菊の家での、奥さんにしたい女の人の条件ってのは二つあるらしい。
コレさえあれば、亭主は絶対に自分から逃げないという、魔法のようなその条件。
なんだい、それ、と聞いて、答えを教えてもらってからは、素直にへぇぇと感心した。
なるほど、実に理にかなってる。
人間の三大欲求というものは絶対的に抗えないと言う事はよく知っているから。それこそ、科学の力でも。
 
「菊はどう?出来てる?」
 
興味があって聞いてみたら、彼はぽこぽこぽこっと「私は男だから関係ないです」と顔を赤くして言った。
 
料理上手と、床上手。
 
性別は違えど、自分の恋人はどうだろうとはてと思い、その後すぐに馬鹿馬鹿しい、と一人で笑った。
 
 
 
 
「アイム・ホーム、マイハニー・・・・・・・・・・・・・・・」
 
疲れた、疲れた。今日もよーく働いた。
がちがちな頭の上司達を宥めて、解して、笑わせて。そのあとようやく納得させて。
急激に大きくなりすぎてしまったこの身体は、大きい分だけメンテナンスも大変で。
あちこちに出向いては話を聞いて、時には頭を下げて、檄を飛ばして。俺も見た目によらず、色々と大変なのだ。
絶対にこんな姿、他の奴らには見せたくないけど。
くたくたになって、タイを緩めながらアパートの前まで来てみれば、煌々と明かりのつくキッチンの換気扇から
やっけに焦げ臭くて生臭い、何とも形容しがたい香りが鼻腔をついた。
 
・・・・来たな。カモン、C型破壊兵器。
受けて立ってやるぞ。ごくりと喉を鳴らして、俺はアパートのドアノブに手をかける。
 
200年近く片思いしてようやく落とした愛しい恋人と、何と今俺は人生初の同棲というものをスタートさせた。
アメリカとイギリス、としてではなく、アルフレッドとアーサーとして、あくまで一個人としてだ。
まぁこんな事上司に言ったら説教どころじゃ済まないだろうから、ごくごく親しい身内にしか言ってないけど。
身内の一人である彼の隣人、くされ縁のフランシスにその事を伝えたら、彼はおめでとうの前に、
大層大層、哀れっぽい目を俺に向けて「がんばれよ」とぽむと肩を叩いた。
・・・・・・・・・・・・何だい、なんだい、その、態度。
まるでアーサーと同棲した事あるような口の聞きっぷりじゃないか。フランシス。
深くは問い詰めてないけれど、おめでとうと祝ってくれよと口を尖らせたら、彼はその後に、ぽつりと一言。
 
「飯は何も食わずに、空きっぱらで帰れ。食えないものもいくらか食える」
 
空腹は最高のスパイスである。
 
そう言って胃薬を俺に持たせた後に、ようやくフランシスはおめでとうと笑ってくれた。
 
 
 
 
言われなくたって、アーサーの壊滅的な料理の腕なんて幼い頃からよく知ってる。
最近では、とんと食べる機会は減ったけど。
アドバイス通りにするのは少し癪だったけど、会議会議でまともにランチも取れず、ついでに間食なんてする間もなく。
なんだかいける気がする、これだけ腹がへっていれば、と俺はぐぅぐぅなる胃腸を諫めて家への旅路を急ぐ。
鉄だの合金だのを食えって言うんじゃない、元はちゃんとした食材なんだ、食べられない訳がない。
第一、アーサーが毎日自分で自炊して、食べてるものだし。結構食の太い彼が、何故あんなにがりがりなのかはおいといて。
同棲初日だし、オレ、早く帰って飯作ってるから!
そう言って笑った恋人に、俺もついつい、「楽しみにしてるよ」とキスをしてしまったのは、恐らく浮かれてたからなんだろう。
アパートの換気口からつぅんと香る、胃腸をレイプされてるかのような匂いに軽く口で深呼吸をして、小さく笑う。
 
これも含めて、自分で悩んで選んだ人だ。やってやろうじゃないか、ファースト・バイト。
 
 
ぐぅぐぅなるお腹を抱えて、さぁ来いと意気揚々に扉を開けて、
余りにも意表を付く香りとキッチンの現状に、そのまま静かに気を失いそうになった。
 
 
「あっ、お、おっおかえり!アルフレッド!」
「・・・ハイ、マイスウィート」
 
ぱたぱたぱた、ホワイトのうさちゃんスリッパを鳴らして駆けて来るのは
右手にぎらりと光る包丁を持ったスウィートダーリン。
自分と同じ色のぱさぱさした髪、上気した頬、きらきら光るグリーンのおっきな瞳。
スリッパとセットの、うさちゃんエプロンをはためかせてこちらへ走ってくる恋人は
身体年齢が4つも上だとはとても思えなくて、可愛くて愛しい。
身体の疲れも吹っ飛ぶなぁ。あの、でもアーサー。
ちょっと・・・・その、包丁は、置いて。
 
ぎらっと不吉にと光る切っ先をこちらに向けて、恋人は満面の笑みでどっかと俺にタックルをする。
おお、珍しくデレてるぞ。でもちょっと、やっぱり包丁が怖いんだけど。
頭一つ小さな恋人はぎゅぅぅと背中を抱きしめて、俺の名前を呼びながらくんくんとスーツの匂いを嗅ぐ。
俺も同じように金髪の中に鼻を埋めて、ただいま、と小さくキスをしたら
更に小さな音量で「おかえり」と返された。
 
 
「きょ、今日はな、お、俺の家の料理、作ったんだ」
「・・・・・・・・へぇ、小さい頃によく作ってくれた、アレかい」
「あ、覚えてんのか、よく食べてたもんな」
「・・・・・・・・まぁね、覚えてるよ、忘れるもんか」
 
忘れるものか。忘れられるもんか。あの、強烈にアッパーでヘビーな味。よりによって、アレか。
促されるままジャケットを脱いで、タイを抜かれて。
ダイニングのチェアに腰掛けてみれば、更に強烈な香りが鼻をついた。
充満してる。キッチン、ダイニングどころか、リビング全体に。新調したばかりのカーテンに、匂いがつきそう。
腹を空かせてきたのが、逆効果だ。
空腹時のからっぽの胃に、この匂いはきつい。意気込んで帰ってきただけに、気分は強烈なカウンターパンチをくらったプロボクサー。
きゅぅっと胃が収縮するのを気合で耐えてキッチンを覗けば、でっかい寸胴に入ったどろりとした濁ったスープ。
煮込み料理、よりによって。おまけに魚。白く濁ったでかい目が怖い。
ウロコも満足に取らずに突っ込まれたこのばかに大きな魚は、当然のように内臓の処理もされてないだろう。
隣にあるやけに血の滴る真っ赤な生肉を見て、無意識に胸が上下する。ぅぷ。これ、一体どの部分だろう。
思わず口を抑えて、シンクに漬け込んである緑色の物体に目を向ける。ナニコレ?なんでみどり?
恐る恐る摘んでみたら、ぬ゛るっとした感触、ぶよぶよした手触り。
ざわぁっと全身を鳥肌立てて後ろに下がったら、アーサーは金色の眉を寄せてこーらぁと笑った。
 
「まだ見るなよ、腹減ってんのか?いつまでも子供だな」
 
こいつぅ、と俺の頭をゴスゴス突付きながら笑うアーサーは近年稀に見るデレデレぶりだ。
待ってろよ、今、用意するから。心配しなくても沢山作ったんだ、いっぱい食えよ!
いそいそエプロンを外して、食卓には新品のフォーク、スプーン、食前酒用の小さなグラスが次々に並べられていく。
ティファニーのプレートに乗せられるのは、ぐらぐら煮えてる、例のにごったどろどろスープ。
何故スープをディナープレートによそうのかは、彼のセンスだ。
ついでに言うと、何故スープなのにそんなに表面張力がかかっているのか。
ぷるぷる、ゼラチン質の多そうなてろっとしたそれは、飲むというよりも咀嚼が必要そうだ。
うまそうだろ。ほにゃっと笑う、愛しい恋人。
色々思うところがあって出てくる涙は、おそらく幸せのせいだ。幸せの。そう。愛の涙。
そうだね、とっても。美味しそうだよ、どちらかといえば、まだ君のほうが。
 
ヒーローはヒロインの為なら、例え火の中水の中。
昔から語り継がれてる黄金ストーリーを俺も身をもって試してみるぞ、アーサー。
俺の愛の深さを知るがいい。さあ来い、大量破壊兵器。
ダイニングのチェアに座って、ナフキンを後ろから締められて。
待たせたな!さぁ、どうぞ。アルフレッド、ハニー。
お前の為に作ったんだ、と笑う恋人に、俺も覚悟を決めてナイフを握った。
 
 
その日の夕食は、まさに書いて字の如く、自分との戦いだった。
 
 
脳の中枢、味覚を司るアルフレッドと、消化担当のアルフレッド、ついでに勢いよくプレートの物を口に突っ込んでるアルフレッドが
身体の中で喧嘩を始める。
 
ジーザス!なんだい、コレは!!いきなりこんな物を落とされても消化できないぞ!
こっちの台詞だ、君はまだ味覚がないからいいだろう、こちとら味覚中枢、久々に強烈なアッパーをくらった気分だよ!
うるさいな、君たち!さっさと皿をカラにしたいんだから、文句を言わずに働いてくれ!!
 
何も考えずに、考える前に完食してしまおうとがっついてる姿に、恋人はどうやらいたく感動したらしい。
そんなに急いで食べなくても、まだまだおかわりはあるぞ!そう、いそいそとキッチンに向かうアーサーを見て、
涙腺担当のアルフレッドが決壊した。
 
どうでもいいけど、どうして彼ってばぱくぱくこれを食べる事が出来るんだろう。
無理やり流し込んだ際に喉にささったウロコが痛いよ。
そういえば、アーサーの口からは始終がりごりという不吉な音がしていた。スープなのに。
 
 
 
 
人間の三大欲求は、食欲・性欲・睡眠欲。
菊の言っていた、理想のワイフの条件というのは、まさにこの第一・第二を満たしてくれるものだと云える。
第3のものに関しては、1と2が満たされていれば自然と満たされるだろう。
美味しいもの食べて、いいセックスしてくたくたになれば、嫌でもいい夢は見られる。
 
非常に残念な事だけど、恋人の料理の腕は知っての通り。一度、身を持って知って頂きたい、いいや、是非!
料理上手と床上手。では残った後者ではどうだろう。それも恐らく、知っての通りだ。
ご存知だろう、あの潔癖そうな顔の下に隠れている、エロエロな顔を。床上手すぎて困ってしまう領域でもある、彼の姿を。
その昔世界の4分の1を支配していた海賊紳士・連合王国は、未は大変不名誉な通り名で今も世界に君臨している。
世界で一番エロい国。
国連のエロ担当である彼は、夜のベッドでは軒並大ハッスルのエロエロ大使だ。
恋人としてはついていかなければ、負けられない、という以前に、男役である俺は主導権を握って
彼をリードしなければならない立場にはいる訳だが。
申し訳ないけどこれだけは太刀打ち出来ない。どう頑張っても、もう駄目だ。
経験の差?ノー、持って生まれた、性癖だ。
 
この人、本当に、どうしてこんなにエロいんだよ!!
 
「っん、アル、おっきい、ぃ」
「・・・・ッ!ちょ、っと、アーサー」
「あ、ぁ、すご・・・アルぅ、ぅ・・・!」
 
シャワーを浴びたほかほかの身体をバスローブに包んで寝室に行ってみれば、
顔を真っ赤にした恋人が、ちんまりと小さく、ベッドの上に正座していた。
ぼんやり灯りの付いてる薄暗い部屋で、ぼんやり何が白く見えるんだろうと思ってテキサスを
嵌めてみれば、何とレースひらひらのベビードール。
ノースリーブの短い丈、薄く透ける素材はレースかシルクか、薄く色づいてる小さな乳首が透けて見える。
真っ赤になってる体が暗い部屋の中でもよく分かって、余りにも、あんまりにも予想外な現状に、
思わず腰を抜かしそうになった。
 
「あ、アア、アーサー、なんだい、それ」
「ふ、フフランシスの野郎に貰ったんだよ!しょ、しょしょしょ初夜だからって、
 おっお前が、その、喜ぶかなと思って・・・」
 
・・・初夜・・・?
ぴーと頭から湯気を出して、小さくどもりながら恋人は怒鳴る。
クエスチョンマークの嵐の中、こういう時に限って、結構どうでもいい事を考える。・・・あれ、下は履いてるんだろうか。
履いてて欲しいけど、それでも履いてるとしたら。ベビードールとおそろいの、女性物のパンティなんだろうか。
それはそれで、非常にイヤだ。
ごくっと息を飲んで足を一歩入れたら、真っ赤な恋人は一瞬びくっと身体を縮めた。
近寄って、まだ湿ってる頭を掻きながら見下ろせばかちりと合うエメラルドの瞳。
どきどき緑色の瞳孔が大きくなってて、うるうるしてて、そこだけは流石にどきっとした。
 
「・・・・・・・・・・アル、」
 
軽く伸び上がって口元に顔を寄せるは、愛しい恋人のセクシーな顔。
痩せた身体には、すけすけのベビードールだけど。
唇を合わせながら下半身に手を伸ばせば、予想通りに手触りの良いシルクの感触だった。
しかも、紐ぱん。Tバック。
・・・どんだけなんだ、本当に。一体、何がしたいんだ、何を求めているんだ、俺に。
ん、む。ちゅぅ、と舌を吸われて、細い腕が首に絡まって。着たままのローブを脱がされて上に乗っかられて、
好きだ、と名前を呼ばれて、何だか幸せを感じてる自分も、何より一体、どんだけなんだろう。
すけすけのベビードールの上から軽く胸の突起を引っ張って「俺も」と耳元で言ってあげたら、
恋人は嬉しそうに「喜んでくれたなら、よかった」、そう言って、笑った。
 
喜んでいるというか。
本音を言えば、少し、だいぶ。引いてるけど。君が嬉しそうなら、別にいいや。
いや、あの。結構、本気で引いてるぞ。はははは。
 
 
仕事でくたくたになった身体を酷使して、淫乱で絶倫な恋人の為に、だらだら汗を掻きながら俺は死ぬ気で腰を振る。
あー、もう、やばい、何か、目の前に小さいアーサーがいっぱい見える。
天使のカッコした掌サイズのアーサー、イカれた幻覚。やっばい、目が霞む。
身体の下であんあん泣きながら腰を動かす彼のベビードールは、もうぐっちゃぐちゃのドロドロだ。
ねぇ、ちょっと、まだこの人満足しないんだろうか。俺死にそう。
いっそ首でも絞めて、新しいプレイと称して意識を手放してもらおうか。危ない妄想が頭をよぎった時に、
ようやくアーサーは「アルぅ!」と俺の名前を叫んで、イった。
ひくひく、痙攣する身体、射精はナシ。いいよね、この人、後ろだけでイけるんだから。
くたぁっとした顔をぺちぺち叩いて、意識が無いのを確認して、ようやく俺はずるっと彼の後ろから性器を抜いて、溜息をついた。
 
 
・・・帰ってきてからの、歓迎の料理、愛の行為である筈の、耐久レースみたいな夜の営み。
愛の重さが、重い。
そういえば、俺が幼い頃も彼は身体全部で、持ちうる愛情の全てを俺に注いでくれていた気がする。
ツンデレの属性は俺には無いけど、恐るべし、ツンのないデレ。デレデレなアーサー。
リミッターを取ってしまえば、愛の重さに潰れそうになる。
・・・彼への愛情は誰にも負けないとは思っているけど、それは今も折れる気はしないけど。
 
身体と心は・・・・別物だ。
 
「・・・俺、死ぬかもしれないぞ、アーサー」
 
そう、湿った金髪を掻き揚げて、名残の始末をすることなく、俺はコンドームをつけたまんま、ぼすりとマットレスに倒れこんだ。
 
 
 
 
「あ。ジョーンズさん。いかがですか?アーサーさんとの同棲は」
「ハイ、菊。問題ないよ、最高に上手くいってるぞ」
「・・・何か、痩せました?」
「ダイエットだよ。どう、ベルトの穴も3つ程小さくなったんだけど」
「そうですか。あまり無理はなさらないで下さいね。少し顔色が悪いので」
 
にこりと人好きする笑顔を浮かべる友人に、サンクスと笑って、ジャケットを羽織る。
ふらり、倒れそうになる身体を根性で支えて、気合いの笑顔で手を振った。
痩せたかって、そりゃそうだ。
胃腸の受け付けない料理を勢いつけて食べて、(余りにも受け付けない時は胃腸が勝手に収縮して吐いて。もちろん隠れて)
その後腹筋が悲鳴を上げるくらい、毎晩腰を振れば誰だって痩せる。
最近は俺の為に仕事を選んでくれるアーサーは、俺の為に家に居て、俺の為に料理を作って、俺の為に裁縫をしてくれる、
まさに理想のワイフだ。おそらく。きっと。
 
菊の家での理想のワイフの条件、「料理上手と床上手」、俺の常識の範疇では軽く斜め上に飛び越してる恋人だけど、
そこは、海より深い愛の力でかじりついて行ってやる。
彼の事を言うほど、俺だって味覚はいい方ではないけど、そこは二人で協力して。
少し癪だけど、フランシスにでもお願いして、料理でも教えてもらって、歩み寄ろう。
何か問題があるのであれば、そこは二人で改善していけばいいだけの話だ。
 
「さて・・・今日の夕飯は何かな」
 
大量に買い込んだ胃薬と、耀のところから高値で買ったマムシ酒というものを片手に、俺は暖かいマイホームに足を向ける。
愛しいアーサー、君の為に。
努力というものを、してみるよ。
 
俺の身体が壊れないうちに、早く理想の君になってもらえるようにね!