「金は?」
「必要最低限あればいい」
「次の試験に合格とか」
「自分の力でやらなければ意味がないだろう」
「あ!お前、童貞だろ。可愛い彼女を作ってやろうか?」
「余計な御世話だ!」
童貞、童貞、と笑われて、銀色の頭をぺしんと叩く。
叩かれた天使の男は、さも面白くも無いという風に、口を尖らせて片方だけの羽を揺らした。
お願いしたい事がねーなら、お前、別に寂しくなんかねーじゃんか!
「オレ様出る幕なし」とぶーぶー言い出す天使の男に、こちらも頼んで来て貰った訳ではないと独りごちる。
だいたい……何かを願った事なんて、今まで無いのだ。
願いは、叶えてもらうものではなく、自分で叶えるものだろう。
ましてや、こんな初対面の男に突然「叶えてやる」と言われても。
そんなに容易く叶ってしまような願いなら初めから願ってなぞいない。
自分の力で何とかできない、強い願い。
そんなもの、俺には…………。
金色の髪に手を突っ込んで、ろくにセットもしてない頭をがりがり擦る。
目の前に居る天使と目を合わせて、あ、と心の中で思いついて、座っている古い椅子をぎしりと慣らす。
…………あ。
あった。強い、願望。
昔から、ずっとずっと望んでも叶わなかった願いが、一つだけ。
黙った俺に、天使はなんと思ったのか、「ん?」と肩眉を寄せて、のそのそと俺の近くへ寄ってくる。
男が動くたびに舞い散る羽根。
ちかちかする電球に光って、綺麗だと思う。
「一つだけ、ある」、と呟く俺に、天使は「なんだよ?」と嬉しそうに返してきた。
「叶えられないようだったら、言ってくれ」
「オレ様に叶えられない願いなんてねーぞ。多分。何だ、言ってみろ」
「何年も、自分でも努力してきた事だったんだが、どうしてもわからなくて」
「勉強の事か?」
俺は少しだけ躊躇って、首を振る。
ばさばさと目の前で白く揺れる片方の羽。
少し視線を下げて、カーペットの上から見上げる赤い瞳に、俺は小さく、小さく、呟いた。
「兄さんに会いたい」
「…………兄さん?兄貴?」
頷いて、俺はそのまま、自分の膝を見るように項垂れた。
小さな頃に生き別れた、年の近い兄。
両親の事情で別れた兄が何処へ行ったのか、今はどうしているのか、知る手がかりはいくら調べても出てこない。
別れた当初の自分は小さすぎて、自分で消息を探す事なんて出来なかった。
両親に聞いても答えは同じ。ただただ、遠い所に行ってしまったとしか、教えては貰えない。
隠しているのか、それとも本当に知らないのか。
埒があかないと思って片っ端から調べても、警察や知り合いの力を借りても、兄の手がかりとなるものは何一つ見つからなくて。
大人になれば、自分で探せると思っていたのに。
兄さんに会いたい。
再度、小さな声で呟いたら、天使はぴたりと羽を動かすのを止めて、冷たい手で俺の手をきゅっと握って、絡ませた。
「お前、兄弟がいるのか」
「ギルベルトと言うんだ。叶うなら、兄さんに会わせてくれ。一目だけでも、」
「……どんな奴?」
「……小さかったから、あまり、覚えてはいない。
 ただ、とても大きくて、強くて、優しかった。喧嘩の絶えない両親から、いつも俺を庇って……助けてくれた」
「へー……」
「何年も、ずっと、探しているんだ。だけど見つからなくて」
ギルベルト。
俺の知ってる彼の事は、これだけ。
こんなに探しても見つからないのなら、もしかしたら名前を変えているのかも知れない。
顔も覚えていない、声も。写真の一枚も持ってない。
証明してくれるのは身体に流れる同じ血のみ。会ったら、分かるんじゃないかと思っていた自信も、今は無い。
もしも、願いが叶うなら。兄さんに。
赤い瞳と目を合わせて、天使の男に笑いかける。
どうせ、無理だろうと思いながら。
いつもならば、こんな事を人に話したりはしない。だが、今日はクリスマスだ。
叶わぬ夢を願っても、いいじゃないか。
天使の男は少し黙って考えて、その後、もう一度俺の手をぎゅっと握って、小さな声で語りかけてきた。
「お前の兄貴が」
「…………?」
「……もし、お前の思ってるような兄貴じゃなかったら、お前、どうする?」
「……?兄さんが?たとえば」
「そんなのはお前の幻想で、ずげー悪い奴で、全然理想の兄貴じゃなかったら」
「そんな事ない。俺の兄さんだ」
「……今はすげぇ貧弱で弱くて、ずるくて、今のお前よりも情けない奴になってたら?幻滅しねぇか?会わない方が、いいんじゃねえか」
「幻滅なんかしない」
「家族に言えないような事やってたり」
「俺は理解したい」
「犯罪者だったり」
「更正させる」
たった一人の、自分の兄弟。
小さくて弱かった俺を、守ってくれたのは兄だけだった。
両親も親戚も、全て険悪だったあの世界で、兄だけが唯一俺の頼れる存在だった。
このまま会えずに居るのは嫌だ、大きくなった自分の姿を兄に見せたい。
いつか兄に会った時に認めて貰いたくて、今だって、一生懸命自分に出来る事を、必死で。
叶えられないか?と目の前に居る天使に尋ねたら、銀色の天使は、少しだけ寂しそうに、微笑んだ。
「…………お前の兄貴、実は、もう死んじまってたら」
お前、どうする?
かちりと合うルビーの瞳に、ひゅっ、と静かに喉が鳴った。
「……縁起でも無い事を言わないでくれ。叶わないのならば、構わない」
「悪い、ごめんな。……ええと、そうだな。ちょっと、叶わないかもしれねーな」
白い、右の背中だけについている羽を揺らして、天使は笑って背中を向けた。
その細い背中が、小さな頃に見た、兄の背中と何故だか被った。
「ちょっと、行って来る」
「……帰るのか?」
「待ってろよ。ちょっと、どんな奴か探して、見つけられたら連れてくる」
「……期待しないで、待っておこう」
「うん」
八重歯を見せて笑う天使の男。
片方だけの羽で、果たしてこの雪の夜空を飛ぶことが出来るのか。
ばたん!と両面開きのバルコニーまでの窓を開けて、男は錆びついた手すりに足を乗せる。
落ちる、そう思って手を伸ばそうと思った瞬間、男の体はふわりと真っ黒な夜空に浮いた。
「飛べるのか?」
「ちょっと、不恰好だけど。なるべく、クリスマスが終わる前までに願いが叶えられるように、頑張ってくるからさ」
「そうか」
「叶えられなかったら、ごめんな」
「大丈夫だ。そうしたら、他に寂しそうにしてる奴等の所へ行ってやってくれ」
しんしんと降る雪の中、白い羽を揺らして笑う天使に、寒さに震えながら、俺も笑う。
これ、ありがとな。
バルコニーに立つ俺に、手を伸ばして貸していたカーディガンを渡す天使。
触れた指先はやはり先ほどと同じように、ひんやりしてる。
天使というものは何故だか暖かいイメージがあったが、皆このように冷たいものなのだろうか。
メリークリスマス。そう、笑って天使の男は八重歯を見せた。
こいつが本当に天使なのかはわからないが、クリスマスに出会えて良かった。
そう、笑って、家族にする様に白い頬にキスをしたら、男はくすぐったそうに微笑んで、同じように返してきた。
真っ暗な夜空には、何処から降っているのか真っ白な雪。
きらきら光る星と区別がつかない。
一際光る天使の男は、バルコニーをとん、と蹴って、暗い夜空で片方だけの羽をばさりと揺らす。
踵を返す寸前に、天使は左手を挙げて、小さく笑った。
「…………でっかくなったなぁ、ルツ」
え?
そのまま、天使は方向転換して、ばさりと片方の羽を鳴らして夜空に消えた。
一人の人間にしか呼ばれた事のない愛称、何年も何年も呼ばれなかったその呼び方、俺は驚いてバルコニーの手すりに身を乗り出す。
「おい!」そう夜空に向かって叫んでも、白い天使は見当たらない。
空から舞い散る真っ白な雪、きっとこの中に彼はいるのだろう。
目を凝らして、何度も天使の名前を呼んで。
それでも、天使は戻っては来なかった。
真っ暗な空に光る星。
きらきら、きらきら、星の光に反射して光る白い雪。
クリスマスが終わるまでに、俺の願いは叶うだろうか。
寒い寒い夜空の下、俺は彼に貸した黒いニットを握り締めて、いつまでもそこに、立っていた。
◇◇◇
「全くも〜、冗談じゃないわよ!貴族様もあんなにすぐに許さないでよ」
「仕方ないでしょう、あれじゃ何を言っても聞きませんよ」
「なぁ、フラン。今年ベールバルトは?」
「奥さんの手伝いあるから来れないってさ」
「ええ〜!だから親分反対したんや、サンタさんなんかと結婚すんなって!」
「ぐだぐだ言ってる合間に夜が明けますよ。新たにリスト作ったので確認なさい」
「あーもー、アーサーのリスト頂戴。全く、さっさと一人前になって捌いてもらおう思ってたのに……」
クリスマスの天使たちは忙しい。
暗い夜空の下で、真っ白な服を着た天使は長い長いリストを片手に、大きな羽を羽ばたかせてあちらこちらに飛び回る。
夜空のような漆黒の髪に銀縁眼鏡、口元に小さなほくろのある大天使は、リストにチェックを入れながら眼鏡を直す。
隣でぶーぶー口を尖らせるのは、ブロンドの長髪に無精髭の、美丈夫の天使。
自分の教育していた落ちこぼれ天使の決断に溜息をついて、白い燕尾服の天使からリストを受け取る。
今年はこんなに寂しいクリスマスを送ってる奴がいるのか……。
彼らの仕事は、寂しいクリスマスをしている人間の願いを叶える事。
リストの多さにげんなりしながら再度大きく溜息をついたら、昔からの悪友である、訛りの強い、褐色の健康的な肌を持った天使が笑いかけた。
「あの子は?フラン。死にかけの人間スカウトしてきたって言っとった、あのガラの悪いおにーさん」
「ああ、冬の国のマフィアの子でしょ。弟に会いに行くからやっぱり天使辞めるって」
「ええ〜、あの子あのまま死んだら絶対地獄行きやで、天使になった方がええやんか」
「知らないわよ……。脅威の生命力で復活してやるってケセケセ笑ってたけど、どーなったのかしら」
「結局人手不足やんかぁ。あー、誰かもう他おらんかな〜、天使候補。
 ロヴィ、お前も早よぉ一人前になったってよ、ほんまに死にそうや」
ロヴィーノ、と呼ばれるのは少し目つきの悪い新米天使。
少しだけ他の天使たちよりも小さな羽を持つその天使は、「うるせーな、さっさと行くぞ」と、リストを奪って夜空へ羽ばたく。
待ってぇな〜、と褐色の天使もそれに続いて、ブロンドの天使と、眼鏡の天使は軽く笑って、同じように大きな羽をばさりと仰がせた。
残された大きな羽根を持つ二人の天使は、夜空に浮いたまま、小さく同時に息を吐いた。
フランシスを呼ばれる愛の天使は、隣に居る黒髪の大天使に、ニヨニヨと笑いながら彼の白い服を引っ張った。
「ねぇねぇロディ」
「気色の悪い愛称で呼ばないでください、お馬鹿さん」
「あの銀髪の人間の記憶、全部消さなかったんでしょ。わざと?」
「いいえ。私のミスですよ。案外すぐに戻ってしまいましたね」
「ほんと人間にはやさしーわよね〜、俺たちには全然優しくないけど。マジで本当に人手不足なんですけど」
「私にぶーぶー言ってもお仕事は減りませんよお馬鹿さん……早くぱっぱと終わらせましょう。
 私も行かなければならない所があるので、間に合わなければアーサーの分はお願いします」
「あ、恋人?恋人?人間の恋人が居るって言ってたもんね貴族様。やらしー」
「早く行けと言ってるでしょう、この、お馬鹿!」
クリスマスに寂しい思いをしてる人が居なくなれば、世の中の人全員幸せになれば、俺たちのお仕事減るのに……。
暗闇に浮く天使達は、長い長い人間のリストを持って、大きな羽を羽ばたかせる。
それでも、今日少なくとも二人の人間は、確実に幸せにはなる筈だ。
自分がずっと面倒見てた厄介な落ちこぼれヤンキー天使に、ガラの悪い、弟思いの新米天使。
きっとあの新米は、今頃は病院のベッドの上で息を吹き返してる頃だろう。
全く、愛の力って怖いわねぇ。
俺たちも、気合入れて皆に愛を配りましょう。
長いリストを懐に仕舞って、天使達は一軒ずつ、人間の家を訪ねて回る。
寒い寒い、12月の末のクリスマス。
一人で過ごしている人は、もしかしたら大きな白い羽を持った天使が窓辺にいるかもしれません。
その時は、是非窓を開けて中に入れてあげて下さい。
たまに、勝手に入ってくる非常識な天使も居るようですが。
Merry X'mas,and Happy New Year.
新しい年も、貴方が幸せでありあますように。