「くっ……くく、ぷす、ケセ、お、おかえりなさい、ごしゅ、ごしゅじん……っぷぷぷ」
「……………………?」
「ひははははっははは!あはははは!はははは!お帰りなさいご主人様!!」
「…………………ッッ!!!」
 
くたびれて帰って来た弟に、「じゃーん!」と笑いながらリビングの扉を開けたと同時に、
ベルリン一帯に響き渡る様な怒号が、大きな邸から発せられた。
 
 
 
 
「痛ってぇぇえ……!」
「い、い、い、一体何を見たんだ!いいや、敢えて聞かん!最低だぞ、人の日記を勝手に……!!」
「痛てぇなクソ!全力で殴る事ねーだろ、むっつりむきむきドイツ人!」
「余計な気は回すなと俺は言った筈だぞ、兄さん……!」
「お前の為じゃねーですよーだ。オレ様が勝手に楽しむ為の物だ。どうだ、可愛いだろ!撫でさせてやってもいいぜ!」
「撫でるか……!」
「痛だだだだだッッ!ギブギブギブ!!」
 
んぎぎぎぎぎぃっとすごい勢いで裸締めを掛けられて、オレはばんばんと近くのテーブルをぶったたく。
暴れる度に着ているヒラヒラしたスカートが捲り上がって、ルツはそれを見て「うぐっ」と顔を真っ赤に染めて、オレから離れた。
 
「何なんだ、その格好は……!いかがわしい!破廉恥極まりない!目に毒だ、早く脱いでくれ。全く、何処で買って来たんだ……」
「これか?お菊ちゃんに貰って来たんだよ。いいだろ!」
「…………本田に?まさか、兄さん」
「ルツがメイドが気に入ったみたいだからよって言ったら、すぐに手配してくれたぜ。いい友達持ったな、ルツ」
 
によりと笑って、眉間の皺をうりうり突いたら、むきむきの弟は蒼白になって、リビングのボードにある電話の受話器を取った。
国番号は81。おーい、この時間なら寝てんじゃねぇの。常識はずれな奴だな。
笑いながら傍で観ていたら、どうやら海の向こうの相手は電話に出てくれたらしい。
挨拶もそこそこに突然「違うんだ!」と叫ぶカタブツの弟に、オレは耐えきれずに噴き出した。
 
「ほ、本田!本田っ違うんだ、あれは兄貴が勝手に言った事で、俺は決してメイドに良からぬ気持ちを抱いている訳では……い、いや、それも違う!
 いいか、最初から説明すればあの店に行った事も不可抗力でもともと俺はメイ」
「きーくー!オレ様この服ぴったりだぜー!これで今日はルツにご奉仕してやるから、今度報告がてらそっち行くぜ!」
「兄さん!!!」
「またマンジュウ食わせてくれよー!じゃーな!」
「本っ」
 
チン。
そのまま、人差し指でアナログな黒電話のフックを押して、通話を切った。
ケセセーと犬歯を出して笑って、ぶるぶる震える弟の周りをうろちょろしてやる。
弟の顔は、怒りで真っ赤を通り越して真っ青だ。
全く全然問題ない。普段なかなか感情を表に出す事の無い弟だ。
完璧主義も悪くはないが、たまには人間らしく(国だけど)、可愛い反応も見せてみろ。
オレは笑いながらレースのエプロンを摘まんで、中に履いているニーソックスを見せつけるように、ぺろりと捲る。
 
どうだどうだ、可愛いだろ。流石だろ、撫でたくなるだろ!
お前にコスプレ属性があったとはなー、SMにしか興味ねーと思ってたから、意外だぜ。
意外ではあるがオレは嬉しい!お前も立派に男子なんだな!童貞の!
いやいやオレ様はこういった類のものは結構昔に卒業しちまったからよー、なぁなぁ、他にねーのか?好きなコスプ
 
「レッ」
「…………………………」
 
ちょろちょろケセケセ笑ってでっかい身体の周りをくるくるしていたら、身体のでかい弟は、ゆらりと黒い影を背負ってオレの襟首を引っ張った。
……んがっ、く、苦しい……!
そのままぐいーと猫の子の様に持ちあげられて、オレはじたばたと腕を回す。
第一ボタンまで嵌めた白いブラウスが破けそうだ。おい、これ折角好意で貰ったやつなんだから、丁寧に扱えよ!
きぃっと唾を飛ばして叫んだら、ルツはくるりとオレを正面に向けて、そのまますごい勢いで、銀色の頭に頭突きした。
 
「痛ぃってぇ!」
 
目から星が散る。むきむきだけじゃなくて、石頭。硬いのは頭の中だけじゃなくて、どうやら外もがちがちだ。
ちかちかする視界の中で、赤い目に涙を溜めてルツに吠える。
ルツはこの世の終わりみたいな深い深い息を吐いて、その後に地を這う様な低い声で唸った
 
「兄さん……貴方と言う人は、一体俺に何の恨みが」
「あ?ねーよ、恨みなんて。どっちかっていうと愛してるぜ、オレのルツ」
「……これで俺は近々会議で全世界の笑い者だ!メイド喫茶が好きなドイツ軍人など、恥ずかしくて世界に顔向け出来ん……!」
「軍人じゃねーだろ、軍人じゃ。離せよ、バカ」
 
空いている手で、ごちんと形のいい額をチョップする。
オレの身体を解放すると、弟はでっかい身体を小さく丸めて、ぬおおおおおと頭を抱えて唸った。
オレはそんな弟の姿にもプスプス笑って、着ているメイドのスカートをひらひらさせる。
んーなおかしな方向に考えんなよ。健康な成人男子としての立派な反応じゃねーか。フェチズム?コスプレ嗜好の何が悪い。オレは無いけど。
第一、世界一のSM国家なんて異名がついてる時点で、お前の恥じらいなんて弾け飛んでる様なもんだしよ。
兄弟の一番末っ子に生まれた癖に、神経質な部分だけ残っちまったんだか……もっと色々、柔軟に考えろ。柔軟に。
何もかも完璧な国なんて、面白くもなんともねーだろうが。あれだよ。ギャップ。人間だって国だって、今は面白味がねーとウケねーぞ。
笑って、うずくまってる弟の肩をバシバシ叩いて言ってやったら、ルツは「俺は面白味やウケなぞ求めていない!」とすごい剣幕で怒鳴られた。
 
「これからは観光ビジネスにも着目しなきゃ生き残っていけねーぞ。お前も、もう少し面白可笑しい国にだな」
「……面白可笑しいドイツなど、何処の観光客が求めているというんだ」
「これからの新しいドイツに期待だ」
「兄さん……いいか、貴方ももう少し自覚を持って貰わねば困る。
 仮にも聖マリア修道院、ドイツ騎士団、プロイセン公国、ドイツの前衛となる貴方がメイドのコスプレなぞ」
「なんだよなんだよ、お兄様が身体張って、お前を笑わせてやろうとしてやってんじゃねーか。ちょっとは笑えよ。感謝しろよ」
 
長い説教が始まる前に、オレはプーと口を尖らせて、それを遮る。
普段眉間に皺寄せてばっかの、責任感の強い、まだ若い可愛い弟。
最近はフェリちゃんや菊ちゃんが一緒に居てくれているみたいだけど、仲のいい悪友二人に話を聞けば、他の国の奴らにも怒鳴ってばかりだと言うし。
正直、ハゲちまうんじゃないかと、心配なのだ。もう少し肩の力を抜いて欲しい。
こんな性格で国なんてやってたら、そのうち本気で倒れるぞ。
「どうだ」とばかりに、オプションで貰って来たヘッドドレスもセットする。
ケセッと笑って「ご奉仕しましょうか。ご主人様」とふざけて言ったら、ルツは再度深い溜息をついて、眉間を揉んだ。
 
「面白くない」
「あんだと!大の男が弟の為だけに女装してんだぞ!面白いだろうが!」
 
いい加減可愛くない反応ばっかりする弟に、オレ様はケセーッと髪の毛を逆立たせて、足を鳴らして怒鳴った。
可愛くねぇな、本当に。まさか、オレだってこのメイドのコスプレが似合うなんざ思ってねぇよ。
ただ、お前が少しでも、「何だそれは」と笑ってくれればいいと思って。
書庫にあった日記を全部読んではいないけど、こいつは最近全然落ちつけていないみたいだった。
寝不足の目を擦って家を出て、齧りつく様に仕事して、他の奴らの期待に応えようと背伸びして。
もう、オレは国としてお前を支える事は出来ねーんだ。
だったら、他の部分で何かの力になってやりたい。
たまには笑って、ガス抜きしろよ。
掃除も洗濯も食事の用意も、全部お前一人でやっちまったら、オレ様出る幕ねーじゃんかよ。
 
「なぁ。たまにはオレの事も使えって。そんなにこのカッコが嫌なら脱ぐけどよ……。
 お前がちょっとでも笑ってくれればいいかなって思って着たんだぜ。菊ちゃんだって……」
 
オレは口を尖らせて、きゅっとフリルのエプロンを掴む。
菊だって、少し心配してたんだ。だからわざわざこんなもの用意して、国際便で送ってくれたのに。
なぁ、と顔を覗き込んでも無言でいる弟に、オレは大きく溜息をついて、「わーかったよ、脱ぐよ」と、がりがり自分の銀髪を掻き混ぜた。
……と、同時に、ガッとでっかい掌で、両肩を掴まれて握られた。
 
「い、痛てッ」
「…………洒落に、なって、いないんだ。兄さん」
「…………はぇ?」
 
ルツの全身から、ゆらぁっと黒い蜃気楼の様なものが見える。
弟はそのまま立ち上がって、握っているオレの肩の力を強くする。
みしみしと折れそうになる肩の骨。
痛い!と怒鳴ったら、ルツはゆっくりとその手をブラウスのリボンに移動させた。
 
「兄さん……俺のケルン大聖堂が崩壊したらどうしてくれるんだ……人類の傑作である世界遺産が……」
「へ……う、うおっ、なんだ?なんだなんだ!おい、この手はなんだ!」
「全部兄さんが悪いんだ。こんな破廉恥な格好で誘う兄さんが。いいか、俺は悪くない、俺は悪くない……」
 
ブツブツと低い声で言いながら、弟の手はオレのブラウスのボタンをぷちぷち外していく。
何故かリボンは外さない。
へ、あ、あれ?あれ?
思っているうちに両手を後ろ手にまとめられて、しゅるりと外したこいつのネクタイで縛られた。
おい、ルツ?
嫌な予感……何となく。
ふーふーと呼吸の上がってきたでっかい男を見上げてへらりと笑ったら、男は自分のシャツのボタンに手を掛けて、余裕の無い笑顔で笑った。
 
「俺のライン川を氾濫させてくれる覚悟は、出来ているんだろうな。兄さん」
「ぎ……ぎゃーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!」
 
そのままぐわっと持ちあげられて、足でドアをばたむ!と開いて、寝室直行。
ぎゃぁあああっやめろ、止めろこのばか!童貞!おかしな事を考えるな!話をきけー!
じたばたもがくも両手の塞がっている状態では何も出来ず、代わりに足でこいつの身体を蹴っ飛ばす。効果無し。
朝のうちにメイクしたばっかのでかいベッドに放り投げられて、履いていたメイド用の靴を脱がされた。
 
「お、おい、おい、おいっ!落ち付け!わ、悪かった、オレが悪かった!」
「何がだ?俺に笑って欲しいんだろう?俺がメイド服に興奮すると言う事を知ったんだろう?
 ありがとう兄さん。ずっと押し殺していた気持ちを、これで解放することが出来る」
「て、てめっ、血迷うな、おい、おい!おいこら変な所触るんじゃねぇぇええええー!!」
「ああ……何て似合うんだ、兄さん……メイドの格好も縛られた縄も……。
 なるべく怪我をさせないように努めるが、何せ初めてなんだ。大目に見てくれ」
「ひッ……!」
 
シャツを肌蹴させながら笑うこいつが手にしたのは、調教用の黒い教鞭……い、一体何処でそんなものを。
荒い息を吐いて教鞭に舌を這わす弟を見て、オレは心の中で十字を切った。
 
アーメン、神様。天国に居るフリッツ親父。
オレ様は、弟の押してはいけないスイッチを弄ってしまったみたいです。
まぁ、こんな身体で可愛い弟の笑顔が見れるんなら安いもの…………の訳、ねぇよ。
何が哀しくてメイドのコスプレしたまま、弟に調教されなきゃなんねぇんだ。
 
「ル、ルツ、ルツ、ルツ!たんま、おいって!それは……それは、それだけは嫌だ!そんなトコ縛るんじゃねぇえええーーーーーーーーッ!!!!」
 
 
ああ、どうか願わくば、明日の朝はさわやかな小鳥のさえずりで目が覚めますように。
レースのエプロンを引き裂かれながら、オレはハハ、と小さく笑った。