しくなった記憶がある。
悪ぃ、と俺に目をやりながら携帯を握る、童顔の男。
いいよ別に、お客さんも居ないし、ごゆっくり。
ジェスチャーだけでそう言って、カウンター裏にある洗い場の蛇口をきゅぅっと捻って、手を洗う。
話してる言葉はもちろん英語、遠く離れてるんだろう、可哀想になぁ。ていうか。いいなぁ。
いいなぁっていうのは、何だろう、電話の相手?恋人との会話に嬉しそうな彼?よくわからない。
俺の前では全然変わらない表情、食い物っていう最終兵器を持ち出してようやく笑ってくれる様にはなったけど。
恋人と電話中の男の顔は、くるくる変わる。笑ったり、ちょっと困ったり、考えたり、少し、寂しそうな顔したり。
当たり前だけど、俺が今こうしてやってる事ってのは、大事な人の前では敵わないんだなぁと、寂しくなった理由はそれかと気づく。
いつも忘れて、こうして、やっぱり気づかされる。
「オーケイ、わかった。あのさ、今出先だから夜掛け直してもいいか?あ?バカ、してねーよ。
 ああ、じゃあな。愛してるよ」
I Love You、そう言って、彼はぴぴっと通話ボタンを切る。
切った後も、口角の上がった口もと、ディスプレイが暗くなってからぱたんとようやく携帯を閉じて、悪かったな、とこちらを向く。
イーエ、いつもゴチソウサマ。
によによ笑って洗ったばかりのプレートを拭けば、男は元の不機嫌そうな顔に戻って、からかうなよ、と不機嫌そうに唸った。
「からかってませんよ、いいわねーいつも幸せそうで。お兄さんにも分けてくれない?ミスター」
「やんねーよ、バーカ。お前一杯幸せもってそうじゃねーか」
「そんな事ないけど。さみしーさみしー独り身だし」
「へぇ」
「興味無いでしょ」
「うん」
笑って、紅茶、もう一杯、とカップを差し出す、子供みたいなミスター。
たまにはコーヒーも飲めばー?結構こだわり持って豆選んでるんだけど。
そう言っても返ってくる言葉は予想通り、それでも彼は楽しそうに笑う。ああ、愛の力って偉大だね。
俺も、誰かをこんな風に笑わせたいなぁ。それこそ、携帯電話のディスプレイだけで表情を変えられるような、そんな人に。
愛は一杯持ってるけど、くれる人って案外少ない。居ても、あんまり俺を知ろうとしてくれない、そんな人ばかりでちょっと恋愛には臆病になってるんだけど。
ついでに過去に大きなトラウマ。それでも、こうやって恋人の自慢をしてる彼を見ると、やっぱりいいなと羨ましい。
俺もまた、人を好きになってみようかな。そう思えるのは、まだまだ先だと思うけど。
「どんな人なの、坊ちゃんの恋人って」
「すっげぇ可愛い」
「あそう」
「聞くか?」
「じゃぁ今日はもう閉店にして、一緒に酒でも飲みに行きましょ」
「フランス人のいる店は嫌だぞ」
「いや、ここフランスだしね?」
来た時のやりとりそのまんま、二人で笑って、店の外のプレートを逆さまに返す。
気まぐれなカフェのオーナー、愛には飢えてるけど、配る愛は沢山持ってます。
貧乏な苦学生と近所のおばちゃん、あとはフランス嫌いのイギリス人しかお客さんはいないけど、もしパリに来た際はぜひ一度お立ち寄りを。
モンマルトルの丘のふもとの、カフェ・ド・フランソワ。貴方好みのお菓子と飲み物作って、待ってます。
「そういえば、坊ちゃんてお酒飲める歳なの、未成年だと思ってたんだけど」
「ふざけんな!今年で23だ」
「うっそでしょ?俺と3つしかかわんないけど」
「はぁ?どう見ても30越えてるようにしか見えね―けど。オッサン」
「失礼ねこの童顔イギリス人!」
「どっちがだこのクソフレンチ!」





【Brioche a tete】のmarieさんとコラボさせて頂いています
絵→marieさん 字→カスミ
marieさんの素敵なイメージイラストは下のお菓子からどうぞ!




行ってらっしゃい!









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