「……なにソレ?馬鹿にしてんの?」
度重なるすれ違いと、一緒にいても、思う通りにならないとすぐにかちんと来る短い堪忍袋。苛々する。
お互いに目が廻るくらい忙しくて忙しくて、こんな時だからこそ二人で手を取って、お互いを気遣わなければならない時期だとはわかっているのに、顔を突き合わせば喧嘩ばかり。
大好きだから一緒に居る筈なのに、大事に思ってる筈なのに、優しくできない。
我ながら器量が小さいとは思っていながら、我が侭な姿勢を崩さないプライドの高い恋人に、今日こそキレた。
「ゴメン、もー、俺、無理だわ。俺にも余裕があれば手放しで抱きとめてあげれるけど、流石にこれはない」
「……………………」
「何で浮気すんの?ねぇ、何で?俺、何か悪いことした?」
小さく唇を噛んで俯く、年下の恋人。
見せつける様に残してある首筋の鬱血の跡は、どうしたって嫌がらせにしか見えない。
普通、バレたくなければそういう所につけないでしょ。俺にだって、いつも付けさせないでしょ。
わざとでしょ。なんで?何で、わざと怒らせる様な事するの。嫉妬でもしてもらいたいの。それとも、本気で別れたいの?
「どっちにしたって、そんなおかしな小細工する神経が分かんない。別れたいなら、言えよ。浮気がバレたくないなら、隠しなよ。どっちなの」
「…………………………」
「……わかった。もういい。じゃぁね」
「……フランシス!」
「何よ」
「……………あの、」
踵を返せば、止めてくるし。腕を掴めば、黙り込む。
浮気の一つや二つでガタガタ言うほど、器量狭でも無い。お互い我慢が苦手な事は承知の上だ。
この一人ぼっちの大英帝国が人一倍寂しがりやで、誘惑に弱くて、人恋しい性格だという事も。
「お……お、お前が、お前がオレを放っておくから」
「お前だって、俺を放っておくでしょ。いつだって自分の都合ばっかで」
「オレはいいんだ、でも、だって、お前が」
「俺が居なくたって、一緒に寝てくれる相手がいるんでしょ?何よ、これ。随分情熱的な噛み痕じゃない。これ、いつ?そんなに時間経ってないでしょ?」
「…………」
「聞いてんだよ。いつ。アーサー」
「……昨日」
はぁっ、と息を吐いて、だぁん!とテーブルを殴って、蹴った。
びくっ、とアーサーの身体が強張って、怯む。怖がらせてる。わかってる。けど、無理だ、限界。
相手が何処の誰だかなんて知らないけど、昨日の今日で、よく俺の家に来れる。男?女?どっちだっていいけど、流石に一緒のベッドで寝ようなんて気にならない。
人の事を言えるほど俺だって清い身体じゃなんてないけど、明らかにこれはルール違反だ。
今日だって、誰の為に早く帰って来たと思ってんの。馬鹿みたいじゃない。
会いたいから、優しくしたいから、一緒に居たいから、俺はお前の所に帰って来てるんでしょ。
悪いけど、一方通行の愛情だなんて、今は、無理。
倒れたテーブルと椅子をもう一度軽く蹴って、俺はばっさばさになってる髪を掻き上げる。
自慢のこのブロンドも、ずっと洗えてない。もう、疲れた。
「別れよう」
もう、俺、マジで無理。
そう、吐く息と共に静かに言ったら、アーサーは唇を噛んで、ぼろっと大きな瞳から涙を落した。
「無理なんだよ、もう、やっぱり、俺達。潮時だと思う」
「……や、やだ、いやだ」
「かまってもらいたがりのお前に、俺も今はついていけない。これ以上お互い一緒に居ても、為にならない」
「いやだ、これは、だって、お前に」
「嫉妬してもらいたくて?嫉妬されて、愛されてる事を確かめたくて?そうさせる俺も悪いんだろうけど、お前も、そんな事したくないだろ」
「………………」
「愛情の無い奴と寝ても、お前は絶対に満足しない。ごめんな。そんな事させて」
「…………フラ、」
「俺と別れて、四六時中お前の事を見てくれる奴、探せ。きっと居るよ」
「……やだ」
「別れよう」
「やだ!」
「俺だって、ちゃんと愛されたいんだよ」
与えるばっかの愛はもう疲れた。
戦いで汚れた服を払って、枝毛だらけになった金色の毛先を見て、埃っぽい顔を拭う。
俺だって、誰かに優しくして欲しい。疲れた体を抱きしめて、おかえりと言ってくれる人が欲しい。
裸でベッドで抱き合って、朝におはようと言って笑って、キスして、また抱き合って。
初めの頃は出来てたのに、どうしてこうなっちゃったんだろう。
お互いに好きだっていう気持ちは、きっと変わってない。形が変わってしまった。
俺は安らぎを求めたし、こいつは更に強くて激しい愛を求めた。
気持ちが深くなればなる程、失う事を恐れて歪んでいく愛情は、今の俺にはきつすぎる。
頼むよ、そう、片手で顔を覆って消え去りそうな声で呟いたら、アーサーはそれでも「いやだ」と頭を横に振った。
潮で傷んだぱさぱさの金髪が、きらきら光る。
国としても未熟で不安定な、嫌われ者のグレート・ブリテン。
俺までこの小さな身体を突き放してしまったら、こいつは一体どうなるんだろう。
そう思って、今までずっと、疲れた体を叱咤して、抱きしめてた。
こいつが悪いんじゃない、俺が悪いんだ。
こいつの性格を知ってて、受け止めてやれなかった。余裕がなかった。こんな辛い関係にさせたのは、きっと俺だ。
「ごめんな。アーサー」
「……やだ、いやだ、いやだ、いやだ。フランシス」
「ごめん」
「いやだ!」
泣いてるアーサーを、俺はもう慰めてやれない。
このままだらだら、ずるずるやっても、いい事なんて何もない。俺じゃ、駄目なんだ。
フランスはこれからまだまだ、激化する。革命が起こって王制が破綻した今、国民による国作りが始まる。
めぐるましい国の変化に、身体と気持ちがついていかない。
これ以上、お前と喧嘩なんてしたくない。
「浮気、もうしないから。お前だけ見てるから、お前が帰ってきたら、おかえりって、笑って、抱きしめて、それで」
「無理だよ……この間も、同じ事で喧嘩しただろ。平行線だよ。お前、俺じゃ駄目なんだよ」
「お前がいい」
「大丈夫だよ。お前、すぐに他の奴見つかるよ」
「やだ……」
「ごめん」
「やだぁー……!」
わぁぁぁ、と泣きだして、アーサーは何度もごめんと謝って、俺の汚れた服を掴む。
泣くなよ。畜生。俺だって泣きたいよ。
いつから、歯車は狂ったんだろう。俺はまだこいつが好きで、こいつも好きだと言ってくれてるのに、どうして。
お互い埃だらけで、汚れた顔。潮風でぱさぱさになった髪を撫でてやることも、もう出来ない。
一度、離れた方がいいんだ。これ以上お互いにみっともない所を見せる前に。今以上に、互いを傷つける前に。
胸の中で「ごめん」と「いやだ」を繰り返して泣く愛しい男に、俺は同じ数だけ「ごめん」と呟いて、首を振って、小さく泣いた。