予想はしていたが、やっぱりガスは通っていなかった。
ついでに言うと、電気も。
日が暮れて真っ暗になってしまった部屋で、オレはぽつんと一人、部屋の中で絶望した。
……アメリカに来た初日に、一体なんでこんな事に。
ホテルでも取ろうかと思ったが、そんな贅沢な事していられる身分じゃない。
あー、と、本日何回目かの溜息をついてから、オレは着ている服を全部脱いで、そのままバスルームにぺたぺた向かった。
かろうじて水道は使えるから、汗くらいは流せるだろう。
もう、とにかくサッパリして、とっとと寝よう。それで朝イチで、業者を呼ぼう。
きゅっと蛇口を捻って、茶色い水が流れた後にばっしゃとシャワーヘッドの下に頭を入れる。
季節は夏は言え、コンクリ造りのアパートの夜の一室は結構冷えていて、身体に落ちる水は飛び上がりそうな程に冷たかった。
クソ、と小さく舌打ちして、そのまま、用意していた石鹸でがしがしと乱暴に身体を洗う。
(ちくしょう、もう本当に帰りてぇ)
見知らぬ土地に、隙間風吹きすさむおんぼろのアパート。
ライフラインの通っていない部屋は真っ暗で、カーテンさえもついてない。
何ともみじめ過ぎるスタートだ。
やけくそになって冷たい水で身体の泡を流して、びしょびしょのままタオルをひっかけて部屋に戻る。
持ってきたスーツケースをバカンと開けてバスローブを掴んだら、懐かしいロンドンの香りがした。
薔薇と、紅茶の匂い。
家で育てていた沢山の薔薇……家を出るときに知り合いに配ってしまったあの薔薇達は、元気だろうか。
ごし、と頭を拭って、カーテンのついていないでっかい窓に目を向ける。
町の中心部から少し離れたこの家は、それこそ騒音はなく静かなもんだけど、ずっと向こうではキラキラしたネオンが光ってる。
NYの中心、クロスゲートに、ブロードウェイ。
ロンドンもそれなりに華やかな街だったけど、大違いだ。色々と。空気も、気温も、……雰囲気匂いも、何もかも。
真っ暗な部屋の中からはカラフルなネオンの光しか入ってこなくて、オレは裸のまんま、濡れた頭をごしごし擦って、
その後に、まだ汚い床にぱたりと落とす。
随分と、遠い所にきた気がする。
飛行機でたった半日だけど……距離ではなくて、なんだか……すごい、孤独だ。
勉強のためと割り切って来たものの、オレ、この国に馴染めるのかな……。
目を瞑ったら、瞼の裏にまでぴかぴかの光が入ってきて、それがなんだか、哀しかった。
ダン!ダンダン、ガチャン!
浸っていたら、外から突然すごい音が聞こえた。
思わずびくっと身体が跳ねる。
外からは相変わらずの生ぬるい風。隣の奴が帰って来たんだろうか。
立て付けの悪いアパートの、扉と格闘してる音。
何回かガチャガチャと音が聞こえた後に、ぎぃっと音がして、その後ばたんと扉の閉まる音がした。
……想像通り、随分と壁の薄い部屋だ……色々、丸聞こえじゃねーか。
ドタドタと部屋を歩く音、バタン、と聞こえた音は、恐らく冷蔵庫を閉めた音だろう。
この部屋寝室にしようと思ってたけど、やめた。
きっとこの部屋と、向こうの部屋のリビングが壁一つで繋がっているんだろう。ベッド、違う部屋に置こう。
カラカラと大きな窓を閉めて、ほっぽってあるタオルを取って、オレは小さく息を吐く。
隣、変な奴じゃないといいな……。
独り言みたいに心で思いながらスーツケースに屈みこんで、寝着用のコットンパンツを引っ張り出したときに、
今度は、じゃぁん!!と煩い、ドラムの音が部屋に響いた。
なんだ?と思って顔を上げたら、聞いた事のある曲が流れてきた。
 You the kind of man walking out of my dreams straight into my life (I wanna sing halleluja)
 Ain't nothing in the whole wide world I wanna say yes to ya……
 あなたは私の夢の中からまっすぐに私の人生へやってきた人 (ハレルヤって歌いたい気分よ)
 あなたのためにしないことなんてこの世に何もないわ そう、あなたにイエスと言いたいの
 
…………うるせぇ。
人が孤独に沈んで、落ちこんでる時に。
薄い壁を通して、ばかでかい女ボーカルの声が聞こえてくる。一時期流行ったアメリカンポップス。
しかも結構、大音量。こんな夜中に。
……おい、ちょっと、さすがに、これは。
ぴきりとコメカミに青筋が浮かぶのを自覚して、ばっさと持ってるトランクスを再度スーツケースに投げつける。
うるっせーな、と舌打ちして、ガン!と薄い壁を蹴っ飛ばしても、音のボリュームは下げられる事なく、むしろ更に音量は上がった。
クソ、と思って部屋を変えても、それは何処までもついてきて。
ぷちっときたオレは再度わざとらしく舌打ちして、昼間着ていたデニムを履いて、自分の部屋の玄関の扉をばたんと開けた。
予想通り、廊下に響いている音は隣の部屋から響いてきてる。
階段の踊り場まで聞こえる。何て、迷惑な奴なんだ。
部屋番号、301。一言文句を言ってやろうと、オレは苛々と、「ビー」とインターフォンを押して、腕組をしながら扉が開くのを待ち構えた。
…………出てこない。相変わらず、音は鳴り止まない。
いい加減にキレたオレは、ビービービー、と三回続けてブザーを押した後に、「おい!」とドアを乱暴にノックした。
「Hey!It is annoying. Go out now!」
ドンドン叩いて怒鳴ったら、中から「What!?」という男の声が聞こえた。
「Hey,wate please, Im soon!」
バタバタと部屋の中から音がする。
ようやくブザーと扉を叩く音に気付いたんだろう部屋の主は、そのままこちらに向かってきて、何度かドアノブと格闘した後に、重い扉をがちゃりと開いた。
まだ若い、少し童顔の男だった。
でかい身体には少しアンバランスな感じがする……男はオレを見るなり、ぱっと顔を輝かせて笑った。
「Hi!!Good evening」
「Hello,Good evening,Mr.American.Excuseme……Could you turn down vorume,OK?」
「Oh,sorry.it's so noisy?」
「Yah.Very Very noisy and It is a nuisance to the neighbors」
(やあ!いい夜だね。こんばんは)
(ハロー、ミスターアメリカン。ボリュームを下げて頂きたいのですが、宜しいですかね?)
(あれ?ごめんよ。うるさかった?)
(ええ。とっても。それから非常に近所迷惑だ)
思い切り嫌味っぽく、「Could you」と「very」の部分の発音を強くして、オレはコンコンと鉄の扉をノックする。
悪かったよ、下げるね。そう言って笑うアメリカ人に、オレは、わかればいい、と思って「Bye」とそいつに踵を向けた。
すぐに、「Wait!!」と、つかまれる腕。なんだ?
顔を上げたら、きらきらした青い瞳と目が合った。
「君、ブリティッシュ?」
「……ああ。なんだよ?」
「話し方がキュートだな」
「うるっせーな、お前らがなまってんだよ!」
英語はオレ達がオリジナルだ。
こっちに来てから何人かに言われた言葉に、ぴーっと低い沸点で湯が沸く。
少しだけスコットランドの訛りもあるオレは、こうやって発音にケチをつけられるのが大嫌いだ。特に、アメリカ人とオーストラリア人に。
英語と米語を一緒にするな。ここまで発音が違うなら、もう別の言葉だ!
頭に来てばっと手を振り払ったら、男は「昼にすれ違っただろ?」と、星型のタトゥの入った左手を挙げて、笑った。
昼間見掛けた派手なタトゥに、あ、と瞳を丸くする。
昼間に階段で見掛けた、サングラスしてた奴……隣の部屋の奴だったのか。
男は青い瞳を細めてから、でっかい掌をオレに差し出した。
「初めまして。俺はアルフレッド。アルでいいぞ。君は?」
「……アーサー・カークランド。アーサーでいい」
「アーサー?いい名前だね。よかったら、中でコーヒーでも」
「こんな夜中にコーヒー?」
「コーラもあるぞ」
Here we go, 笑って、でかい身体のアメリカ人は、片手を広げて部屋の中へと道を開ける。
もういい時間だし、流石に辞退しようと思ったが、すぐにばたんと後ろで扉が締められてしまった。
随分強引な……アメリカ人て、皆こうなのかな。少し目線の高い男の顔を、じとりと下から覗き見る。
それからすぐに、まぁ、いいかと目線を戻した。
どうせ、自分の部屋に居てもやる事ないし。電気も無いし。
明るい部屋につられるみたいに、「少しだけ」と言って上がったら、男は「どうぞ」とリビングに続く扉を開けた。
オレンジ色の光の、あったかい色の部屋。
少しだけ洒落た照明が高い天井にくっついてて、周りを大きなファンがサーキュレイターの代わりにくるくるしてる。
真ん中には少し背の高い白いテーブルがあって、男の一人暮らしらしく、色んなものが散乱してる。
ごちゃりと積み重なっている雑誌、CD、ペットボトル……男はそれをまとめて、隣の部屋に持って行った。
座ってて、と引かれたのは、これまたオレには背の高い、木製の椅子。
バーのチェアみたいな椅子だな……落ちつかなさそう。
足をぶらぶらさせながらそれに座ったら、男は「サイズ間違えて、俺でも高いんだ」と笑ってリビングに戻ってきた。
「コーヒーでいい?」
「いや……悪い、コーヒー飲めねぇんだ。ハーブティとかあれば」
「そんなお洒落なもの、うちにはないぞ……あ、この間貰ったビールがある。これでいいかい」
返事を待たずに、男……アルフレッドは冷蔵庫を閉めて、オレの目の前に冷えたビールをコトンと置いた。
サンクス。そう言って、赤と白のラベルをちらりと見る。バドワイザーだ。やっぱりここ、アメリカなんだよなあ、なんて改めて思う。
オレの国では絶対にこんなビール、普通に冷蔵庫から出てこない。いや、正直、その……口に合わないんだ。オレ達に。言わないけど。
アルフレッドは、キッチンに置いたままのマグに、サイフォンからコーヒーを注いでから、前に座る。
「cheers」、酒を飲んでる訳でも無いのにカップを嬉しそうに上げる男にオレも付き合って、プルリングを開けてから、缶ビールを持った右手を上げた。
「今日引っ越ししてきたんだろ?隣に人が入るからって聞いてて、すれ違った時に大きな荷物持ってたから、まさかと思ったんだけど。
 用事が無かったら、手伝ってあげられたのに」
「え?いや、いいよ」
「NYは初めて?」
「アメリカ自体初めてだ……暑いな、この国」
「冬は死んじゃうくらいに寒いぞ」
「へぇ」
男はコーヒー、オレはビール。摘まむ物は一緒にピーナッツ。
こんな夜中に、初対面の男と二人で変な組み合わせの物を囲んでる。
一つの皿からちまちまナッツを取りながら、オレは「オレの居た所も、冬は寒い街だった」と伝えた。
缶ビールに口をつけて一口飲んで、けぷっと息を吐けば、アルフレッドは「イギリスの何処に居たの?」と聞いてきた。
「ロンドン」。
答えれば、男は「へぇ」と青い瞳を丸くする。
「俺、ちょっと居た事あったんだ。ロンドン。いつも曇ってる街だよね」
「いつもって訳じゃねぇけど……今の時期は結構晴れてるぞ。何しに居たんだ?観光?」
「学校に通ってたんだ。セントラル・セント・マーチンズの、カレッジ・アート&デザイン」
アルフレッドの答えに、オレは口に含んでいたビールをぶふっと盛大に吐き出した。
「何だい、汚い」。笑いながらその辺にほっぽってあるタオルで、男はテーブルを適当に拭く。
オレも、悪い、と言いながら、着ているシャツの裾で口もとを拭った。
マーチンズって……オレが志望してた学校じゃねーか。
ロンドン芸術大学の一つで、ガリアーノやマックィーンの輩出校。
倍率も高いが、入学してからもバカスカ落第するという難関校……学費も無茶苦茶高いし。
外から来てる奴なんて、通う為にロンドンに住むだけで大変だろう。
口元を手の甲で拭いながら、アルフレッドの顔をじっと見た。
「……卒業したのか?」
「ううん、途中で辞めちゃって」
「なんで?」
「アメリカに戻りたくなったんだ。今はこっちの学校に通ってるよ。パーソンズ」
……口の中に何も入って無くてよかった。
もう一度咽そうになりながら、オレは目を丸くして顔を上げた。
「……パーソンズって、グリニッチの?スクール・オブ・デザイン?」
「あ、そうそう。知ってる?」
知ってるも何も……何て偶然だ。
こっちに来てから初めて話すアメリカ人が、以前自分の志望校に通ってて、更にこれから編入する学校に通ってるなんて。しかも、隣の部屋。
オレが驚いている事に気付いたのか、アルフレッドは「なに?」とでも言うように、軽く首を傾げて笑った。
「あんまりデザイン専攻してるように見えない?」
「いや、来週から通うんだ」
「え?」
「同じ学校。オレも」
「本当に?ワオ、すごい偶然だな」
アルフレッドの青い瞳も大きく開く。透明なガラス玉みたいな目だ。
金色の睫毛に縁取られたそれはすぐに細くなって、アルフレッドはもう一度「すごい」と笑う。
「本当にな」とオレも笑って、再度二人で持ってるマグと、ビールの缶を持ち上げた。
あまり、オレはファッションやデザインを学んでいる様には見られない。
自分でもあんまり似合わないと思うし……向こうに居た時に一緒に居たフランシスなんかは、よく「らしい」と言われてたけど。
ぽり、とナッツを摘まみながら、タンクトップから伸びるアルフレッドの左手を見た。
こいつも……あんまり、カレッジに通ってる様には見えないよな……。普通の仕事就いてる様にも見えないけど。
アルフレッドはマグのコーヒーを飲み干すと、後ろを向いて、シンクにあるドリッパーから新しいコーヒーを注ぎ直した。
男の左手に大きく入っているいくつかのスター……身体に彫られている模様は、それだけじゃなかった。
マカダミアンナッツばかり選んで摘まんでいた右手が、止まる。
黒いタンクトップから、同じ色の大きな翼が見えた。
「……すげーな、それ」
思わず、背中を凝視したまま声を上げる。
アルフレッドはこちらを振り返って、「なんだい」と尋ねた。
「背中の」
「ああ。これ?クールだろ」
冷えたコーヒーを注いで、アルフレッドがぎしりと目の前の椅子に座る。
その後に、身体を捩ってタンクトップを捲って、背中の一部を見せてくれた。
でっかい背中。捲りあげたタンクトップの裾見えるのは、黒一色の大きなタトゥ。
少し左側に寄ってる絵は、何かの鳥だろうか。大きな翼が、左肩まで伸びてる。
肩から二の腕にかけてはいくつかの大きな星の形が彫ってあって、ああ、これが手首まで続いているのかと想像できた。
「アメリカの象徴、白頭鷲と星。誕生日に彫って貰ったんだ」
「……痛くねぇの?」
「痛いさ。そりゃ」
身体を戻して、アルフレッドはマグを傾けてコーヒーをこくりと一口、口に含む。
広範囲に及ぶ真っ黒な絵柄は、見れば少しローライズ気味のデニムの間……脇腹からも少し見える。
全部見る?と、タンクトップの裾を持って脱ごうとした男に、いや、いいよ、と手を振った。
オレもちょっと、やってみようかなと思ってた時期があったけど……やっぱり痛いのか。止めてよかった。
背中の半分を埋めてる、真っ黒な鷲。広範囲に及ぶ施術はさぞかし痛いんだろう。
無意識に自分の脇腹のあたりを擦って、ぞわ、と少し、鳥肌立った。
「二本目飲むかい」と冷蔵庫からビールを出すアルフレッドから「飲む」と受け取って、プルタブをかしゅっと開ける。
アルフレッドは自分の分のコーラを取り出して、同じ様にプルタブを開けてから、口に付けた缶をぐいっと傾けた。
「俺、卒業したらこっちの道に進みたいんだ」
「こっちって……」
「こっち」
アルフレッドは、がたんと席に座って、自分の手首を見せて笑う。
大きな星。手首にタトゥとか、入れられるのか……まじまじと見て、やっぱり痛そうだと眉を寄せた。
「アメリカじゃ皆やってるぞ」。アルフレッドはそう言って、べろっとタンクトップを捲ってデニムを腰骨の下まで下げる。
背中のタトゥは、下半身の結構際どい部分まで続いているみたいで、日に焼けてない白い部分に、黒のコントラストがよく映えてた。
「ロンドンだって多いだろ?」
「人によるよ……オレも昔入れようと思ったけど。止めた」
「何で?」
「痛そうだから」
ビールを飲みながらそう言ったら、笑われた。
何だよ。お前だって痛いって言ってたじゃねーか。
口を尖らせてみれば、アルフレッドは「俺だって痛いのは嫌だけどさ」と、俺の痩せた手を片手で掴む。
なかなか日に焼け辛い、貧弱な腕。
こいつの腕ががっしりしてる上に、派手なタトゥが入ってるだけに、余計にそう感じる。
オレの腕を掴んだまま裏に表に、ひっくり返す男に「何だよ?」と少し笑って、反対の手でビールを飲んだ。
アルフレッドは「色が白いなあ」と言ってから、反対の手でもオレの腕を触って、肌の状態を観察してる。
したいようにさせたまま、オレはオレで、男の肩に入ってる黒いタトゥをじっと見てた。
「痛いけど、絵が綺麗に入った時、思うんだよ。やってよかったって」
「ふーん……」
「入れたくなったら、言って。彫らせて」
「お前が彫るのかよ」
「言ったろ?俺、彫師になりたいんだ。ライセンス取ったし、友達にも頼まれたら彫ってるんだぞ。あとイベント出たりして」
アルフレッドはそう言ってオレの腕を離すと、「君、白いからきっと映えるぞ」と笑った。
今日一日でだいぶ焼けたけど。NYの日差しが強すぎて。
Tシャツの袖をぺろりと捲って、被覆部との境目を比べてみる。
早くも服の形に焼けてしまっている腕に、明日から何か対策立てようと少し思った。
アルフレッドは残りのコーラを一気に飲み干して、一旦自分の部屋に引っ込んだ後に、何冊かの大きな本を持って来た。
デザイン画集……タトゥの。重厚な造りの本を一冊テーブルの上に置いて、ページを捲る。
様々な種類やカラフルなデザインは、あまりタトゥという感じはなかった。
身体に、絵を描いているみたいだ。
「すげぇ」と素直に思ってページをぱらぱら捲っていたら、アルフレッドはオレの前に座って、「だろ」と得意そうに言った。
「服なんて勉強してないで、さっさとこっちに進んだ方がいいんじゃねえの?」
「服も好きなんだよ。デザインもきちんと勉強したいし……タトゥって、素肌に着る服なんだって」
「…………へぇ」
ページを捲る手が止まる。
成程……初めて聞く言葉だ。
痛みと共に身体に刻みつける、一種の覚悟の証とか、そういうもんだと思ってた。
だから、そんなに気軽に入れるもんでもないとばっかり思ってたけど……服か。ふぅん。
まぁ、服を脱いでも、タトゥは脱げねぇしな。
アルフレッドの言葉尻を取ってそう言って、カリ、と残っているナッツを口に入れた。
先程ボリュームを下げられた音楽が、再度リピートしてリビングに響く。
一時間前に大音量で自分の部屋まで聞こえてきた、女性ボーカルの歌声。
これ、なんだっけ……イギリスに居た時にも良く聞いてた。
デザイン画を見てるふりをして、思い出そうとしてたら、無意識に小さな声で歌ってた。
アルフレッドの手が、少し止まる。
……あ。思い出した。
「How crazy are you?」
メイヤだ。
思わず口に出して、ぱっと顔を上げたら、青い瞳と目が合った。
「……え?」
「あ。悪い、この歌……」
「あ、ああ、何だ、歌詞か」
「……?うん。ロンドンでもよく聞いてた」
曲は続く。
あんまり歌詞気にした事なかったけど、こんな歌だったんだ。
耳コピーした歌を、そのまま歌う。アルフレッドの持ってきた大きなデザイン画集に目を落としながら。
アルフレッドの手が止まったままだったので、どうしたのかなと思って顔を見たら、何でか少し赤かった。
「……なんだよ?」
「いや、……何でもないぞ。ええと、コーラで酔った」
「変な奴」
そう言って笑って、オレはぬるくなったバドワイザーの缶に口を付けて、これはこれで悪くは無い、と少し思った。
アメリカ留学、初日。
部屋はおんぼろだし壁は薄いし、ライフラインは通ってないし……正直思った以上に最悪だけど。
ビールも慣れれば飲めそうだし、……初日で、同じ学校に通う友達が出来そうだ。
「忘れてた」と、オレはほぼ空になった缶を持って、アルフレッドの方に向けた。
アルフレッドはまだ少し顔を赤くしたまま、同じ様に空になったコーラの缶を持って、オレに向ける。
「これから宜しく、アルフレッド」
そう笑って、缶をカチンと合わせたら、アルフレッドも同じ様に笑って、「こちらこそ」とオレの肩を軽く叩いた。
You the kind of man walking out of my dreams straight into my life (I wanna sing halleluja)
Ain't nothing in the whole wide world I wanna say yes to ya……
So crazy am I, crazy 'bout you How crazy are you?
So crazy am I, crazy 'bout you how crazy are you, are you
Crazy 'bout me?
あなたは私の夢の中からまっすぐに私の人生へやってきた人 ハレルヤって歌いたい気分よ
あなたのためにしないことなんてこの世に何もないわ そう、あなたにイエスと言いたいの
そう、クレイジーなの、あなたに夢中なの あなたはどう?
そう夢中なのよ、あなたに夢中なの 
あなたはどうなの?
あなたも私に夢中?