まだ俺もアーサーも若くてやんちゃで、喧嘩ばっかしてたけどそれが愛情表現だとでも言う様に二人でボロボロになって笑ってた時期があって。
その時のアーサーはとにかく怖いもの知らずのイケイケで、いくら心に傷を負っても、それをバネに前に立ち向かっていく強さがあった。
俺は俺で自分の事で忙しいのにこのクソ生意気な海賊がちょっかいかけてくるから更に色々目が廻ってて、とにかくこの時期の世界は色々カオスで。
何故だか、国っていう自分の責任とは別に、個人的に、こいつと一緒にいる時期があったんだよね。
お互いぼろぼろで、何かに寄りかかりたかったのかもしれない。
何もお互い喧嘩相手に寄りかかる事ないじゃないとは思うけれども、一緒に居て心地が良かった。
心地が良いといっても、安心感がある訳ではない。むしろ逆。
きっと根っからのマゾ体質である俺は、仕事で疲れてヘロヘロになった後も、恋人なんだか近所の弟なんだかただのセックスフレンドなんだか、
とにかくそんなよくわからん関係の男に、手作りの料理を振舞う為にキッチンに立つ。
一体何やってるんだろうと思わない訳でもない。でも男相手に、とは思わない。
だって俺の恋愛にボーダーは無いもの。
年齢、性別、上限下限共に関係無し。人生一度限りだもの、やりたいようにやればいいじゃない。
………でも、この関係はそのうちスッキリさせないと。
カシャカシャとボウルでドレッシングを泡立てながら、落ちそうになってる瞼を気合と根性で抉じ開ける。
時刻は深夜、日付が変わってから一時間。そろそろ、帰ってくるかしら。
目にかかるうざったい自慢のブロンドを掻き揚げて、そろそろ髪も切らなきゃなぁと思いながら小さく欠伸をしたら、
ガチャンと玄関の扉が開くと共に、バタバタと煩い足音が響いてきた。
「おいクソ髭!大漁だぞ、アントーニョの船ボコボコにしてきた!」
「……一応お兄さんのお友達だから、大事にしてあげてね。ねぇ、何でズボンのチャック開いてんの?ねぇ何で?」
「あっ、あのヤロ。中身ロクなもん入ってねーじゃんか。明日もー一回泣かす」
「どうやって泣かせたのか教えなさいよ!」
持っている銀色のボウルをテーブルに置いてきぃっと叫べば、アーサーは楽しそうに、茶色く汚れた頬をぬぐって笑う。
メシ、何?
潮で色褪せして薄汚れたコートをばさっとリビングの椅子に投げて、猫脚のチェアに腰掛けて。
ちょっと、それ、今度上司が来る時に使うんだからあんまり粗末に扱わないで頂戴。
あと、お前、いい加減風呂入れ。もしくは香水くらいつけなさい。
つん、と鼻をつく独特の潮の匂いと葉巻のしみついた匂いに思わず目と鼻を顰めて右手を振る。
湯浴みだなんだっていうのはあの頃の欧州では習慣になってなかったし、俺だって滅多に風呂なんて入りはしなかったけど、
この時期のコイツは特に酷い。酷かった。
16世紀後半、世界で一番汚い都市という大変不名誉な称号を頂いてしまった霧の街ロンドン、その通り名は伊達じゃない。
メシの前に風呂!水でもいいから洗ってこい!
潮でベタベタになってる衣服を纏めて取っ払って、カリンカリンの身体をバスルームに放り込む。
寒ぃんだよ、バカァ!
ぎゃぁぎゃぁと猫みたいに喚く男に「綺麗にしたら食わせてやる」とキッチンから叫んで、先ほどの料理の続きに取り掛かった。
素行が悪くてマナーが全くなってない、意地っ張りで我儘なヤンキー海賊。
元々は仲良くやってた筈なのに、ていうか、そう思ってたのは実は俺だけで。
色々と面倒見てやってた小さな金色毛虫は、ある日突然、牙を剥いた。
どうやら俺の下に居るのが昔から大層気に入らなかったらしい。特に、兄。
兄弟仲の悪いこいつの家はずーっと前から荒れに荒れてて、一番ちっちゃいこいつが覇権を持つようになってからは、更に荒れて。
それぞれが独立独立、分裂したいと騒ぎたてる兄達を小さなアーサーは一生懸命纏めていて、それは何だか見ていて少しいじらしかった。
やり方は随分姑息で、正直それはどうよ、と思う様な事もあったけど。多々。
取り合えず、あの、スコットランドの石の件は鬼畜だったと思います。
めきめき力をつけて調子にのったヤンキー小僧は、その後もますます付け上がる。
嫌われ者のカークランド、その名をグレートブリテン連合国に変えて、好き勝手やっては他国からの信頼を失っていく。
強い奴が偉いんだ、そしたら、誰もオレをバカにしないだろ。
「悔しかったら、勝ってみろ」、そう、笑いながら頬に飛んだ血糊を拭う小さな海賊に、敵ながら、何だかこいつ、不憫だなぁなんて思った。
「フランシス!おい、タオル!」
「はいはい。ちょっと待ってて…」
「待てるか!腹減ってんだよ!」
仕事とは切り離しての個人的なお付き合い、んな訳ない、こんな風にこいつと会ってるなんて上司に知られたら卒倒もんだ。
「寒ぃ!」と喚きながらバスルームから裸のまんま、べちゃべちゃと床を濡らして出てくるアーサーに、
「身体くらい拭きなさいよ!」とタオルを投げつけて、そのままがしがしと金色の頭を乱暴に拭いた。
「でさ、今度はあっちに足伸ばしてみようと思って」
現在、真夜中、丑三つ時。
こんな時間にご飯食べたら太っちゃうじゃない、そう思いながらの夕食開始。
軽く欠伸をしながら、作ったばかりのポタージュを口に運んでいたら、アーサーはがちゃがちゃ皿を鳴らしながら、
嬉しそうにそう言った。
「…あっちって、こないだ言ってたでっかい大陸?大西洋渡って?止めなさいよ、何も無いって言うじゃない」
「北欧の奴等が何か見つけたって言ってたんだよ。変な力つけねーうちに、オレのもんにする。付き合えよ」
「えー、お兄さん忙しいし」
「浮気すんぞ」
「してるでしょ」
ちろりと視線をやりながら軽く息を吐けば、目の前の男は「どうでしょう」なんてにやりと笑って、皿に乗ってるサーモンを一口で飲み込む。
それ、わざわざ遠い海から取り寄せたヤツで、ドレッシングもいちから作った自信作なんだけど。
ちゃんと、味わってんの?それ、あと、お皿。
あんまりキィキィナイフ鳴らしたら傷がつくから、ちょっと、止めてよ。
こいつがもっともっとちびっこい時に礼儀作法は一通り教えたけど、どうにも味覚と、それに順ずるマナーだけは直らない。
相変わらずナイフとフォークの持ち方はおかしいし、何度「どれが一番美味しい?」と聞いても「全部」としか答えない。
何も言わなければ手づかみで食べそうになってるし、脚だってぶらぶら、落ち着かないし。
あ、あと、服ね。
どうにもそのもっさいだっさいセンス、何とかならないのかしら。
お互いの立場上、公な舞踏会には連れて行けないけど、小さなパーティとかであればたまには一緒に行きたいのに。
何回整えてやってもすぐに眉毛も髪の毛もぼさぼさになるし、そもそもこの子には美しいものを美しいと思える感性が無い気がする。
ついでに味覚も。
我ながら、なーんでこんな子と一緒に居るのかしらと思いながら、言われるがままに「おかわり」の皿を受け取って、綺麗に盛る。
「どれが一番好き?」いつも通りに聞いてみたら、「全部」と、いつも通りの答えが返ってきた。
いつも一人ぼっちで、愛情を欲しがってる癖に、どうしたら人から愛されるのか分からなかった、小さな島国。
たまに優しくされると嬉しくて、舞い上がって、調子に乗って裏切られて。
愛される事を知らないこいつは、愛する術も知る筈が無い。
押し付けがましい愛情、例えば子供が一方的に起こす癇癪の様に。制御の利かない感情は勝手に相手を遠ざける。
自分の何がいけないのかを振り返る事もなく、反省もせず、憎悪だけを募らせて、歪んだ感情は更に加速をつけて、ひん曲がる。
根は素直で、一生懸命なのに。
小さな頃に面倒を見ていた手前、何とかしてやりたいと思いながらも結局俺もそんな力も余裕もなく、だらだらと変な関係のまま、今に至って。
これって一体何なんだろう、愛情?友情?家族愛?
愛の形は様々あれど、自分の感情程訳のわからないものは無い。
自分の事に精一杯で、考える事も億劫で、取り合えずいずれどうにかなるでしょうとそのままだらだらとしていたら、
関係は思いもよらない形で終了した。
「いいよ、行こうか。船でしょー、何日かかるかな」
「明日出発するから、今日中に用意整えろよ」
「明日!?ちょっと、無茶言わないで!」
「もうベールバルト達が向かってんだよ!遅れ取ってたまるか」
「お得意の略奪でもすればいいでしょ、もー…」
二人で向かった、大西洋越えた所にある、インディアンの住む巨大大陸。
俺たちはそこで、小さな子供を発見する。
俺たちと同じタイプかな。まだ小さいな、会った時のアーサーみたいだ。
二人で笑って、手を取って、どっちが育てるかで大喧嘩して、結局その子供はアーサーの手を取って。
「…まさか、いきなりあんなにでっかくなって、横から掻っ攫われるとは思わなかったのよ……」
はぁー、とワイングラスをことりと置いたら、目の前にいるアントワーヌは面白そうに、ふそそそ、と笑った。
「好いとったの?アーサーを。知らんかった」
「そりゃ愛しましたよ、俺なりに、一生懸命。でもあの子、愛ってもんを知らないから」
「伝わってなかったんちゃうの」
「知らなーい、もう」
あれで伝わってなかったのなら、鈍感通り越してただのアホだ。愛欠乏症、それがたたって犯された病、まさしく病気。
いつでも愛情を欲しがるアーサーに、眠い目擦って、仕事の愚痴を言いたいのも我慢して、自分の予定だって後廻しにして、いつでもあいつを優先して。
愛情を与えれば与えるほど付け上がって、更にそれ以上を求めてくる男に、俺も、もしかしたら限界だったのかもしれない。
気持ちが離れたのはきっとあいつの方が先だけど、別れたいと切り出したのは俺だった。
その後俺の代わりに、アーサーの隣に居る小さかった子供を見ても、特に何の感情が沸く訳でもない。
あいつは、寂しいと駄目になるから。
俺の代わりに愛してくれる奴を見つけて、良かったなぁ、とすら、思った。
くるくるワイングラスを回しながら、自分で持ってきたミモレットをかちりと齧る。
酔っぱらうとどうしても昔話がしたくなって、まぁちょっと、聞きなよ、誰かの不幸自慢程聞いててだるいものはない。
こんな話を聞いてくれるのは昔っからの悪友だけで、ていうか、話せるのもこいつらだけで。
昼間っから一緒に飲みに付き合ってくれるアントーニョ、同じようにワイングラスを傾けて一度喉を鳴らしたら、
アントワーヌは「アーサーなぁ」と、ちょっと何かを思い出すように、遠くを見て、呟いた。
「あいつ、愛されたかったんと違くて、誰かを愛したかったんと違ゃうの」
「…………なにそれ?」
「損得なしに、一生懸命愛情を注げる相手が、欲しかったんと違うかなぁ」
「…そうかな」
「愛されるより愛したい?何かね、親分あいつにボコボコにされた時に思ってん」
そんなもんかな。
今となっては、あいつの思ってた事なんて何もわからないけど、きっと俺の愛情は伝わってた。
エスカレートしていく要望に、俺なりに頑張って着いて行こうとして、結局破裂して、駄目になったけど。
思えば、あいつからの愛情を貰おうなんて、はなから思ってなかったかも知れない。
こういう奴だからと決めつけて、愛を注ぐのに精いっぱいで。
欲しがるだけ愛情を注いで、我が侭を聞いてやるのが、愛だなんて思ってた。
結局俺は、アーサーの気持ちなんて、読もうと思った事も無かったのかな。ひょっとして。
あーあ、とわざとらしく溜息ついて、ずばりと指摘する悪友に笑いかける。
ぼけで鈍感なアントーニョ、へらへらしながらいつも核心をつくこの男は、長い付き合いになるけれども未だにどうして、あなどれない。
実は結構腹黒いし。
天然のフリしてるだけでしょ、そう言ってワインのボトルを傾けたら、悪友は「してへんよ」と、ふそそそ、と笑った。
「フランみたいなええ男なら、すーぐ可愛い嫁さん見つかるってぇ」
「あら、そーお。抱いてくれる?アントワーヌ」
「あかん、勃たんわ」
「勃起されても困るんですけど」
男二人で昼間っからワインで乾杯、酒のつまみは俺の昔の失恋話。
損特なしに、誰かに一生懸命愛情を。
もしも、アーサーもそんな事を望んでたのだとしたら、確かに俺たちは合わなくて当たり前だったと思う。
だって俺も、愛は貰うより、与えたい。
与えてばっかで、貰おうとしなかった俺は、もしかしたらあいつにしてみれば、少し寂しかったのかもしれない。
アーサーが全身全霊をかけて愛し抜いた、あいつの小さな弟、アルフレートを見て思う。
俺も、あいつの半分くらい、我が侭言ったり困らせたり、してみれば良かった。
あんなに喧嘩ばっかりしてたのに、結局根本は何も分かっちゃいなかった。
はーぁ、と小さく溜息。
過去には戻れないけど、やり直せるものなら最初からやり直したい。
やり直した所で結果は同じ、わかっちゃいるけど、一体何処から狂ったんだろう。
別れたいと言ったのは自分の方なのに、まだ未練の残る素振りに、自分自身で自嘲する。
ああ、もう、駄目だ。
こんな時は飲む、飲むに限る。
「あー、もう、今日は潰れるまで飲む」
「親分の部屋で吐かんでね」
「そういえば、お前昔、アーサーにフルボッコされて泣かされた事あったでしょ。あの時、一体何されたの?」
「い、嫌や、嫌や思い出させんといて!」
「あの日つやつやのアーサーは何でか知らないけどズボンのチャックが全開で」
「嫌やぁぁぁぁああああ!!!」
うずくまって叫び出すアントワーヌに、写真でも撮ってやろうかとけらけら笑う。
心の傷は正直、まだ癒えた訳じゃない。伊達に100年単位で付き合ってた訳じゃない。
それでも、お互いが前に進む為に、一緒に居た思い出を少しでも良いものとして、消化出来るようにする為に。
いつか、笑って話せるといいな。
その時に、あいつの隣に他の誰かが居たとしても。
二本目、付き合ってよ。そう言ってワインのコルクをすぽんと開けたら、長い付き合いの友人は「いくらでも」と笑って、ワイングラスを傾けた。