国としても、仕事でも、プライベートでも、お互いいつも喧嘩ばかりで、短気なオレはいつもあいつに殴りかかって。
我ながら意固地で頑固な性格は直そうと思ってもすぐに直る訳でもなく。
結局、いつも最後はフランシスが溜息混じりに譲歩して、喧嘩は「わかったよ、好きにすれば」っていうあいつの言葉で締めくくられてた。
ああ、好きにするよ、てめーに言われなくたって好きにするよ!
そうしてよ。正直俺も疲れた。
止まらない口に、吐かれる溜息。
違う、こんな事が言いたいんじゃない。
謝りたい。オレも悪かったからって、オレも少し、素直になりたい。ごめんって言って、許して欲しい。
意地ばかり張って、虚勢ばかりで、無駄に高くなったプライド。
心が弱いからこそ必死で塗り固めていた脆いそれは、こんな時まで素直になる事を邪魔する。
喧嘩のきっかけなんて、いつも本当に些細な事。
どうでもいい事にむきになって、案の定手が出て、やりすぎた、言い過ぎた、そう思っても、口と身体は止まってくれない。
気づけば言い負かす事が目的になってて、自分が正しいんだと、いつもいつも、謝る事が出来なくて。
変わりたい。いつもいつも、思ってた。
それでもオレは、いつも、こうで。
『…痛ったぁ。お前、ほんと何度言っても直んないね』
『うるせぇ!今後一切、オレのやる事にケチつけんな、バーカ!』
『わかったって。全部、お前のやりたいようにやればいいよ』
いつもの様に小さく鼻から息を吐く、フランシス。
いつもいつも、気づくのに遅れるオレ。違うのに、こんな事が言いたいんじゃ、ないのに。
フランシス。違うんだ、オレのやりたい事は、やりたかった事は、
お前を、
『別れよっか。アーサー』
愛したいと、思ってたのに。
別れよう、フランシスの口から発せられたその言葉を聞いた時に、ああ、ついにきたか。冷静な頭でそう思った。
いつかは愛想をつかされるだろう。そう思いながらも止まらなかった、こいつへの罵倒。
すぐに頭に血が上って、手を出して、それでも笑って許してくれるこいつの優しさにひたすら甘えて。
甘えてる態度すら形になってなかった。
優しくされる事に、慣れてなかった。
どうしたらいいのか分からなくて、混乱した。
形の無い愛情なんて、無償の愛情なんて、あるわけない。どうせ、こいつだって。
喜んだら、まだ騙されたと笑われるんじゃないか、弱みにつけこまれるんじゃないかと。
怖かった。いつも、いつも、怖かった。
『アーサー、ゴハン何がいーい?』
『何でもいい。ていうか、今日帰らねーかもしんねーし』
『またー?もー、待ってる者の身にもなってよ』
『待っててくれなんて言ってねーよ』
『素直じゃないって可愛くない』
『うるせーな、好きにさせろよ!』
…優しく、してもらったと思う。
フランシスは、欲しかった言葉をかけてくれた。何でも笑って、許してくれた。
どこまで、許してくれるのか。愛情の限界値が、知りたかった。
仕事でもプライベートでも、オレはあいつに文句ばかりつけて、意地張って、わざと嫌がる様な言葉を選んで、傷つけて。
国としても個人としてもコンプレックスの塊だったオレは、そうする事でしか感情をぶつける事が出来なかった。
粗悪でマナーも知らなかったオレに、いちから何もかも教えてくれたのは、フランシスだ。
美味い料理も、オレにはない社交性も、綺麗な外見も、着てる服だって。何もかも、羨ましくてたまらなかった。
真似をしてみても似合わない、笑われるだけだと思って素直に教えを請う事も出来ずに、ただただ、自分の殻に閉じ籠って。
明日こそは。明日こそは。
ちゃんと言おう、ちゃんと、有難うって。素直になって、あいつと同じ顔で笑って、オレも。
オレも、好きだって。
ちゃんと言うんだ。
思ってたのに、思ってるだけでは叶わない。
結局壊せない高いプライドと、偏屈な性格は、直らなかった。
『別れよっか、アーサー』
『………別に、もともと付き合ってなんかねーし』
『俺は付き合ってると思ってたんだけど』
『…へー、知らなかった。別に、オレは、お前なんか居なくたって、別にいいし。せーせーする』
『…そっか。悪かったな、今まで』
『……誰がお前なんかと、別れるとか、ばかじゃねーの、オレが、お前となんて、だって、もともと…』
『だよね。もともと喧嘩しかしてなかったし、お前、いつも俺と居る時嫌そうだったし』
『……………、』
『今までありがとな。アーサー』
何百年と付き合ってた喧嘩相手で、唯一のオレの理解者だと思ってた男は、結構あっさりと、オレに背中を向けて踵を返した。
ここ何年もしてなかったキスは、最後の最後までして貰える事はなく、出るかなと思ってた涙は、最後まで一滴も出なかった。
愛情は、貰ってばかりじゃダメだ。貰った分だけ返さないと、いつか返って来なくなるよ。
笑いながらそう言ってた、フランシスの顔を思い出す。
あいつは、いつもいつも、オレに愛情を一杯くれた。両手に抱えきれない程の、山盛りの愛。
受け止め方が分からずに、混乱して投げ返してしまった事はあっても、オレからあいつを愛そうとした事なんて、一度も無かった。
口を開けば文句ばかり、態度にも出さずに、いつも、機嫌悪く振る舞って。
伝わらなくて、当たり前だ。そんな努力なんて、しようと思った事も無かった。
言葉が出なかった。
踵を向けるブロンド、引きとめなきゃと思う手はぴくりとも動かず、開いた瞳は、瞬きも出来ない。
フランシス、
それでも、ちゃんと、好きだったんだ。愛してたんだ。
分からなかったんだ。どうしたらいいのか、どうやって、素直になったらいいのか、笑っていいのか。
愛情を失うのが怖くて、その度に我が侭を言っては、困った顔してそれをきいてくれるあいつを見て、安心して。
まだ大丈夫。こんな迷惑をかけても、こいつはオレの傍に居てくれる。
まだ嫌われてない、大丈夫。大丈夫。
試す様な事ばかりして、その度にドキドキして、ほっとして、時間が立てば、また愛情を試したくなって、無理難題を押し付けた。
いつ終わってしまうのかが、怖かった。
怖くて怖くて、だから、あいつがオレ以外の奴に笑いかけてるのが死ぬほどイヤで、何度もキレて喧嘩して、どんどん、あいつを縛っていった。
自分が嫌で仕方なかった。
女の腐ったやつみたいな自分が、死ぬほど嫌いだった。
更に愛されてる自信は減退し、あいつも、ほんとはこんな自分嫌いなんじゃないかと、どうせ、影ではオレの事をうざったく思って、
笑っているんじゃないかと。
何もかもが信じられなくて、信じるものが何も無くて、結局、最後は自分で自滅して。
馬鹿じゃないのか。本気で。
あいつは、いつもちゃんと、真正面から向かい合ってくれてたのに。
『悪いけど、しばらく、公式の場でも声かけないで』
シャツの裾を翻して、踵を返すフランシス。
小さくなる背中が視界から消えたと同時に、オレもそのまま、自分の家に向かって走り出した。
愛情だけは欲しがって、相手には何も返さないで、都合のいい時だけ、会いたくて。
最悪だ。別れられて、当然だ。
愛想をつかされて当然だ、もっともっともっともっと、ずっと前にフラれるべきだったんだ。こんな奴。
走ってるうちに息が上がって、はぁはぁと胸が上下する。
更にスピードを上げて、たすたす走っているうちに、鼻の奥がつんとした。
覚えのある感覚に、奥歯を噛んで、ぶんぶんと頭を大きく振る。
泣くな、泣くな。こんなのは悲しく無い、いつかは壊れる事だったんだ、少し、早かっただけだ。
壊れる前に、壊しただけだ。
だって、オレは、オレは、あんな奴の事なんて。
はぁはぁ、たすたす、びゅんびゅんと風を切って、舗装されてない道を走る。唇を噛む。
フランシスに貰った銀製のロケットがかちゃかちゃ胸の上で鳴って、感情のままに千切って、そのまま振りかぶって、ぶん投げた。
「…アーサー?おかえり、早かったんだね」
「……ただいま。アル」
「今日は俺がご飯を作ったんだぞ。フランシスみたく美味くは作れなかったけど、食べてくれよ」
「…お前、また身長伸びた?」
「本当?毎日大きくなりたいって願ってるからかな」
アルフレッド。
寒さで真っ赤になってる顔で家に帰れば、ここ最近で急激に成長した弟が迎えてくれた。
太陽みたいに笑う、アル。
フランシスと一緒に見つけて、オレが、一生懸命育てた、大事な弟。
愛する事を知らなかったオレが、唯一と言っていいかもしれない、不器用ながらも慈しんだ、大切な。
頭一つ小さな金色の頭を抱きこんで、ぎゅぅっとそのまま、力を入れる。
緑の匂い、土の匂い。広大な敷地と豊かな自然を沢山持ってるこいつの身体からは、いつもあったかい匂いがする。
瞳を瞑ったら、こいつを育てるって決めた時に、言われた言葉を思い出した。
『アーサー、お前、育てるんならちゃんと愛情持って育てろよ。お前結構歪んでるから』
『当たり前だ!歪んでなんてねーよ、失礼な奴だな』
『歪んでますよ』
『大事に育てるんだ。素直で、強くて、優しい奴になるように』
オレみたいにな奴には、ならないように。
そう言って、アルフレッドの金色の髪を何度か撫でたら、フランシスはちょっと困ったように笑ってた。
こいつの前では、素直になれる。
フランシス、お前に言われた通り、愛情持って育ててる。
あまり身長の変わらない所にある、ふわふわの金色の髪の毛。
すん、と鼻を鳴らして匂いを嗅いだら、アルフレッドはくすぐったそうに笑った。
アルは、でかくなったよ。フランシス。
オレと違って、素直で、優しくて、お前みたいに、暖かい。
「アーサー、ちょっと、くすぐったいぞ。離してよ」
「うん」
「アーサーってば」
「…うん」
「……アーサー?」
こいつに向けてる素直さを、ちょっとでも、あいつに、フランシスに向けることが出来てたら。
変なプライドや、過去の諍いや、仕事の事なんて関係なしに、きちんと向き合って、笑えてたら。
もっと、もっと、オレが、あいつを大事にしようと、していたら。
『別れよっか、アーサー』
もしかしたら、こんな終わり方は、しなかったのかなぁ。
「……アーサー。アーサー?泣いてるの?」
「………っ、ひ、ぅ、う、う、うー…」
「アーサー」
「ぅ、っう、うぁ、あー、うわぁぁ、うわぁぁぁああ、」
別れないで欲しいと、こうやって、今みたいに、泣けてたら。
過去には戻れない、もしかしたらなんて、起こらない。
それでも、もし、あの時。
無駄な事を願わずにいられないくらい辛いなら、どうして、あの時に泣かなかったんだろう。
『アーサー。どれが一番美味しい?』
『全部』
『全部って何よ。一番は何かって聞いてんの』
『だから、全部だって。全部美味い』
ぎゅぅぅとしがみつくのは暖かくて安心する弟の背中。
フラれた男の背中と比べて、またぼろぼろぼろぼろ、涙を流して。
少し困惑しながらも、小さな手でオレの頭を撫でてくれるアルに甘えて、オレは、声をあげていつまでも、泣き続けた。