「……あ」
「……あった……」
一時間後、小さくだけど、スタンドの看板が見えて、俺たちは大きく息を吐いた。
俺たちみたいにガス欠で立ち往生する間抜けな人って言うのは実は結構多くて、
この道にはなかなかにこういったスタンドが点在してる。
二時間以上炎天下の中300kgあるバイクを押してきた俺たちは、二人共汗だくで砂埃で真っ黒で、
安心したと同時にそのまま力が抜けそうになってしまった。
もうちょっと、頑張ろう。後は俺が押すからいいぞ。
そう笑って、もう汗を吸いまくってびしょびしょのタンクトップを捲って、額から落ちる汗を拭う。
予想はしてたけど、彼女は「早く家に帰りたいから、一緒に押す」と言って、結局は1km離れたスタンドまで、
重いバイクを二人で引き摺った。
「給油口、何処?」
「そっち……キー入れて」
もう一人の俺であるアメリカは、皮のグローブを外してキャップにキーを入れて回して、
熱く焼けてるコンクリートにコロンと転がす。
俺も蒸れたグローブを脱いで、セルフサービスになってるスタンドのパネルを操作しながら、
がちゃがちゃとノズルを合わせて、銀色のノズルを軽く引いて、固定した。
乾いた空気に、むわっと香るガソリンの匂い。
ようやく帰れる……ノズルが外れないように押さえながら息を吐いたら、今更ながらに膝が軽く笑い出して、
運動不足だなぁと、鈍った身体に自嘲した。
「アメリカ。コーラ売ってたけど、飲む?」
「もちろん……あー、久々にハードだったな……明日絶対に筋肉痛だぞ」
「明日の事よりも、早くこのカッコどうにかしたいわ……もう、この爪どうしよう」
「何でそんなに爪を伸ばす必要があるんだい。不便だろ」
「綺麗に整えてた方が綺麗でしょ?」
彼女はコカコーラのプルリングをカシャッとあけて、笑う。
あの長い爪で、どうやって開けてるんだろう。俺は、爪の長さなんて結構どうだっていいとおもうけど。
手渡された飲みかけのコーラを一気に飲んで、その後けぷっと息を吐く。
俺はもうこの時点でヘロヘロで、もう帰ることしか頭にないけど、
こっちのアメリカはバックミラーを見ながらリップを塗ったり手櫛で髪を梳いたりと、何だかまだまだ元気そうだ。
彼女の服装は随分と短いローライズのショートパンツに、いかにも蒸れそうなウエスタンブーツ。
やだ、やっぱり焼けた!とブーツを脱いで悲鳴を上げてる彼女を見て、心底すごいと感嘆する。
俺にとって女の子っていうのはやっぱり未知の生物で、そして、実にタフだと思う。
焼けるのがイヤなら、そんな露出の高い格好してこなければいいのに。
間違いなくタンクトップの形に日焼けしてるであろう自分の上半身を擦りながらそう言ったら、
彼女は「このカッコが好きなの」と文句を言った。
ぴーかんのお日様はだんだんと少しずつ陰ってきて、そろそろ気温も下がるだろう。
太陽が隠れると一気に温度が落ちるから、その前に市街に入りたい。
ガチャン、とガソリンを入れていたノズルのバーが上がって、満タンになった事を知らせてくれる。
給油口からそれを外して、元の定位置に戻した時に、ぴるる、と尻ポケットに入れてた携帯が鳴った。
液晶パネルの着信は、アーサー・カークランド。
ほわりと心の中があったかくなる。
「イギリスから電話」ともう一人のアメリカに伝えたら、彼女はミラーから顔を上げて、
「どっちの?」と青い瞳を輝かせた。
「君のイギリスが、俺のプライベートのナンバーを知ってる訳ないだろ……男のほうだよ」
砂まみれになった携帯を、ぴっと音を立ててボタンを押す。
ハイ、ダーリン。
笑って応答したら、ここ何十年と寄り添ってる同性の恋人は、少し心配そうに、
『……やっと繋がった』と少し震えた声を出した。
やっと?……あ、もしかして、あの場所電波なかったのかな。
もしかして、電話くれてた?
片手で、給油口のキャップを閉めて、カチャリとバイクのキーを抜く。
肩に携帯電話を乗せて、皮のグローブを嵌めながらそう聞いてみたら、
彼は『昼からずっとかけてたよ!行き先も知らねーし、何かあったのかと思ったじゃねーかよ、バカ!』と耳元で叫んだ。
きぃん、と響く恋人の声に、心の中でワォ、と笑って「ごめん」と返す。
「悪かったよ、言ってなかったっけ?ごめん、ええと、グランドキャニオン。
 はは、うん。うん、あと、ちょっとしたアクシデントがあって……
 今アメリカと一緒にスタンドに居るから、あと3時間くらいで帰れると思う」
疲れた身体に、恋人の声って言うのは、本当に心地よくて安心する。
もう色々くたくただから、早く会って、ふかふかのベッドで一緒に寝たい。
……なんて言うとこの人はすぐに色々勘違いするから、言わないけど。
すぐ隣で何だかによによしてるもう一人のアメリカの視線も気になるし。
じゃぁ、と切ろうとした時に、電話の向こうに居る恋人は、「あ、」と俺を引き止めて、あのさ、と小さく切り出した。
「何だい?……え?あ、そうなの?分かった、ちょっと代わる」
砂で真っ白になってしまった、赤と青のカラーリングの、派手な携帯。
同じようにグローブを嵌めて、短いホットパンツのベルトを直してるアメリカに、「はい」と言ってそれを渡す。
何よ?と顔を上げたアメリカに、俺は笑って「君に電話」と携帯電話を押付けた。
「君の恋人から。今、イギリスも二人で居るんだって」
彼女は青い目を丸くして、その後、無言で俺の手から携帯電話をひったくる。
俺に良く似たもう一人の合衆国であるアメリカは、ブルーの石の入った小さな耳に携帯電話をつけて、
ミラーを見ながら、前髪を軽く弄って、躊躇いがちに口を開いた。
「……ハイ、ハニー。あたしよ。あの……あの、この間はごめんね。
 今アメリカと一緒なんだけど、イギリスが欲しがってた石、買ってきたの。
 うん……うん。すぐ帰るから、泣かないで。愛してるわ」
ちゅ、と携帯越しにキスをして、その後に「バイ」と彼女は電話を切った。
切った後に、あっという顔をして、ごめんと俺に携帯を返す。
「切っちゃった」
「いいよ。話終わってたし……仲直りできた?」
「うん」
アメリカは、砂埃まみれの顔で、青い瞳を細めて笑う。
花が咲いてるみたいだ。自分にこういうのもなんだけど……絶対に俺たちアメリカっていうのは、笑っていた方がいいと思う。
ユニオンジャックのキーホルダーのついたキーを入れて、イグニッションを回す。
今まで一生懸命引き摺っていた大きな愛車は、すぐに、どるんと音を上げて、
ハーレー特有のエンジン音を乾いた空気に響かせた。
硬いシートに座って、青いメットを被って、D&Gのサングラスを少し日焼けして火照った顔にかちりと嵌める。
どっ、どっ、どっ、とリズムを刻むスポーツスターのスタンドを蹴り上げて少しバランスを取って、
後ろに居る彼女に「乗って」と言ったら、彼女は少し肉付きのいい足を上げて、後ろのシートに乗り上げた。
「本当、硬いシート……」
「文句言うなら、置いてくぞ」
同じようにサングラスを嵌めて、彼女は細い腕を俺の胸の辺りに回して、バランスを取る。
背中に当たるのは、柔らかくて豊満な彼女のバスト。
ちょっと、と赤いメットを被った彼女に振り返ったら、彼女は「なに?」とサングラス越しに、青い瞳を合わせてきた。
「胸。あんまり押付けないでくれよ」
「勃起しちゃう?」
「……やめてくれ。もう一人の自分に興奮するなんて、前代未聞の事態になったらどうしてくれるんだ」
「安心してよ。あたし、イギリス以外には濡れないから」
「君もレディとして、少しは発言を慎んだ方がいいぞ!」
もう、行くぞ、と俺は口を尖らせて、クラッチを踏んでアクセルを回す。
ばりばりとでっかい音を出して、ぐんっと走り出すロードキング。
きゃっ!と高い悲鳴を上げて、後ろに居たアメリカは「急に発進しないでよ!」と俺の耳元で文句を言った。
長く長く続く、アメリカマザーロード・R66。
モニュメントバレーやアンテロープキャニオン等、走ってて楽しい道だとは思うけど、一部の世界遺産の場所以外は、
どこまでも続くただの真っ直ぐな荒れた地だ。
右も左も荒野みたいな砂漠の中、アメリカ合衆国が二人、恋人の元へと大きなバイクを走らせる。
恋人は、遠い島国ユナイテッド・キングダム。
こんな話、きっと誰も信じないだろうなぁ。思いながら笑って、頬を撫でる生ぬるい風に目を瞑る。
あー、気持ちいい。身体は砂埃まみれだし身体は疲れてるしで不快指数は高いけど、
広大なアメリカ大陸をバイク一つで走れるっていうのは、やっぱり何よりも心地いい。
「もう少し、スピードあげてもいい?」
返事を待たずにガチャンとギアを入れ替えてアクセルを回したら、後ろに座ってるアメリカは、
「あたしも免許取って、今度イギリスと来ようかな」と嬉しそうに呟いた。
「あ。ねぇ、聞きたい事があったんだけど」
「なに?何か言った?」
「聞きたい事があるんだけど!」
「何よ!」
「女の子同士のセックスって、一体どうやってするんだい」
「…………サイッテー」
飛ぶようなスピードの中で、後部座席に居る彼女は、ぎりぎりとヘッドロックで俺の首を締め上げる。
んぐっ、ちょっと、ちょっと、ちょっとっ!苦しい、転ぶってば!
「ただの興味本位じゃないか!」そうアクセルを緩めて叫んだら、
彼女は「貴方も合衆国として、発言には気をつけなさいよ!」と大声で怒鳴った。