俺の恋人は俳優だ。
ポルノビデオの。俳優っていうか……男優?
主演とかやってるから、結構名前は売れてるんだと思う。
俺はあんまり興味が無くて、観た事が無いんだけど。
折角だし、恋人として彼がどんな仕事をしているのか把握くらいはしようかなと、久々にDVDなんか買ってみた。
パッケージの表面には、恋人の名前がでかでかと泊押しで印字されている。
Arthur・K。
……あの人、本名でやってるんだ……馬鹿じゃないの……。
この季節、まだまだ外の気温は高い。
汗でじっとりと湿ってくる額の汗を手の甲で拭きながら、パッケージを見て俺は小さく金色の眉を顰めた。
 
 
 
 
『……ん、あ、あぅ、あっ、あ、』
「……………………」
『あぁ、あ、い、いい、あ、すごい、……いく、いく』
「……………………」
 
最近買い換えた、画像数の高いのフルハイビジョンTV。
ワイド型のモニタの中で、恋人が全裸で高く喘いでる。
クーラーの利いた1LDKのリビングで、俺は買ってきたばっかのコカコーラを飲みながら、軽くけぷりと息を吐いた。
俺の恋人はAV男優だ。
ゲイポルノの。思ってた通り、受け専の。
こんなの、一体誰が観るんだ……やっぱりゲイの人?だろうなあ。
アーサーばっかりアップで写されてる撮り方を観れば、タチ視点で作られてるんだろうし。
女の子が主役のAVと、内容は大して変り無い。
取ってつけたようなストーリーに、何の前触れもなくベッドシーンになってセックス開始。情緒も何も、あったもんじゃない。
普段はムードだとか雰囲気だとか、他の誰よりも気にする癖に。
 
『っあ、あぁ!いく、……ッぁ、あ、あッ!』
 
画面の中のアーサーが、一際甲高い声を上げて、細い身体を震わせた。
色が白いよなぁ。男の癖に。普段隠してる被覆部なんて、透き通るみたいに真っ白だ。
ぼろぼろ泣きながら射精の瞬間に耐えてる顔なんて、流石だと思う。
これは、ゲイ専門でない男にも、もしかしたら受けているのかもしれない。
残念ながら、俺はちっとも興奮しないけど。
嘘くさくて、偽物みたい。阿呆らしい。
画面の中の彼の顔がアップになって、涙に濡れた緑色の瞳とモニタ越しに目が合った。
本物のアーサーは、こんな顔しない。こんな、人を誘う様なわざとらしい余裕は、絶対見せない。
かちゃんと音がして、きぃっと玄関の扉が開いた。
 
「ただいまー……」
「お帰り、ダーリン。暑かった?」
「すげー汗かいた……っうわ!お前、何観てんだよっ!」
「君の仕事ぶりを」
「ぎゃーっ、消せ、消せ!観んなよ、ばか!」
 
合鍵を使って入ってきた恋人は、顔を真っ赤にしながらドタバタリビングに入って来て、俺の手からリモコンを奪うと即座に画面のモニタを消した。
ぴっ、と音が鳴った後に真っ黒になる大きな画面。
派手に精液を飛ばしながら泣いていたアーサーも同時に消えた。
アーサーは真っ赤な顔のまま振り返って、恨みがましい目で俺を見る。
「おかえり」と、俺も口を尖らせて持ってるコーラを渡したら、彼は何も言わずに赤い顔のまま、飲みかけのコーラを一口飲んだ。
 
「吃驚した……買ってきたのかよ?わざわざ」
「君の収入に貢献しようと思ってさ」
「固定給だから、俺の所には入ってこねーよ。……もう、恥ずかしいんだから観るな。ばか」
「観られたくない?」
「……別に、いいけど。お前が嫌じゃないなら」
 
軽く俯いて、アーサーは炭酸の抜けたコーラを俺に返した。
俺はそれを受け取らずに片手で彼の腕を引っ張って、ぎゅっと細い腰を抱きしめる。
両手を巻き付けて、薄いお腹に顔を押し付けて、すり、と頬を擦ったら、彼は「何だよ」と言って少し笑った。
Tシャツが湿ってる。こんなに暑いのに、身体から香るのは汗の匂いじゃ無くて、薔薇のボディソープの匂いだ。
仕事後の、彼の香り。
AVっていうのは意外にも昼間に撮影が入る事が多いみたいで、彼は大抵夕方に、この匂いを纏わせて俺の家に帰ってくる。
おかげで、一応男一人暮らしの部屋の筈なのに、俺の部屋は彼の撒き散らす薔薇の香りで一杯だ。
それは結構強い香りで、彼が居ない間も、ずっと部屋に香り続ける。
彼が部屋に居ない時って言うのは、それは仕事に行ってる時で。
それは、イコール、彼が他の誰かと、裸で抱き合っている時で。
俺は、ぎゅぅぅとアーサーの腰を抱きしめたまま、目を瞑った。
 
嫌じゃないかって?嫌に決まっているだろう。
恋人が、仕事とはいえ、自分以外の人間に抱かれて喘いでるんだ。
しかもそれを全世界に向けて、発信してる側なんて。
嫌だよ。嫉妬でおかしくなりそうだ。
 
「アル?」
「………………」
「……甘えんぼ」
「……うるさいな」
 
アーサーはそう言ってコーラの缶を近くのサイドボードに置いて、俺の頭を優しく撫でた。
彼がこの仕事を始めた理由は知らない。
俺と会った時には、もう彼はカメラの前で他人とセックスする仕事をしてた。
それでもいいからと、仕事に関して口出ししないという条件で、一緒に居て欲しいと頼んだのは俺だ。
何度も断られて、どうせすぐに嫌になるから、って笑われて、最後には泣き落としまで使って(不本意だけど)、ようやく手に入れた、大事な人。
彼はこの仕事を始めてから、特定の恋人を作った事は無いと言っていた。
一度だけ長く付き合っていた人と大喧嘩して別れてから、それ以来、特別な人を作るのを止めたと。
そんなに自分に枷をつけてまで、彼がこの仕事をしている理由は何なのか、俺は知らない。
そのうち、彼が自分から話してくれればいいと思う。
「キスして欲しい」とアーサーのお腹に顔を埋めたまま小さく言ったら、彼は俺の髪の毛にゆっくりと唇を落として笑った。
 
「……お前みたいな奴、初めてだ。こうしてるだけで、嬉しい」
「……うん」
「オレがあんな仕事してるの、嫌だろ?」
「……嫌だけど、嫌じゃないよ。ああいう部分も含めて、君なんだろ。
 たまに苦しくなるけど、その感情ごと受け入れられる様に努力する」
「ごめんな」
「いいよ」
 
『ただ、仕事で身体を使うだけだ。感情は一切伴って無い』
俺の髪の毛を梳きながら、静かにそう言う彼の持論は、はっきり言ってまだ理解が出来ない。
こんな豊かな国に居て、何もそんな仕事を選ばなくても。
思う事は沢山あるけど、俺は絶対にそんな事は言わない。話さない。彼の仕事だ。
彼が、自分で選んでいるなら、きっと俺には分からない深い考えや事情があるんだろう。
俺が考えるような深い理由なんて、もしかしたら無いのかもしれないけど。
アーサーは静かに、彼とお揃いの色の俺の髪の毛を撫でる。
腰にしがみついてる俺を、子供みたいにあやして、愛しそうに微笑む。
 
「……お前の側に居ると、安心する。こんなオレを受け入れてくれのなんて、お前だけだ。
 大好きだよ。アル」
「うん」
「嫌になったら、オレなんかいつでも捨てていいから」
「……捨てないよ。何言ってるんだい」
 
馬鹿じゃないの、そう言って顔を上げて伸びあがって、まだ少し汗で湿ってる唇にキスをした。
アーサーは仕事じゃ絶対にキスはさせないらしい。
よく居る風俗の女の子みたいな事をする。
あんな破廉恥な仕事をしてる癖に、唇にキスをする時はいつも真っ赤になって、恥ずかしがる。
彼の仕事の話を聞くたびに涙が出そうになるくらい彼も自分も嫌になるけど、キス一つで帳消しになる。
結構俺も、単純だ。だって彼のこのキスは、俺しか知らない。俺だけのものだ。
それだけでいいだなんて、どうかしてる。この人にハマってきてる、いい証拠だ。
性質の悪い、ドラッグみたいな人だと俺は思う。
 
「……いつでも捨てていいけど、お前に捨てられたら、オレ、死ぬから」
「捨てないってば」
 
誰よりも愛情を望んでいる癖に、愛情の無いセックスを仕事としている彼の矛盾や虚しさは、一体何処からきているんだろう。
俺から観たアーサーという人は酷く自虐的で、臆病で、そして我儘で、自分勝手だ。
幸せになる事を恐れているようにも見えるし、幸せには上限があると思っている様にも見える。
愛情を試されている様な彼の言葉に、哀しくならない時も無いとは言えないけど。惚れた弱みだ。仕方が無い。
「アーサー」、名前を呼んで彼の後頭部に左手を回したら、彼は目を瞑って俺の首に手を絡ませて、唇を寄せた。
 
ソファの上で俺の身体に跨る彼と見つめ合って、キスして、何度か舌を絡ませる。
ちゅっと音を立てて頬に唇を落として、するりと彼の着てるシャツの裾から手を入れたら、アーサーは恥ずかしそうに目を閉じた。
こういうのも全部演技だったらどうしよう、なんて最初の頃は思ったけど、別に今はどうだっていい。
それが演技だって本気だって、彼はきちんと俺の気持ちに応えてくれてる。
俺はそれを信じたいし、俺の言う事も信じて欲しい。
何が真実で嘘かだなんて、きっと考えるだけ無駄なんだ。
カメラの前で他の人と抱き合ってるアーサーだって、きっと本当の姿で、あれも含めて、俺の好きなアーサーだ。きっと。
 
キスの合間に呼吸をしながら、彼は俺の掛けてる透明なレンズを外して、床に置いた。
微笑まれて、瞼にキスを落とされる。前髪を掻きあげられて、髪の生え際に。
アーサーのセックスは、あんなに、ビデオの様に激しくない。
ゆっくりしてて、優しくて、抱き合ったまま眠れるくらいに安心する。
感じてくれている時は、何度も俺の名前を呼ぶ。掠れた声で、何度も、何度も。
正直、モニタの中に居る彼なんか目じゃないくらい、興奮する。
手を繋いで指を絡ませて、「ベッドがいい」と赤くなりながら言う彼に、俺は少し笑って軽い身体を抱きあげた。
 
「でも、今日君のビデオを見て、少し安心したんだ」
「……?何がだ?」
「だって、全然俺としてる時と違うから。君、イイ時ほど『いい』って言葉は使わないんだぞ。知ってた?」
「…………ッし、知るか、ばか」
「あと、ちゃんとイく時はあんなにきゃあきゃあ高い声出さないしね」
「う、うるせーなっ、監督の指示なんだよ……もう、それ以上言うな、恥ずかしい」
「身体、疲れてない?俺ともしてくれる?」
「…………だから、仕事とお前は全然別だって……」
 
ぷしゅうと湯気を出しながら俺の肩口に顔を埋める恋人に、俺は気を良くしながら、行儀悪く足で自分の部屋の扉を開けた。
ベッドメイキングのなっていない、一人用の狭いベッドに彼を下ろして、シャツを脱いでからエアコンのスイッチを入れて、カーテンを引く。
遮光加工のされていないブルーのカーテンは、夏の明るい日差しを遮ってはくれなくて、彼の金色の髪が日に透けてきらきら光って見えた。
 
「アル」
「うん」
「オレ、あの……すごいお前が好きだ」
「知ってるよ」
「お前にしか、感じない」
「知ってる」
 
シャツの中に手を入れて、まだ湿った肌の感触を楽しんで、首筋に軽く口づける。
痕がつかないように。本当は、身体中につけたいけど。
くすぐったそうに笑うアーサーの髪を何度か梳いて、そのまま俺もベッドに上がって、自分の服を全部脱いだ。
今日はゆっくり、セックスしよう。しなくたっていい。どっちでもいい。手を繋いで、裸で抱き合って、そのまま寝よう。
セックスしても、しなくても、この人は変に勘ぐって不安になって、泣きだすから。
 
「どんな君でも好きだよ。アーサー」
 
服を全部脱がせて、まだ日の沈んで居ない明るい部屋で彼の身体を抱きしめたら、アーサーは俺の名前を呼んで、おずおずと背中に手を回した。
 
 
俺の恋人は少し変だ。
性癖が歪んでて、人を愛する事も愛される事も下手糞で、でも、すごく真っ直ぐで、純粋で、不器用で、それがたまらなく愛おしい。