■お友達が 『プロイセン』→『プロ伊勢ん』 と誤変換して話が盛り上がったのがきっかけの話です。
■エビになったプロイセンがどんな姿なのかは、脳内保管でお願いします。
■りきさん、のわさんへ→書いたよ!
朝起きたら、兄さんがエビになっていた。
このエビは知っている……見た事がある。
本田の家に遊びに言った時、夕食で出てきた。
伊勢海老だ。
……何故、兄さんが伊勢海老に……?
しっとりと濡れるシーツが、潮臭い。
「兄さん」、と恐る恐る甲羅に触れてゆり起してみたら、エビになった兄の尾ヒレにパァンッと思い切り弾かれた。
痛い。夢ではなさそうだ。
取り敢えず、ピチピチと跳ねている兄の隣から起き上がると、ベッドシーツの交換をしなければと息を吐いた。
「ヴェースートー!桶が狭い!オレ様苦しいだろ!」
「ああ、すまない兄さん。今すぐに……」
「腹減った!」
エビは、確かに兄さんの様だった。
声は兄さんのものだし、きちんとドイツ語を話す。
ただ……エビだ。
何処からどう見ても、エビにしか見えない。
……エビは、何を食べるんだ?魚?プランクトン?呼吸は肺呼吸なのか、エラ呼吸なのか……。
ビールを飲みたがっているが、与えても良いのだろうか。
エビと化した兄弟に、どう接していいのか分からずに、取り敢えず俺は水槽の代わりに大きなタライに水を張って、彼を入れた。
ぶくぶくと口から泡を出す兄は、ご機嫌だ。
まずはエビの生態から調べなければ……。
使い慣れていないインターネットを開いて、5分で諦めて、その後近くの本屋で『うみのせいぶつ』という図鑑を買った。
残念ながら、伊勢海老の育て方は載っていなかった。
当然だろう……ここはドイツだ。伊勢海老というからには、日本の、確か、伊勢という場所に生息しているのだろう。
「コンバーンワ。本田か?ルートヴィヒだが、夜分にすまない。聞きたい事があって……」
『こんばんは、ですよ。ルートピッピさん。どうされましたか?』
「ルートピッピィではない、ルートヴィヒ」
『発音が難しいですねぇ』
何度言っても俺の名前を上手く言えない本田に国際電話をして、伊勢海老の事について聞いた。
兄さんがエビになったと言う事は、なんとなく伏せておいた。
その経緯を聞かれると、俺も困ってしまうからだ。
そうしたら、伊勢海老の美味しい調理の仕方を教えて貰ってしまった。
違うんだ。食べる訳ではないんだ。
「飼育を……」
『え。飼育ですか?エビを?』
「………………」
……飼育。
兄さんを?
実の兄を、『飼育』というカテゴリでくくる訳にもいかないだろう。
しかし、飼育、飼育か……。
頭の中に、人間の身体でいた兄さんが、全裸に首輪のついた状態でぽぽんと浮かんだ。
『ヴェスト……オレ様の事、飼って。優しく調教して』
「う、うわああぁぁあああああっ!!」
『どっ……どうされましたか、ルートミッキーさん!』
「ルートヴィヒだ!」
いかん、何と不埒な妄想をしているのだ!
兄さんがエビになってしまって、大変な時期に。
最低だ、思いながらも一旦始まってしまった『兄さん飼育』の妄想は止まる事無く、俺は頭を振って、
「すまない、また連絡する」と、本田との電話を切ってしまった。
結局、エビになった兄さんへの解決策は出てこないままだ。
俺は、タライの中でぷくぷくと泡を吐いてピッチピッチと尾ヒレを動かしている兄を見て、はー、と息を吐いて眉間を揉んだ。
夕方。
腹が減ってはいないかと尋ねてみたら、兄はこちらを向いて一言言った。
「ヴェスト、風呂」
「………………ッ!」
風呂……だと?
エビが?
いや、これは兄さんだ……綺麗好きな兄さんは、一日二回はシャワーを浴びていた。
今日は朝から一度もシャワーを浴びていない。だが、その水を張ったタライでは駄目なのだろうか。
水を換えようかと申し出たら、ビッチビッチと暴れられた。
「水じゃねーんだよ、風呂!温かいお湯に浸かりてーんだよ、オレ様は!」
「し、しかし……」
……茹だってしまうんじゃないか。
本田の家で出てきた伊勢海老の様に、いい感じに、美味そうになってしまうのではないか。湯になど浸かったら。
ふむ、兄さんの身体が、茹だる……。
『ヴェストぉ……オレ様茹だって真っ赤になっちまった……お前で、冷まして』
違うだろうが!!!!
再度始まってしまった妄想を叩き割る様に頭を壁に打ちつけて、痛みにガッと目を回す。
何を考えているんだ、何を……第一、兄さんは今エビだ。まずはこの状態と向き合わねば。
「風ー呂!風ー呂!」とビッタンビッタン騒ぐ兄に、俺は「うーむ」と額の割れた頭を抱えて、考えた。
……そんなに、沸騰する程の湯でなければ、問題は無いか……?
こんなに入りたがっているのだし、少しくらいならば。
キッチンに向かって、俺は普段あまり使わない床下収納の扉をバカンと開いた。
「…………早く沸くように、塩でもいれるか」
取り敢えず、家で一番大きな寸胴に湯を沸かして、人肌程にまで温めた。
生憎、バスタブが故障しているのだ。
今の兄さんの身体ならば、寸胴でもすっぽりと入るだろう……。
桶からざばっと兄さんの身体を持ち上げて、両手でしっかりと抱いて、キッチンに向かう。
長い触角が、ピチピチ頬に当たって痛い。
細い足がワサワサしている……あと、非常に生臭い。海の生き物の香りがする。
正面から見た顔が、以前本田の家で見せて貰った、バルタン星人という宇宙人の顔によく似ていると思った。
「兄さん」と彼に笑い掛けて、ぺたぺたとリビングを渡る。
兄さんは口からプクプクと泡を出している……嬉しいのだろうか。
きっと今の俺は、伊勢海老を片手に持って笑う、釣り師の様に見えるのだろう。
「大漁」という文字がよく似合いそうだ。
ゆっくりと寸胴の中に兄さんを入れて、湯加減を尋ねる。
兄さんは細い屈折した足を寸胴にひっかけて、気分良さそうに触覚をピチピチさせた。
「……どうだ?」
「……んー、もうちょい熱くても大丈夫だぜ」
「そうか……」
カチリと火を点けて、底が熱くなり過ぎない様に、大きなおたまで湯を掻き混ぜた。
兄の身体にぶつからない様に、ゆっくりと……兄さんは、「もっと熱くしてくれ」とピチピチ言う。
「……熱すぎないか?」
「んー……別に」
寸胴に入ったエビ……否、兄さんの身体ごと、おたまでぐるぐると掻き混ぜる。
寸胴が、ぐつぐつ言ってきた。
しかし……この図はどう見ても、伊勢海老を茹でている図にしか見えないのではないか?
大きな寸胴に張ったお湯、大きなお玉、顔を出す伊勢海老……鍋の中はぐつぐつと煮えて来ている。
……伊勢海老を茹でている様にしか見えない、というより、実際に伊勢海老を茹でているのではないか。俺は。
何だか、非常によくない、この構図はよくない。
とても、実の兄を風呂に入れている様になぞ見えない!
「に、兄さん、兄さん!やはりこれは駄目だ、絵的に駄目だ!」
「んー……?いい湯加減だぜ、ヴェスト……」
「駄目だ……に、兄さん!殻が、殻が赤くッ……!」
「うーん……」
「エビを茹でるいい香りがしてきた!兄さん、兄さん!起きてくれ、兄さん!!」
俺は、エビになった貴方を食べたくない!
殻の茹であがる、エビ特有の香ばしい香り、赤く色付く、硬い殻……間違いない、本田の家で出てきた伊勢海老の蒸し物だ。
兄さんの触覚が、だんだんと動かなくなってくる。
「兄さん!」火を止めて、ざばっと身体を引き上げたら、兄の身体はボイルしたてのエビの様に丸まっていた。
ざあっと血の気が一気に下がって、慌てて水を張ったタライの中に彼を入れて、流水を浴びせた。
自分で作業をしながら、茹でたてのエビを流水で締めている、調理の過程の様だと思った。
兄さん、兄さん!
シンクの中で、ほかりと茹であがってしまったギルベルト。
奥歯がかちかちと鳴りだす。涙が両目に滲んで、エビの姿が良く見えない。
うっ、うっ、と唇を噛んで、俺はついに泣き出した。
兄さんが、茹でたての伊勢海老になってしまった。
茹でていた寸胴に、兄さんの美味しそうな出汁が出ている。
兄さん、兄さん、兄さん……こんな時まで、腹の音が鳴ってしまう兄不幸な弟を、どうか呪ってくれ。
貴方を供養してから、俺もすぐにそっちに逝こう。
しくしくと、真っ赤になってしまった兄さんの身体を抱きしめて泣いていたら、腕の中にいた兄さんが笑った。
「食えよ……美味しく茹だってんぜ?身も締まって、お前好みになってるからよ……」
瞬間、目の前が真っ暗になった。
「兄さんッ!!!」
「ヴェスト!!!」
がばぁっ!とベッドから飛び起きた時、同時に兄も起き上がった。
二人して、目に涙を一杯溜めて、どっ、どっ、と鳴る心臓を押さえている。
ベッドのシーツは、お互いびしょ濡れだった。
はぁはぁと呼吸を整えて、辺りを見回す。
…………ゆ、夢?か……?
隣に居る兄は、人間の姿だ。
俺と同じ様に、はあはあ言いながら、湿った銀髪を掻きあげて、俺を見るなり大きく息を吐いている。
「夢かよ、畜生……」と言いながら、兄さんは赤い目を細めて、俺の身体に抱きついた。
汗でびっしょりだ……お互いに。
俺もようやく安堵の息をついて、びしょびしょの前髪を後ろに流した。
「兄さん……、ああ、良かった。エビとはいえ、兄弟でカニバリズムをしてしまう所だった……」
「ヴェスト……うあー、超吃驚したぜ。夢の中で、お前がカニになってて……フランシスの野郎がカニ鍋にするとか言いだしてよ」
「……カニ?」
「よかったー、オレ様カニ大好きだからよ……お前を食う事にならなくて、本当に良かった」
えぐえぐと胸の中で泣きながら、兄さんはそう言って鼻を啜った後に、笑った。
よかった……お前が人間で、ほんと良かった。
ぐりぐりと銀色の髪を押し付けて来る兄に、俺も笑う。
夢でよかった。そう言って、濡れた頭をゆっくり撫でた。
俺も、兄さんがエビになった夢を…………言おうと思って、止めた。
これは、また後でいいか。
取り敢えず、悪い夢だった。
きっと彼も、酷い夢を見たのだろう……俺と同じ様な、何故か二人して甲殻類になる夢を。
「眠ろう、兄さん。今度は、二人で良い夢が見れるように」
「……おう。なぁ、あのさ。……疲れてくたくたになったら、変な夢を見る事もねーと思うんだけど」
「……ベッドの上で、疲れる事でもするか?」
濡れたシーツを引っ張り上げている時に赤い瞳で笑われて、俺も彼の濡れた銀髪に指を入れる。
ケセ、と笑う彼の顔は、もうバルタン星人の様な顔では無い。
どんな姿でも愛せる自信はあるが、やはり出来れば人間の姿の方がいいなと思いながら、
俺は「ja」と笑って、彼の痩せた身体の上に圧し掛かった。
……事後、何故か、シーツが潮臭かったのは、お互いに何も言わなかった。
明日からは、更に食事となってくれる命に感謝して過ごそうと、眠りにつく直前にふと思った。
また、伊勢海老になった彼と、彼の国名を思い出し、『プロ伊勢ン』、等と考えて思わず一人で笑ってしまったのも、兄には内緒だ。