「・・・・・・・・・・・・・・・・・ッ!」
「・・・?・・・・・・」
 
夜中。
時計を見れば明け方?隣で寝ている子供の物凄い気配の乱れと息を飲む音が聞こえて、自然にぱかりと瞼が開いた。
大人の男一人にしては大きなベッド、さらさらの真っ白なシーツは、この兄思いの弟が毎日洗濯して、取り替えてくれている。
まだまだ小さな身体ではあるけども、最近は結構少年ぽく成長してきていて。
むちむちしてた手や足はぐんと伸び、身体年齢はそろそろ思春期に入るのだろうか?
そろそろ同じベッドで寝るの止めなくちゃなぁと思いながら、毎晩ごそごそベッドに入ってくる弟を両手を広げて迎え入れて。
「甘えんぼルツめ」とくしゃくしゃ、同じ色の金髪を掻きまわしながら、口を尖らす弟を胸に抱いて眠るのが常だった。
 
暖かい体。とくとく聞こえるのは、同じ種である血液を運ぶ心臓。大事な大事な、一人の家族。
せめてこいつがもうちょっと大人になる前に、色々形は作っておいてやりたいな。
そう思いながらとろとろ瞼を落として、意識を飛ばそうとしたときだった。
 
「・・・・・・・・・・ッ」
「・・・・・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・ルツ?」
 
びくぅっ!
腕の中に居た弟は、いつの間にか背を向けていて、声をかけたら大げさな位、びくりと身体が大きく跳ねた。
肩が小さく、震えてる。どうした?怖い夢でも。
見たのか、と、ごそりと上半身を起こして肩を掴んでひっくり返したら、青い海みたいな色の瞳が、暗い部屋の中で光って見えた。
ぎくっ、と身体が強張る、泣いてる。ちょっと、おい、何泣いてんだよ。
ルツ。どうした?
自分によく似た髪質、少し固めの金髪を掻き揚げて顔を近づけたら、小さな弟は、ルツは、じわぁっと涙を浮かべて、オレを見上げた。
 
「っに、兄さん、」
「おぅ。何かイヤな夢でも見たか?」
「ち、違・・・、あの、あの」
「どーしたって」
 
ひくっ。仰向けになってるルツの喉が、一度上下する。
同時に、声を出した反動からか、青い瞳からはぼろぼろぼろっと堰を切ったように涙が溢れ出した。
ぅ、お。超珍しい。
普段滅多に感情を表に出さない弟の涙に、慌てて頬に手を当てて、涙を拭う。
 
「え。おい、ルツ?ちょっと、大丈夫か?」
「っにい、さん、お、俺は、病気かもしれないっ・・・!」
「えっ!?」
「ぅ、ぅ、うー・・・っ」
 
目を覆うように十字に手をかざして泣き出すルツに、オレの血の気もざぁっと下がる。び、病気っ!??
な、なんだ、どうしたんだ、体調が悪いのか!
がばっと起き上がってシーツを放り投げて、しくしく泣く弟のパジャマのボタンを外しに掛かる。
外傷、ナシ、熱ナシ、脈拍は?細っこい胸にぴたりと耳を当てて、とくとく流れる脈動を計る。
サイドボードに置きっぱなしの、懐中時計。時間は一分、ちくたく、とくとく。
・・・ちょっと、脈拍は速いか?顔を覆ってる手を解いて、涙を拭って、痛みとか吐き気とかは無いのか、となるべく優しく聞いてやる。
ルツはひくっと喉を鳴らして首を振って、ごそっと上半身を起こしてシーツを取った。
暗い中でも分かる、赤い顔。・・・やっぱり、熱があるんじゃ。
お互いの前髪を掻き揚げてこつんと額をぶつけて、で、その後に。
どろっと濡れた弟の手と、なんだか知ってる、特有の匂いに気がついて、ぴしっと身体が固まった。
 
「・・・・・・・・・・・ルツ、お前」
「・・・・・・・・・・・・・・・・ッ!」
 
額を当てたままぽつりと名前を呼べば、弟はぐわっと顔を赤くしてどぉん、とオレを突き飛ばす。
いや、突き飛ばすって言っても全然突き飛ばせてないんだが。
 
「ね、寝小便じゃない、違うんだ!おっ、起きたら、こうなってて、こんな、お、俺は、何か、病気なのかも」
「・・・・・ルーツ」
「兄さん、俺は、変な病気かもしれない、どうしよう、どうしよう!」
「ルッツ、おい、泣くなって」
 
湿ったパジャマのズボン、シーツを握り締めてぼとぼと涙を流す、思春期を迎えた可愛い弟。
真っ赤な顔で必死に何かを伝えようとする、普段は無口な口元。
聞きわけがよくて、オレの言う事を何でも聞いて、物わかりのいい、よく出来た、年齢のわりに恐ろしく大人びた、オレの弟。
一人にしても泣く事はなく、時たま甘える事はあっても我儘は言わない、感情が表に出ない、可愛い子供。
なぁんだ。まだまだやっぱり、子供じゃないか。
 
真っ赤な顔してぼろぼろ泣く小さな弟に、ケセッ、と笑って手を伸ばす。
びくっと一瞬身を縮めたルツは、何か救いの言葉を求めるようにオレを見る。
 
「病気じゃねーよ、ルツ。ようやくお前も大人の男の仲間入りだな」
「・・・・・・・・?」
「ちょっと、でも、遅いんじゃねぇ?オレ様は自分でマス掻いて知ったほうが早かったけどな!」
「・・・・・・・兄さん?俺は・・・」
 
はははは!笑って、くしゃくしゃの顔をごしごし擦って、頭を撫でる。べとっとした右手は放っぽり投げたシーツで拭かせて、
そのまま、よっ、と脇に手を突っ込んで身体を浮かせて、ベッドからゆっくりと下ろしてやった。
結構、重くなったなぁ。そういえば最近抱いてやる事なんてなかったから。
抱いてやる事も、頭を撫でてやる事も、何よりも、戦の仕方や武器を持たせる事以外。
オレは、こいつには何も教えてやれてなかったんだな、と今更思う。
あちこち飛び回って、たまに帰って来ても全然小さな弟には構ってやれず、口を開けば戦の話ばかり。
勉強は進んでるか、剣は覚えたか。新しい銃が手に入ったから、触っておけ。
お前はオレの弟なんだからな。誇りを持って生きていけるように、オレがしっかり地盤を築いてやるから。
今のうちにしっかり、やれる事はやっておけよ。ルートヴィヒ。
 
絵本を読んでやるよりも、兵法の基礎を叩き込んで、小さな手には玩具の剣ではなく、手に馴染む皮の柄のナイフを握らせてた。
きちんと社交界に出られるように、慣れないダンスも。子供が一番甘えたいあの時期に、一番知識を遊びとして吸収できる、大事な時期に。
間違ってたとは思わない。でも少し、もっとそれ以外の事も教えてやれば良かったなと、小さな頭を撫でながら静かに思った。
家庭教師達が教えてくれない、人との付き合い方とか、身体の機能とか。
それこそ、一つ屋根の下に住む家族だからこそ教えてやれる事とか、きっと沢山あるはずなのに。
 
ぽろぽろ涙をこぼしながら不安そうに見上げる弟に、今度きちんと教えてやるよ、とルームシューズを履かせながら笑う。
手を引いて、廊下の電気をつけて、バスルームへ。
久しぶりに見る弟の体は幼さは抜け始めていて、こんな変化にも気付かなかったのかと、改めて自分に呆れて笑いが出た。
 
「お前もいつの間にか、でっかくなってたんだなぁ。おら、洗ってやるから来い」
「・・・病気じゃないのか」
「病気じゃねーって、めでたい事だ。・・・ん、めでたかないか、別に」
 
笑って、しゃぁっとシャワーのコックを捻って、同じ色の髪をばしゃばしゃ濡らす。
まだ「でも」と口を尖らす弟の顔に、ぶわっとシャワーを浴びせてやったら、ルツは憤慨して「兄さん!」と怒鳴った。
 
「あれだぞ、お前も子供を作れる身体になってるって事だぞ!ひははは、好きな女が出来たら、連れて来い」
「なっ、何を、そ、そんな」
「お?照れるな照れるな。いいなぁ、弟の彼女。おい、そういやお前、どんな夢見てたんだよ?教えろ」
 
真っ赤になった弟の顔、小さな頭をヘッドロックしながら、一緒に水びだしになりながらからかう様にぐりぐりする。
最近は疲れてるしそんな気はないからめっきりした事はないが、いや、逆にこんな時だからこそしやすいのか?あれだあれ、夢精の話。
どうでもいいけど、精通が始まったんなら本気でベッド変えないとな。
オレも、こいつの隣で夢精なんてした日には生きていけないし。
 
スポンジを泡まみれにして身体を洗ってやってたら、ルツは更に声を小さくして俯いて、消え去りそうな声で呟いた。
 
 
「・・・その、兄さんの夢を・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 
 
・・・・・・・明日から、本格的にベッド変えてやらないとなぁ。
赤い顔をして、小さく項垂れる、自分の顔によく似た弟。
小さな呟きはこの際聞かなかったことにして、オレもついでに、持っているスポンジでごしごし自分の身体を洗った。
 
 
 
 
「・・・というわけだ。もんどり打って死んでしまいたく成る程可愛いだろ、オレ様の弟は!」
 
ひははははは!ビールを片手に両手を広げて笑ったら、目の前のセクハラ顔したフランツと呑気にトマトを齧るアントンは、
めちゃくちゃ微妙そうに顔を見合わせて、はははと小さくおかしく笑った。
 
「・・・どうなの、兄貴の夢見て夢精する弟」
「育て方おかしいんちゃう?ギル」
「あんだと、クソヒゲクソトマト」
 
じろり、ビールをだんと置いて、二人を睨む。
無茶苦茶かわいいだろうが、お前らルツの可愛さを知らねぇだろう。まぁ見せてなんてやらねーけどな!はははのはーだ!
けらけら笑いながらビール追加、と目の前のブロンドにグラスを出したら、フランツは「へいへい、ブラコンお兄ちゃん」と
呆れながら瓶を傾けた。
 
「精通ねー・・・アントワーヌのトコってどうだった?何か騒いでた?」
「知らんわ〜、うちのまだちっこいもん。あんなんで精通あったら泣いてしまうわ」
「お前んトコはどうなんだよ、フランツ。あのヤンキー海賊のお坊ちゃん」
「アーサー?前に話したじゃない、ギルベルト。お兄さん手伝ってあげようとしたら飛び蹴りくらって鼻折ったって」
「変態や!」
「変態!!聞いて無ぇし!」
「変態いうな!」
 
げらげら、どっと笑いの起こるやけにムーディなリビング、ちなみにボヌフォワ邸。
ひぃひぃ涙を流して変態変態笑ったら、フランツは「可愛い弟の為を思っての、兄心でしょう」と言って口を尖らせた。
可愛い弟のナニを手伝おうとするなよ、変態、ド変態。見ればアントンも涙を流して、ぽこぽこミニトマトを投げつけてる。
「お前だってしかねないでしょ、ブラコン親分!」投げつけられたトマトをアントンの口の中に突っ込むフランツに、また爆笑して。
 
悪友だなんだって騒いでるいつもの三人は、相変わらず一緒に居て心地がいい。
あいつにも、こうやって何でも話せてバカ笑いできる、仲のいい友人が早く出来るといい。
その為にも、そろそろあいつも兄離れさせないとなぁ。取りあえず、今日からベッドは別にして。
きゅぽん、とワインのコルクを開けてグラスに注いで、くるくるくるくる廻しながらそう一言呟いたら、
言い争ってた二人はぐるっとこちらを振り向いて。
 
「まずは、お前が弟離れしろ、このブラコン」
 
と、声を揃えて大声で笑った。