兄さんにつけられる傷なら、いくらでも。
 
・・・・・・・・・・確かに、言った。訂正はしない。
実際、兄さんから与えられるものならば、痛みでも傷でもどんとこいだ。
俺の愛情は海より深い。だいたい、兄さんが俺に傷などつけられる筈がない。そう思っての計算も少々。
ただ、本当に彼が俺に消えない傷をつけたいのならば、甘んじて受けよう。
それ以上のものを、俺も彼につけさせては頂くが。
 
愛情イコール、独占欲。
所有物である証は、出来れば目立つものがいい。それこそ消えない程の傷跡であるとか、そうだな、タトゥであるとか。ふむ。いい。
どうやら人一倍独占欲の高いらしい俺は、自分のものに手垢がつくのを異常に嫌う。
昔から、自分の物にはでかでかと名前を書いて、それが自分のものであると周囲にアピールをしてきた。
これは俺の。これも。これも。いいか、これは、俺のものだ。
それ以外は特には気にしない。ただ、俺のものと書いてあるものには、触るなよ。
 
触られたくなければ、取られたくなければ、自分のものだとわかるように、でっかく書け。
それでも触れようとしてくる奴は、お前に喧嘩売ってんだよ。
 
笑いながら、そう、教えてくれたのは兄さんだ。
だから、俺はそうしなければと、確かにそうすれば俺の物に触れてこようとする奴らは、減ったから。
 
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・で?」
「・・・・・・・・・・・・・・俺のものだと・・・」
「・・・・・・・・名前を書いたという訳か」
 
ケセ、と笑う、愛しい兄弟。恋人、そんな言葉では生ぬるい。人生の伴侶。世界で一番愛しい人。
赤い瞳を細めて蕩けるように笑う彼に、ベッドの上で、俺も同じように目を細める。
ああ、兄さん。大好きだ。俺の兄さん。俺の。
油性マジックででかでかと「ルートヴィヒ」と書いた彼の萎えた性器をうっとりと見つめて、ギルベルト、と名前を呼ぶ。
兄は同じように俺の名前を、俺の好きな声で言ってくれた後、形のいい、白い額にびきぃっと青筋を立てて、ケセーーッ!と怪獣の様に叫んだ。
 
「なぁぁぁあああああああに人の大事な大事なムスコ様に油性マジックで落書きしてんだよこのむきむきノーミソ!!!」
「俺のものだ!!」
「オレのだよこのスーパーおばかさん!!恥ずかしい身体にしてくれやがって、どうしてくれんだバカルツ!!」
「は、恥ずかしい身体・・・・・・・・・ッ!?」
「おかしな妄想すんじゃねぇ、女童貞」
 
きぃぃっと牙を剥く兄に、その後ばこすと殴られる。
痛いじゃないか、今は痩せてしまった兄だが、昔は強かった事は知っている。
俺と同じ血が流れているだけあって、手加減を知らない。力の加減が分からない。この兄は、いつも俺には全力だ。
どーしてくれんだよー、今度イタちゃんと一緒に夜のドナウ川ランデブーしよーって約束してたのによぅ。
しっかりくっきり太字のマーカーで俺の名前の書かれた自分の萎えた息子を見つめて、くたりとしたものを手に持って、深く溜息。
めそめそと泣き真似をする兄に、む、と唇を尖らせる。
ヴァルガスと出かけるのに、兄さんのその場所の事を気にする必要はないだろう。
それとも、何か。ヴァルガスに、その場所を見せて「これ、ルツが書いてくれたんだぜ!」と自慢でもしたいのか。
後者ならば認めよう。
 
「だが、兄さんの可愛いヴルストを例え相手がヴァルガスだろうと、見せるという行為には感心しない」
「可愛いヴルストで悪かったな、規格外フランクフルト。名誉のために言っておくが、オレ様は決して世界平均から見てもお粗末なもんじゃねぇぞ」
「・・・・・・・・誰かと比べたのか?他の臨戦状態の奴らと?何処で?何故?どういう場面で?」
「世界平均だっつってんだろーがこのむきむきのーみそ!!」
 
すぱぁん!と、剥き出しの太腿と両手の平手でスタンプされて、思わず低い悲鳴が出る。
我ながら太い太腿にくっきり浮き出るのは、兄の手のサイズの真っ赤なもみじ。
遅れてくるひりひりした焼けつくような感じに、む?と無意識に、左の眉毛がぴくりと動いた。
痛い。先ほどから、兄は俺を殴ったりぶったり怒鳴ったり、挙句にはこうして自分の手のひらサイズの手形をマーキングしたりと、
何だかやりたい放題だ。
俺は、彼の為に、彼は俺のものだから、所有物ではないが、彼のヴルストは俺のものだから。
だから、彼の為に、俺の為に、他の誰かに取られない様に、名前を書いたのに。
何故彼は俺を責めるのだろう。彼だとて、いつも俺が一番好きだと、流石は自分の弟だと、褒めて、笑ってくれるのに。
 
「・・・・・もしや、兄さんも俺のヴルストに名前を書きたいのか・・・?」
「お前いい加減に戻って来い」
「ならばよし、さぁ兄さん、存分に書くがいい!俺の全ては兄さんのものだ、さぁ、さぁさぁさぁ!」
「誰かぁぁぁ警察呼んでください警察!」
 
ほぼ肌蹴て着てる意味もないようなバスローブをがばりと開いて全裸で油性ペンを持って兄に迫れば、兄は真っ赤な瞳から涙を零してざざっと勢いよく後ろに下がる。
すみませんごめんなさい、勘弁して下さいリアルにガチムチ、犯される!
「んでもって何でお前、朝っぱらからおっ勃ててんだよ!」とその後もう一度俺の頭をバコンと殴った。
 
 
 
 
「不条理だ・・・・」
「・・・・・・お前がお兄様の事を好きなのはよく分かったし、もともと知ってる。けど、コレは一体何なんだ・・・」
「兄さんを誰かに取られると思うと、恐ろしくて」
「・・・・・・だからって何で背中にもでっかくお前の名前を書くのかな・・・」
 
あの後ぷりぷり怒る彼を宥めて、子供の兄と違って俺は大人だから、シャワーでも浴びて出かけようと細い身体を担ぎあげて、シャワールームに放り込んで。
途中ぎゃぁぎゃぁ騒いでいたが、そんな事は気にしない。いつもの事だ。のしのしと廊下を歩いて、大きな鏡の前で着ているシャツをひっぺがして、
久々に湯でも張ろうか、そう思ってバスタブをごしごし磨き始めたら、脱衣所に居た兄が「ぎぃいやぁぁあぁぁあああああぁぁぁっっ!!」と
けたたましい声で悲鳴を上げた。
 
真っ赤な顔して、ぱくぱくと鏡を後ろ手に見ながら大きな目を開くギルベルト。
何なんだ、朝から他の家にも迷惑だろう、そう、眉を顰めながら泡だらけのスポンジを置いて、のっしと兄の方に身体を向けたら、
それと同時に予備に置いてある、新品の石鹸が飛んできた。
カコーン、といい音を出して、本田からもらった日本の名物牛乳セッケンは俺の顎にクリーンヒット。
そのままバスの洗い場に落ちて、一瞬、ぬぉっと目を回した俺は、更にその石鹸につるりと滑って大きな身体でバスタブの中に引っくり返る。
なんと、三流のコメディの様だ、ちかちかする視界の中で額を押さえてバスタブに手をかければ、怒りで顔を真っ赤に染め上げた兄が、
鬼の様な形相で俺の右手を、だんっ!と踏んだ。
 
全裸の状態で片足をバスタブの上、もとい、俺の手の上に乗せるギルベルト。
何という扇情的な姿だろう。先ほど俺がマジックででかでかと名前を書いたヴァイスヴルストが目の前だ。
赤い顔に、潤んだ、紅色の瞳。誘っているのかと思う様な兄の格好に、俺のフランクフルトも茹であがりそうだ。
兄さん、はぁはぁ上がっていく息を自覚しながら、素足で踏みつけられた手をしゅぱっと引き抜いて、愛しい彼のヴルストをがっしと力任せに握ったら、
そのまま怒りに頭を沸騰させた彼に、白い足で横っ面を蹴り飛ばされた。
 
 
 
 
・・・・のが、前述した内容だ。
 
不条理だ、とじんじん痛む頬を押さえてバスタブの中で、でかい身体を丸めて溜息をつけば、兄さんも同じように溜息をついてシャワーのコックを
きゅうっと捻る。最初は冷たいぞ、そう伝える前に冷水が銀色の頭にじゃぁじゃぁと降り注いで、彼は悲鳴を上げてシャワーのノズルをこちらに向けた。
 
「冷たいだろう!何なんだ、さっきから、俺へのいやがらせか、兄さん!」
「コッチの台詞だっつの!!お前、責任もって全部消せよ!」
「どうして消さなければならないんだ、兄さんが言ったんじゃないか、大事なものには名前を書けと、」
「だからお前のパンツやら食器には全部名前が書いてあるのか・・・」
 
じゃぁじゃぁと自分の背中に暖かくなったシャワーを当てながら、大きく息を吐くギルベルト。
ボディソープのボトルをプッシュして、わしわし泡立てて、硬めのボディブラシでわしわし擦る。
白い背中には、彼の性器に書かれたものと同じ筆跡の「ルートヴィヒ」の文字。
これで、誰も彼には手を出さないと思って、それで。
折角、寝てる彼をぐるりとひっくり返して、起こさない様に暗い部屋の中で、一生懸命書いたのに。
ごしごしとブラシをかけられる背中を見ながら、狭いバスタブの中で、体育座りをしながらぶすりと頬を膨らます。
つまらん。だいたい、兄さんは俺の気持ちを何も理解していない。しようとしてくれない。
そして、自分の魅力や危うさを、軽度に考え過ぎている。
確かに俺意外に、露出した背中やヴルストを見せる事自体があまり起こり得ない事だとは思うが、万が一、そんな事態になった時。
そこに俺の名前が書いてあれば、相手も「これはルートヴィヒのものなのだ」と理解してくれるだろう。
それでも兄に手を出す輩は、俺への宣戦布告だと、大義名分の下、遠慮なしにこちらも対応出来るではないか。
何かあってからでは遅いのだ。念には念を、おい、分かっているのか、聞いているのか、兄さん!
 
ごしごしごしごし、背中を擦る兄は俺に負けず劣らずぶすっとした顔をして、擦りきれんばかりに背中を洗う。
ついでに、ふっかふかに泡立てたボディソープで、前の性器もわしわしと洗う。
思わずごくんと息を飲んで、「自慰をしているようだ」と、最後まで言う前にもう一度先ほど投げられた石鹸が額にカコーンと飛んできた。
 
「オレ様は、お前の所有物じゃねーんだよ、オレだってお前がオレのもんだって思った事は一度もねーぞ!」
「思ってくれて構わない、俺は兄さんのものだ」
「なんっでそーゆー考えになんだよ!対等に考えろ、対等に!」
「お互いがお互いのものだという考えは、対等じゃないのか」
「だーかーらー・・・」
 
ごしごし、これ以上擦っても消えないマジックの跡を諦めたのか、兄は目を瞑って大きく溜息を吐くと、ざぁっと頭からシャワーを浴びる。
真っ白な泡が背中を滑る。摩擦で赤くなった部分には自分の名前。
良いと思うのだ。お互いがお互いに依存していて、何が悪い。唯一無二の二人だ、俺の心は彼の物だ。
もしかしたら、彼はそうではないのか。だとしたら、確かに迷惑だろう。ただ、そうではないのなら。
 
「・・・独占したいと思うのは、そんなにも悪い事なのか」
「ルーツ」
「俺は、兄さんだけ居ればいい、他はいらない。兄さんも、俺に名前を書いてくれるのならば、それが一番嬉しい」
「あのな・・・」
「どうしてだ、わからない、貴方がどうしてそんなに怒るのかが、理解できない」
「・・・・・・・・・・・・・・ほんとに、オレ様どうやってお前をこんな風に育てちまったんだ・・・」
 
見た目にも分かるくらいにかくりと肩を落とした兄は、最後に「もういい」と諦めたように笑って、俺の金色の髪を濡らして、
シャンプーをたらしてがっしゃがっしゃと力任せに洗い出した。
余りにもがしがしと力一杯に洗うものだから、途中で「俺は犬ではない!」と怒鳴ってしまった。
 
 
 
 
その日はそのままその話題には触れずに、彼は俺の名前のついた身体のまま服を着て、家の犬を無言でわしわしと撫でつづけていた。
俺に負けず劣らず兄の事が好きな犬たちは、普段あまり構ってくれない彼の行動に尻尾を振って大喜び、腹を見せてもっと撫でろと彼の周りを
ぐるぐる回る。3匹で、ギルベルトをめぐっての取っ組み合い。
最終的にはあまりに犬に構いっきりの兄に俺も業を煮やし、負けずに俺も参戦して、3匹と人間一人でギルベルトに撫でてもらう為の
争いになってしまった。
最初は「いいかげんにしろ!!」と怒鳴っていた彼も、最後には肉球の跡を顔中につけて犬に圧し掛かられてる自分に爆笑して、
俺の頭を撫でてくれた。
 
ああ、兄さん。やはり、俺は誰であろうと貴方を渡したくなんてない、その笑顔は俺だけに向けられていなければ嫌だ。
 
撫でられながら、そう目を瞑って伝えたら、兄は「犬にまで焼きもちやくなよ・・・」と困った顔で笑っていた。
 
 
 
 
翌朝、同じベッドで起きてみれば、全裸の自分の身体の中心に、「ギルベルト」とでっかく書かれたものがあった。
おや、と見てみれば、太腿にも「オレ様専用」とでかでかと書かれてある。
少し嬉しくなって、まだ眠っている愛しい兄の額に、軽くキスをして、トイレに向かう。
やはり、兄さんは優しい。なんだかんだ、いつも俺の事を考えて行動してくれる、優しい人だ。
愛しい人と一緒に朝を迎えられる幸せ、用を足したら戻って、折角の休みだから昼まで彼と一緒に眠るとしよう。
 
トイレに備え付けてある鏡を見て、額にも大きく「ギルベルト・ヴァイルシュミット」と書かれている自分の顔を見て悲鳴を上げるまで、あと5秒。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・しばらくは、仕事の予定をキャンセルしなければ。そして髪形を変えなければ。
5秒後に鏡の前で絶望する自分の姿は、今は見えない。
 
 
ああ、愛しているぞ。ギルベルト。
この先何があっても、俺には一生、貴方だけ。