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「・・・おい」 |
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「さーて今日も日記日記日記をつけよう。オレ様ってばマメー。さて今日の出来事は」 |
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「おい、兄さん」 |
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「おかしい何だかドイツ語が聞こえる。変だなぁここにはオレとお前しかいないのにな」 |
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なぁ、犬。 |
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ケセセセセと笑いながら、我が兄・ギルベルトは左手に羽ペン、右手に分厚い日記帳を持ちながら振り向いた。 |
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犬、という呼びかけは言うまでもない、この俺に向かってだ。 |
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彼の言う通り、今この部屋には俺とこのすぐ悪ノリする兄しかいないのだから。 |
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「・・・いいかげん、許してくれないか。兄さん」 |
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「犬が人語を喋んじゃねぇ!犬語使え、イヌ語」 |
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わんって言ってみろわんって。 |
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おらおらと人を足蹴にするバカ兄に、俺は小さく溜息をつく。 |
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普段であれば、靴のまま蹴飛ばされるのなぞ耐える事はせず、こちらも応戦して怒鳴りつけるものを。 |
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今だけは・・・というか、夕方家に帰ってきてからここ4時間、俺はしっとりと耐え忍び、声を発するのも極力控えていた。 |
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どうせこんな遊び、大人しくしていればいつかは飽きるだろう。気の短い兄の気質は知っている。 |
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彼にしてみれば、結構長い方だと思う。 |
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バスローブをひん剥いて首輪をつけ、両手を縛って暖炉につないで。 |
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一体何が面白いというのか、彼は大いに満足して俺をおいイヌ!と呼んでは楽しそうに笑う。 |
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ひん剥かれたまま冷える上半身に、再度我知らずはぁーと重い溜息が出た。 |
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※ |
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始まりは、俺の家の犬だ。 |
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家といっても郊外にある別邸の方で、ハウスキーパーに任せたままほとんど帰っていないような所だが。 |
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以前はベルリンで飼っていた3頭の犬も、最近ではこちらに預けている。 |
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悲しくも会議やら会合やらで滅多に自宅に帰れない、忙しない身だ。 |
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排ガスくさいベルリンよりも、あちらの別邸の方が彼らものびのびできて良いだろう。 |
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たまに顔を見せて、散歩をしてやって、バスに入れて、ブラッシングをして。犬はいい。癒される。 |
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俺とハウスキーパー以外には滅多に懐かない凶暴なドーベルマンだが、俺にとってはそこもまた可愛い。 |
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珍しく兄を別邸に連れて行って彼らを紹介したら、思いの他気があったらしく、一日過ぎた後は大層仲良くなっていた。 |
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流石は俺の犬、飼い主に似ると言ったところか、もしくは滅多に懐かない彼らを懐柔させた兄の偉大さか。 |
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げらげら笑いながら犬達と戯れる兄に、光注ぐ庭に、普段は気に留めない家族の暖かさというものを感じて胸が温かくなった。 |
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やはり犬はいい。彼らを通じて、色々なものが繋がる。 |
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・・・で、ベルリンに帰るぞと言った、一週間が経ってからの日曜日。 |
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明日からまた会議が続くから、そろそろ自宅に戻りたい。 |
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やりかけの仕事もあるし、誰もいない部屋の埃も気になるし・・・。 |
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兄にその事を告げて、荷造りをするように促したら、予想通りだが大層大層、むくれられた。 |
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「やだ」 |
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「兄さん」 |
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「嫌だね!オレはここにいるんだ。あいつらと一緒に暮らすんだ」 |
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「・・・犬はこっちの方が暮らしやすい。兄さんは俺と一緒の方が暮らしやすい。無理だ」 |
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「お前がここにいればいいだろ」 |
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「ここから、毎日国内線を使って通えと」 |
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聞けば、予想通りJaと即答された。兄は期待を裏切らない。 |
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ふぅとひとつ溜息をついてから、血管が切れないうちにぐわっと兄の体を持ち上げる。 |
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「帰るぞ!」 |
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「いーやー、だッ!ほら、あいつらも寂しがってるだろ!おい、お前ら、ご主人を止めろ!」 |
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ドアにしがみついて抵抗する兄を通り越して庭にいる犬たちを見れば、いかつい顔を曇らせて、確かに寂しそうな、沈んだ顔。 |
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そんな事、わかっている。俺だって寂しい。あいつらだって、寂しいだろう。 |
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だから、いつも無理やりにでも予定を作って家に戻るのだ。後ろ髪が惹かれ過ぎないように、お互い依存しすぎないように。 |
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別れの時は、さっぱりと。また来るからと言って一撫でするくらいが、丁度いいんだ。 |
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今回はやけに犬に懐いた(あえて言うが、犬が懐いたのではなく、兄が懐いたのだ)この兄の為に、わざわざぎりぎり今日まで滞在を延ばしたものを。 |
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犬たちもわかっているのか、寂しそうに鼻を鳴らすものの、ぎゃぁぎゃぁ喚くギルベルトを止めにはこない。 |
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首根っこを摘んでずるずる引きずるのにも疲れて、取り合えず自分の分だけでもパッキングしようとギルベルトを放り投げ、 |
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俺はぱかりとスーツケースを開けた。 |
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「なーあー、ルツ、ルツルツルッツ、ルーイ、ルートヴィヒ、頼むよ、あと一日」 |
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「駄目だ」 |
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「一日くらいいいじゃんかよー!サディスト!むきむき!女童貞!」 |
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女童貞。聞くに聞かない言葉は、彼なりのスラングだろうか。 |
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耳に心の耳栓をしてもくもくと荷物をパッキングし始めると、今度はちょろちょろとやかましい。 |
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フェリシアーノを見てるようだと思ったが、そこは我が兄、奴とは違って心理戦で攻めて来る。 |
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「そういえばさーぁ、あいつらにまだ風呂入れてないんじゃねぇ?ずっと雨だったから」 |
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「・・・ハウスキーパーに任せる」 |
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「明日、ドッグランで大会あるんだってよ。お前と組めば誰かしら入賞するだろうなぁ。見てぇなー見てぇなぁ」 |
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「・・・ハウスキーパーに任せる」 |
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「あー!あいつらとでっかいベッドでお前と川の字になって寝るのが昨日で最後なんて、悲しすぎるぜー! |
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せめて、今日は皆でおんなじベッドで寝ようぜ、な、な」 |
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「・・・ハウスキーパーに・・・」 |
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「オレは犬と暮らしてぇんだよ!!」 |
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「犬くらいベルリンで俺がなってやるから、黙ってろ!!」 |
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バターム!!とスーツケースの蓋をしめて怒鳴ると、きょとりとギルベルトの赤紫の目が大きくなった。 |
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今、俺は一体何を。 |
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おかしな事を、言ったんじゃないだろうか。あー、と訂正を入れる前に、赤紫色の瞳は細くなり、口元がによっと楽しげに上がる。 |
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やばい。訂正、訂正を。 |
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「オーケイ、ルッツ。その言葉、忘れんじゃねーぞ」 |
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・・・入れる前に、合衆国の話し方を真似してふはははははははと高らかに笑われた。 |
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日記につけとくからな!と続けて言い放った彼は高らかな笑いそのままを背負ってって自室にこもり、ものの30分程でリビングに下りてくる。 |
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最後に別れの挨拶を、と庭に飛び出した兄は、そのまま体中をべろべろに舐められまくってひぃひぃと涙を流して笑っていた。 |
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確かに、こんな風に楽しそうな兄の姿を見るのは滅多になくて、この幸せな時間が終わってしまうというのは、いつも以上に寂しくもあるのだが。 |
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・・・・・・・・・駄目だ、仕事もあるし。この人と一緒にいる為にも、俺はしっかりと地に足をつけていかなければ。ぶるぶると目線をそらして、スーツケースを閉じる。 |
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首都までの長いドライブの間、兄はずっと楽しそうに犬の話をしていた。 |
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・・・で、この状況に至る。 |
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自宅に戻ってからの兄の行動は、それはそれは素早かった。 |
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冷え切った暖炉に火を起こし、リビングの掃除をし、俺をバスに放り投げ、隅々まで洗えよ!と怒鳴ってから軽い食事の支度を始める。 |
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只今時刻は夕方の5時だ。風呂に入るにはいささか早いのではないかと思いながら、言われた通りに体を泡立てる。 |
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わしわしと掴むスポンジはグリーンが俺で、ブルーが兄。いつの間にかグリーンのスポンジがへたれているのを見ると、彼もこれを使っているのに間違いはない。 |
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文句を言おうとバスを出てダイニングに足を踏み入れれば、記憶に残る、異国料理の匂いがした。 |
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「おっ、上がったか。今出来たぜ!」 |
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「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ロシア料理?」 |
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「折角教わったからよ。あ、ドイツ料理もあるぜもちろん」 |
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そう言ってもう一つの鍋を見れば、懐かしい、昔の家庭料理。 |
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匂いにつられて軽く出る唾液に、結構腹が減っていたのだと今更ながらに気づいた。 |
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ダンケと言って半渇きの頭を拭きながら、ダイニングの椅子を引く。 |
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いつもの場所に腰を下ろそうとしたその時・・・ぐいっと後ろから、バスローブを掴まれた。 |
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着ているというよりもひっかけているだけの状態だったので、首が絞まるという事はないが。 |
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座るな、という意思表示だろうか。 |
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肌蹴た前をあわせて後ろを振り返れば、頭一つ小さな兄はによによと笑って、炎のあがる暖炉の前を指差していた。 |
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「・・・・・・・・・・・・?」 |
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暖炉を見れば、その前に置かれた銀色のプレートと、リビングの支柱からつながれている鎖・・・と、その先にある、首輪。 |
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何なんだ、と疑問が湧くのと同時に朝の会話が頭をよぎる。これは何だということは、聞かなくてもいいだろう。 |
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兄は期待を裏切らない。裏切って欲しい期待までも、決して。 |
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「お前の席は、あーっち。なぁ、イヌ」 |
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ケセセセと笑う兄に向かって、俺はバスローブのまま小さく溜息をつく事しかできなかった。 |
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「手、使うなよ。イヌらしく口だけで食え」 |
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「・・・・・・・・・・・・」 |
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銀色のプレートに入れられているのは、最近まで兄がいた冬の国の家庭料理。 |
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彼以上に、この国にトラウマのある俺への当てつけだろうか。 |
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カン、とお玉でプレートを叩くと、ギルベルトは楽しそうに笑った。 |
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「おら、腹減ってんだろ?食えよ」 |
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「兄さん」 |
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「何だよ」 |
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「・・・この国の料理は、食べたくない」 |
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ぼそりと呟くと、兄は声を上げて笑う。何言ってんだ、結構美味いんだぞと言いながら。 |
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もとより、俺が絶対口にしない事など知っている癖に。長い間彼を閉じ込めていた冷たい冷たい冬の国の料理なぞ、食ってたまるか。 |
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くぅ、と小さく鳴った俺の腹を撫でると、ギルベルトはいい子だと言って黒い紐を取り出した。 |
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しゅるしゅると体を走る紐と、特徴的な結び目に目が細くなる。 |
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「・・・おい、この縛り方、いつ覚えた」 |
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「毎日あんだけぐるぐる縛られりゃ覚えるっつぅの」 |
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バスローブをひん剥かれ、両手を拘束され、頑丈そうな黒い首輪をがちんと首に固定される。 |
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首輪の先には、これまた頑丈に出来ていそうな、銀色の鎖。何処からこんな物を・・・と頭を巡らしてるうちに、 |
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ベッドボードに置きっぱなしの雑誌の通販欄にあった事を思い出した。 |
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これは兄にしたいプレイであって、自分がされるのは性に合わない。立場が逆だろう。 |
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肘からぐるぐると自分を縛り上げるプレイ用の黒紐を見て、不満げな溜息を漏らすと、黒い首輪がかちりと揺れた。 |
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「なんだよ、イヌが溜息なんか。ちょっとはイヌらしくしろよ、mein
Hund」 |
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にやにやと笑いながら、ギルベルトは靴のまま俺の脇腹を蹴っ飛ばす。 |
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ざり、とする砂の感触に、無意識に舌打ちが出た。 |
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「俺は、犬にはこんな真似しないだろう。動物虐待か、兄さん」 |
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「へん。てことはイヌになるんだな。ルツ。いいぜ、イヌなら可愛がってやる。オレ様は動物には優しいからな!」 |
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ふはははははと高らかに笑う兄に、再度舌打ちした。今度は意識的に。子供のような事を。 |
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そのうち飽きるだろうと思っていたこの遊びは、お手から始まる屈辱的な調教に、何と3時間も費やした。 |
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「お手。おー手、しろってルッツ」 |
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「・・・両腕を縛られた状態でどうしろと」 |
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「ははははは!だな!じゃあ、チンチン」 |
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「こんな素っ裸の状態でか」 |
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唸るように声を出す俺に、兄はげらげらと笑いながら床を叩く。 |
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一発殴ろうと距離を近づけようとしても柱に繋がれた鎖が邪魔だし、後ろ手に縛られた状態で身動きが取りづらい。 |
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いい加減手も痺れたし、腹も減った。もう勘弁してくれないかと許しを請えば、イヌ語で喋れと突っぱねられる。 |
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何の記録を取っているのか、分厚い日記帳にすらすら走るペンを見ながら、いい加減疲れたと思った俺は、 |
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もういいと呟いてふかふかする絨毯に横になった。 |
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縛られた状態で器用に剥かれたバスローブが、暖炉の側でくしゃりと丸まっている。 |
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あんな所に置いておいたら、危ないんじゃないか。ぱちぱちと上がる火花を見ながらぼんやりと思う。 |
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後ろ手に縛られた腕を痛めないように横向きに丸まって目を瞑ると、なんだぁと不満そうな声が上から降ってきた。煩い。 |
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「おい、勝手に寝るなよ、イヌ」 |
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「・・・・・・・・・・・・・」 |
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薄目を開ければ、書く事を終えたのかぱたりと日記を閉じてこちらを見下ろすギルベルト。 |
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不満そうな顔は、俺の真似か。俺が何より一番不満だ。 |
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ドイツ語を喋るなと言われたのでむっつりと無言で睨んだ後ごろりと背を向ければ、椅子を乱暴に立った振動と |
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どすどすとこれまた乱暴な足音が床越しに響く。 |
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おい、と冷たい手が肩に触っても、おーいとゆさゆさ揺らしてきても、俺は頑なにぷーいと顔を背ける。 |
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そのうちなーぁと上から圧し掛かられて、顔を挟まれ、力ずくで目を合わさせられた。 |
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赤紫の、宝石のような瞳。瞳の中に映る自分は、そうとう不機嫌な顔をしている。 |
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「おい、ルツ、何だよ。怒ったのか?」 |
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「・・・いい加減、しつこいんじゃないか、兄さん。腹も減った」 |
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「お前がイヌになってくれるって言ったんじゃねぇかよ」 |
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「これ、面白いか?」 |
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俺的にあの時言った言葉は、彼にじゃれている犬達の代わりに俺が側にいてやるという事であって、 |
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決して犬のような扱いをして欲しいわけではない。だいたい、飽きるだろう、こんな事。 |
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そろそろネタも尽きたんじゃないかと恨めしそうに聞いてみれば、彼も右斜め上に視線をやりながら、だなぁと呟いた。 |
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だなぁじゃない、飽きてるんならさっさと外してくれ。 |
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呟きながら、俺の首に嵌めている首輪をかちかちと弄る。繋がれた鎖がじゃらじゃら鳴る。 |
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レプリカにしてはやけに良く出来た作りのそれに、やはり俺ではなくて彼に付けた方が似合うんじゃないかと頭の隅で思う。 |
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白くて痩せた細い首に、太い革張りの黒い首輪。銀色に鈍く光る鎖。何処に繋いでやろう。 |
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今の自分の状況を全く同じに彼に当てはめたら、きっと楽しいに違いない。 |
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目の前の赤紫の瞳を見つめながら考えを巡らせていたら、ごくりと無意識に喉が鳴った。 |
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上下に動いた喉仏に、至近距離にいたギルベルトは少し目を開いた後になんだよ、と楽しそうに唇の端を持ち上げる。 |
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「興奮してんのかぁ?ルツ。自分のカッコに、今更?」 |
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によっと笑う兄は、俺の体を仰向けに倒すと、足を開いて馬乗りになった。背中と床に挟まれた腕が小さく悲鳴を上げる。 |
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何だかスイッチが入ってしまったのを感じながら、彼の足元から胸元、喉元、視線をずらしながら息を吐いた。 |
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「・・・自分の格好に興奮している訳じゃない。貴方にこの格好をさせたら楽しそうだと」 |
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「でも今してるのはお前だぜ?」 |
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確かに飽きてきたしなぁ。楽しい事でもするか。ルツ。 |
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声に出して小さく笑って、彼は音を立てて目元にキスを落とした。 |
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