「ちょ・・・何やのん、ソレ」
「あ?」
「あ、ちゃうわ。その、赤いの!」
こっちに帰ってきてから早一ヶ月。
栄養失調で痩せた体も大分今は回復して、さいきんではもりもり飯も食って、
介抱してくれている家族も喜んでくれている。
心配性な弟はまだ屋敷から出してはくれないけど、時々はこうして昔の悪友達が
訪ねて来てくれるようになった。
相変わらず顔中セクハラのフランシスに、鈍感ばかなアントーニョ。そうそう、ローデリヒもこないだ来た。
何だかにこにこ笑うエリザベータと仲良く二人でご一緒に。
あいつら、いつの間にあんなに素敵な関係になりやがってんだ。エリザのやろうも、にゃんにゃん猫かぶって、気色悪ぃ。
ベッドの上で、「お熱いことで、オトコオンナ」とケセセと笑ってやったら「バラしたら殺す」と
お約束のテフロン加工の調理器具をちらつかせられた。
バラすも何も、もうテメーの暴力癖と腐った思考はローデにもバレバレだろうが。
知らぬは本人ばかりなり、全く幸せな事だ。全く。実に。うらやましい。
帰って来てから頻繁に訪ねて来てくれるのは、相変わらずスペイン訛りの強いアントーニョ。
変わったオレの姿を見て真っ青になって抱きついてくるトマトには、少なからず胸がじぃんとした。
何だ、友達いるじゃねぇか。オレ様。
弱った姿にちゃんと心配してくれる、友達が。畜生、不憫返上だこんにゃろめ。
軽く目から心の汗を滲ませて「久しぶりだな」と笑ったら、アントーニョは
「もう死んだかと思ってロヴィーノとお墓作ってしもうたわ!」
なんて、随分不吉な事を言っておいおい泣いた。
・・・・人を、勝手に殺して勝手に手を合わせてんじゃねぇよ。バカ野郎。
今日も今日とて、アントーニョはトマトみたいな頬を綻ばせてにこにこ屋敷にやってきた。
手にはつやつやした、真っ赤なトマト。
お前の土産はいつもコレかと塩を振って齧ったら、リコピンたっぷりで老化防止になるで!と相変わらず童顔な顔で笑った。
なるほど、そうか。大変説得力がある顔だ。
「ほんまはロヴィーノも連れて来たいんやけどなぁ。もうお前の弟が嫌いで嫌いでしゃあないみたいで」
「ルツを?なんで」
「フェリちゃんをたぶらかしたジャガイモ野郎だって、怒りだすんよ。ほんま弟離れできんで、困るわ」
「そりゃお前もだろ・・・。ルツ、一昨日から出張だから一週間くらい居ねぇよ。連れてこいよ」
「ほんまに?そういや会わせた事ないな、次、連れてくるわ。かんわいいでー、トマトの天使みたいやで〜」
トマトの天使。
かじった真っ赤に熟したトマトとほんわか笑うアントーニョを見ながら、オレはふぅんと相槌を打つ。
色々会話をしてるうちに、いつの間にか世界はだいぶ変ったんだなぁと、こんな時心から思う。
昔からぼけっと天然な奴ではあったが、こんなに平和でふにゃふにゃした感じではなかったし、
招いた客からは知らない奴らの名前もぽんぽん出てくる。
変わってないのは、オレだけか。いや、オレもだいぶ変ったけど。止まってるのは?そう、それだ。
時間が止まってしまってるのは、オレだけ。
持っていたトマトを全部かじって、水分でべしょべしょになった手を着ている白いシャツで拭く。
ルツが居たらすぐさま怒鳴られそうだが、どうせもう着替えるし。
第一ボタンまで閉めてるシャツのボタンを外してごしごし胸元で手を拭いて、「もういっこくれ」と左手を出したら、
アントーニョの鳶色の目がまん丸に、大きくなった。
「ちょ・・・何やのん、ソレ。ちゃうわ、その赤いの!」
あ?と首をかしげて見れば、彼の視線はオレの首元。
あ。
トマトの果汁で薄ピンク色になった白いシャツ。
家で寝てるだけなのに、何できっちり第一ボタンまでシャツを締めてたかなんて、忘れてた。
隠そうと思ってたんだ。
こいつから今から行くでー、と連絡があって、折角慌てて着込んだのに。
軽く心の中で舌打ちして、別に、と隠すことなくオレは笑った。
「何でもねぇよ」
「何でもあるやろ!なんなん、それぇ!」
「何でもねぇって!」
思わず。思っていたよりも少し強い口調になってしまい、軽く眉をしかめる。
さっきまでトマトを持って笑ってたアントーニョは、童顔な顔を歪ませて、心配そうに顔を覗き込んできた。
目には大丈夫か、という心配と同情の二文字。
やめろよ、そんなんじゃねぇから、そんな目で見るな。
トマト果汁でべたべたになった手でボタンを閉めると、オレはにっと笑って言った。
「向こうに居た時のが、痣になってるだけだ。心配するこっちゃねぇよ」
「でも・・・なぁ、ギル、」
「ルツは優しいよ。お前が思ってるような事は無いから、そんな顔すんな」
「・・・・・・・・・・・・・・・ほんまに?」
「嘘ついてどうすんだよ。弟だぜ?」
はは。どきどきしながら、笑って言う。嘘は言ってねえぞ、アントーニョ。
ルツは優しい。
ほぼ瀕死で戻ってきたオレを見て、青い顔をして泣いて、つきっきりで看病してくれる。
本来であればメイドの役目である、着替えや風呂や、下の世話まできっちりと。
オレが嫌がる事はしないし、強請れば仕事を後回しにして子供じみた我儘にも付き合ってくれる。
いい弟を持って、幸せだよ。そう言ってべたべたの掌を舐めたら、アントーニョはそれ以上は追及してこなかった。
流石、付き合い長いだけあるよなぁ。友達っていいもんだな、アントーニョ。
「トマト、もういっこくれって」
笑いながら、もう一度ずいっと左手を出したら、彼は同じように笑って、掌に真っ赤なトマトを乗せた。
あれからは別段変った事はなく、あの話を引きずる事はなく、昔の事を思い出しながらバカみたいに笑った。
聞けばあのヤンキー海賊は今はふにゃふにゃの腑抜けちゃんになって、でかい弟に振り回されっぱなしだとか。
ひぃひぃと涙を流して笑って、手を叩いて懐かしんで、土産にこないだ作ったヴルストをどっさり持たせて。
また来るでー、と手を振って玄関を出たアントーニョを見送ってから、オレはそのままバスルームに直行した。
ぺたぺた、ルツがオレの為に土足厳禁にしたひんやりした廊下を静かに歩く。
メイドを雇ってないしんとした屋敷はやけに静かで、小さな足音も廊下に響いて何だか少し寂しかった。
あいつが居ない間くらい、誰か雇えばよかったな。やっぱり。
もう飯も風呂も一人でできるから病人扱いすんな、と怒鳴っただけに今更だけど。
長い廊下の突き当たり、木製の扉をきぃっと開けて、当たり前だけど誰もいないか確認してから、静かに後ろ手に鍵を閉めた。
「あー・・・見えるかこりゃ・・・・・・・」
洗面台の上、バストショットの位置にある鏡で自分の姿を見て、一人思わず小さく呟く。
鏡の中でボタンを一つ開ければ、赤紫に内出血した太い線。
何本か筋になったそれは、首の根本にある物でもボタンを外せばわかってしまう。
ストールでも巻くか。家で。変か、それも。
鏡に映る赤紫色の線を見て、どうしたもんかと一人唸った。
アントーニョに言った事は、本当だ。ルツは何もしてない。だってあいつは二日前から居ないんだから。
帰ってくるのは、早くて一週間後だと言っていた。
長ぇなぁ。畜生、早く帰ってこいよ。
軽く目を瞑って、目の前にある鏡に右手をぺたりとついて、左手で首の頚動脈をぐっと押さえる。
とくとく。温かい、血の流れる音。オレはちゃんと、生きてる。
当り前のように音を鳴らす心臓に息をついてから、左手の親指と人差し指で、ぐぅっと咽頭を掴んだ。
ひゅぅ。小さく、音が鳴る。
ひゅぅ、ひゅぅ。そのまましばらく強めの力で喉を押さえていると、頭が酸欠でくらくらしてきた。
目を開ければ、鏡に映る、ぼぅっとしながら首を絞める自分の姿。
ああ、やっぱり手のほうがいいな。
ぼんやりしてくる頭で、ゆっくりと瞼を落としながらそう思った。
昨日はあやうく、死に掛けた。
麻縄よりも、専用に使う紐のほうが良いからって、前にあいつが言ってたのを思い出して。
主人の居ない部屋に上がり込んで、クローゼットの扉を開けたらすぐに探しものは見つかった。
柔らかい、肌にしっくり馴染む、使い込んだ黒い紐。
そのまま弟のベッドにころんと寝っ転がって、首にくるくる三回くらい巻きつけた。
端を結んで、ベッドサイドの縁に引っかけて。
くっとそのまま前に屈んだら、紐はぴん、と張って簡単に細い首を絞める。
かは、と喉が鳴って、げほげほ言いながら紐を引っ張ったら、更に喉はきゅうぅと絞まった。
ルツ。ルツ。
半開きになった口で、ひゅーひゅーと弟の名前を呼ぶ。
酸素を取り入れようと鼻から息を吸ったら、嗅ぎなれた香水の匂いがシーツから香った。
薄暗い部屋、誰も居ない屋敷で、弟のベッドでかちゃかちゃとデニムのベルトを外す。
中途半端に脱がしたデニムの間から手を突っ込んで、すでにぺたりと濡れている自分の性器をゆっくりと扱きあげた。
「っひ、はぁ、ルツ」
声を出すと、声帯が震えて紐に縛られてる咽頭が圧迫される。
酸素が足りなくて、喉をのけ反らしたら軽く紐が緩んで体がひゅくっと自然に呼吸をした。
ルツ、ルツ、生理的な涙が出てきて、それに煽られるように左手の動きが速くなる。
先走りの透明な液を絡ませて上下に擦って、体を前に倒して紐で気道を絞める。
はぁ、はぁ、と自分の息がうるさいと思ったが、コレでいつも奴が興奮してるのかと思うと、不思議と自分も興奮した。
声は出ない。耐えているわけではなく、声帯を潰された喉は、ひゅーひゅーという呼吸音を出すだけ。
足りない、足りない。ルツ。
呼吸音に混じって、ちゅくちゅくと聞こえる下半身からの音。
ベッドに染みついた弟の匂いを嗅いで、頭の中で弟の声を想像して。
反対の手もデニムに突っ込んで、まだ慣れてない後孔に中指を一気に突っ込んだら、
酸欠になって白くなった目の前で星が散った。
ルツ。
----------で、ブラックアウト。
明るくなって気が付いてみれば、ベッドサイドの紐の結び目が外れていて、オレはでかいベッドでくたりとなっていた。
両手はそのままデニムの中。
おかげで両手はびりびりにしびれていて、デニムの中はべちゃっとした不快感。
最悪、と思って脱いでみれば、腿に散った白いものはかぴかぴと少し引き攣れていた。
喉を触れば、少しじんと痛む紐の跡。
何だか急に胸がむかむかしてきて、冷静になった頭でベッドを降りてから、
上半身のアンダーも脱いでまとめて洗濯機に突っ込んだ。
・・・・言えるか、こんなこと。アントーニョに。
ぐっと気道を掴む左手に力を込めながら、鏡の中でみるみる桃色になっていく自分の顔を見る。
ドSな弟に洗脳されて、こんなアブノーマルな状態じゃないと一人で抜く事も出来ないだなんて。
冗談じゃない、ようやく向こうの拷問から解放されたと思ったら、今度は実の弟からの調教だ。
何てツイてない、オレの人生。一体何処まで不憫なんだろう。
何よりも悲しくて頭に来るのは、こんな体に慣れてしまった自分自身と、毎回オレの首を絞めながら愛してると叫ぶ弟だ。
人を痛めつける事と愛情がイコールになってるだなんて、我が弟ながら随分と歪んでいると思う。
付け加えて言うのならば、あいつの場合は愛情イコール性欲、イコール サディスティックプレイという
最悪な方程式も成り立っている。方程式のアンサーは、エックス イコール・オレだ。
オレはマゾじゃないと、もうこんな状態じゃ何も言えない。畜生。
ひゅぅひゅぅ音を立てる気管に、赤く染まる顔、だらしなく開く半開きの口。
鏡に映る自分を見て、あいつはこんな顔に興奮してんのかと思ったら、なんだか笑えてきた。
左手に更に力をこめて、ぎゅぅっと目をつむる。
頭の中で、熱っぽくオレを呼ぶ弟の姿がちらちら見えた。
ギルベルト、兄さん、兄さん。
俺の。俺だけの。
「ッ!っは、は、あっ!げほ、げほっ!」
きゅぅっと変な音が鳴って、頭が真っ白になった瞬間、やばいと思って手を離した。
鏡についてた体はくちゃっと崩れ落ち、肺がすごい勢いで収縮して、ばくばくと心臓が爆音で早鐘を打つ。
ブラックアウト寸前だった意識はくらくらくらくら、回らない頭は気持ち悪いくらいの眩暈を起こしてオレはその場でくたりと蹲った。
喉元に手をやれば、ひくひくと痙攣する咽頭。冷たくなった、自分の指。
ひんやりとするバスルームの床にぺたりと頬をつけて、まだひゅぅ、としか言わない喉を鳴らして、オレは弟の名前を呼んだ。
「早く・・・帰ってこいよ、ルツ」
離れていた時期はあんなに長かったのに、まだお前が居なくなって二日目だっていうのにこのザマだ。
人をこんなアブノーマルな性癖にしておいて、きちんと責任とってくれよ。ドS。変態。ああ、ヤりてぇ。
じゃねぇと・・・・オレ、お前が帰ってくる前に死んじまうぜ。
自分で自分の首絞めて、下半身素っ裸の状態で発見されるお兄様を見たくなければさっさと仕事なんか片付けて、帰ってこい。
もう一度小さくルートヴィヒ、と呟いて、オレはゆっくりと瞼を落とした。