「あー……血が足りねー……」
「……………………………」
「……アールー、血が」
「……あげないぞ」
 
真っ青な顔で、恋人であるアーサー・カークランドは棺の中で真っ赤なトマトジュースを飲んでぼやいた。
俺は、側にある古臭い椅子の上で、つやつやに磨いたアイスピックを並べながら眉を寄せる。
 
「……頼むよ、アル。ちょっとでいいんだ。すぐ終わらせるから」
「……やだってば。はい、ケチャップ」
「ケチャップはいらねーよ……なあ。貧血で倒れる」
「どうせお日様の出てる時は行動出来ないだろ。寝てれば?」
「お前、本当冷たいのな……」
「そういう約束だろ」
 
俺の恋人は、吸血鬼だ。
古臭い?今時?そんな「時代遅れだ」なんだって言われたって、仕方ないだろ。本当なんだから。
沢山の蝙蝠を引き連れて暗い夜の中を生きる、怪物紳士。ヴァンパイア。
常に太陽を避けて、光合成の出来ない身体は不健康な程に真っ白だ。
最近は、白を通り越して青くなってる。血もあんまり通って無いから、体温だってすごく低い。
俺からしたら吸血鬼なんて、ただの太陽が苦手な引き篭もりにしか見えないんだけど……。
一度、「そんな風に、棺の中で寝てばっかりいるから身体も弱くなっちゃうんだよ!」と、外に引っ張り出したら、悲鳴を上げて暴れられた。
太陽の光に当たると溶けるらしい。
「殺す気か、バカァ!」と泣かれて、ああ、本格的に面倒くさい人種(……?)だなあと、改めて思った事を覚えている。
 
ちなみに俺は、普通の人間だ。
アメリカ・ニュージャージー州、ブレアーズタウン出身の19歳。
どうして人間の俺が、吸血鬼の彼と知り合いなのかって?
いや、話せば長く…… ……ならないか。
半年前の夜、アルバイトで遅くなってしまって近道の為に暗い路地裏を通っていた所を、彼に襲われたんだよ。
いや、あの時は本当に吃驚したよね……だってこの人、真っ暗な路地の中で、ぜえぜえ息を切らしてるんだぞ。
何か目も据わってるし、息は荒いし……酔っ払いの変質者かと思ったら、急に首に噛みつかれた。
驚きすぎて、思わず思いっきり殴り飛ばしてしまった。
細くて体重の軽い彼の身体はえらい遠くまで飛んでいってしまって、しまった、やりすぎた、と俺も慌てて走っていって抱き起こした。
 
『ご、ごめん。まさかこんなに綺麗に入るとは思わなくて』
『……血、血を』
『え?』
『血……くれ。頼む……』
 
そう言って、彼は俺の首に手をまわして、尖った八重歯を首筋に思い切り突き立てた。
……あの時は、本当に死ぬかと思った。色んな意味で。
恐らく、彼も死にそうだったんだろう。人間の血液を栄養として生きなければならないなんて、気の毒だなあとは思うんだけど。
俺は、棺の中でしくしく泣いている吸血鬼の恋人に、はー、と息を吐いて近寄った。
 
「……アーサー。君が血を吸うのを我慢するっていう理由で、俺はここに居るんだぞ。もうちょっと頑張ってよ」
「だ、だって」
「昔とは違うんだ。警察だって優秀だし、君があちこちで人間の血を吸ってたら、あっという間に指名手配で監獄行きだぞ」
「……監獄行く前に、倒れちまうよ……血が欲しい……」
 
アーサーは力なくそう言って、二本目のトマトジュースをちるちる吸う。
彼の様な人種(……と言っていいものか)には、住みにくい世の中なんだと思う。
彼はもう何百年と生きているらしいけど、昔はもっと簡単に人の血を拝借出来たと言っていた。
別に、彼らだって人を殺す訳じゃない。少しばかり、頂くだけだ。蚊の様なものだ。
しかし、現在西暦2000年。場所はアメリカ合衆国。
こんな都会でふらふらマント一枚で夜中歩いて、人の首に突然噛みついてみなよ。
すぐに変態の通り魔として、お茶の間ワイドショーのいいオカズになるぞ。
実際、俺と会ったあの時も、何日も血を吸っていなくて我慢の限界で都会に降りてきたらしい。
何だか、餌がなくなってやむを得ず山から下りてきた熊みたいだなあと、話を聞いていて思った。
 
「別に、血じゃなくたっていいんだろ?代用品でまかなってる仲間だって居るって言ってたじゃないか」
「オレも、そういう風に頑張ろうとしたんだけど、駄目だったんだよ……週に一回でいいから。月イチでもいいから、頼む」
「もー……」
 
何百年も生きている間に、吸血鬼の身体も時代に適応してきているらしい。
事実、彼の仲間の何人かは、血を吸わなくても生きていける身体になっていると聞くし。
それでも人間の血液っていうのは、吸血鬼にとって御馳走の様なものだから、毎日自分の欲求との葛藤らしいけれども。
 
「愛煙家が禁煙するみたいなものじゃないか。命に関わる訳じゃないなら、もう少し気合いいれて頑張りなよ」
「人ごとだと思って……うう、ばか。ちょっとくらい、いいじゃねーか」
「だって君の少しって、全然少しじゃないし……」
 
彼と初めて会ったあの日は、『少しでいいから』とうわごとみたいに言われて、首筋に噛みつかれて、結局ふらふらになるまで血を吸われた。
街灯の光が入らない真っ暗な路地裏で、自分よりも小さな身体に壁に押し付けられて。
なんだ、なんだ、と思っている間にくちゃんと身体が落ちて、立てなくなってしまった。
吸血鬼に血を吸われると、皆こういう風になるらしい。
終わった後にぜいぜいと肩で息をしていたら、アーサーは『有難う』とお礼を言って、そのまま俺をこの屋敷まで連れてきた。
街のはずれにひっそりと、人目をはばかる様に建っている古い屋敷……中は見た目以上にぼろぼろで、あちこちに蝙蝠が巣を作っていた。
埃だらけのベッドを一生懸命掃除して、彼は俺をそこに寝かせて、申し訳なさそうに謝った。
 
『ごめんな。助かった、本当に……。お前が回復したら、ちゃんと家まで送るから』
 
緑色の瞳と白い牙が、きらきらと暗闇で光っていた。
……変なの、この人。吸血鬼なんて、怪物なのに。
俺もいきなり血を吸われて、家に連れて来られて、何で謝られているんだろう……。
おかしな話だけど、何でだかうっかりと絆されてしまった。
……それが、彼との恋の慣れ染めだ。
吸血鬼と人間の、おかしな恋。
 
俺が彼に出した条件は、二つ。
定期的に自分が彼の食事になるから、他の人間の血は吸わない事。
なるべく血を吸う事を我慢して、代用品(大抵はトマトジュースらしい)だけで生きられる様に努力をする事。
この間血を吸わせてから、まだ四日だぞ……辛抱、足りなさすぎなんじゃないか。この人。
青い顔でくたりとする恋人の髪の毛を撫でて、小さく口を尖らせる。
アーサーはゆっくりと顔を上げて、俺の手を握って瞳を合わせた。
 
「……アル、頼む……。このままじゃ、無意識に街に降りて誰かに噛みついちまいそうだ」
「………………」
「アル……」
 
細くて白い指が、俺の腕にすがる様に絡んでくる。
いつも虚ろな瞳が、潤んでる。潤んでるのに瞳の奥がぎらぎらしていて、余裕が無さそう。呼吸が荒い。
はぁっ、と薄く開く赤い唇から、尖った牙が白く光っていた。
……ほんとに、今回辛そうだなあ……確かにこのまま寝かせたら、ふらふら街に飛んで行ってしまうかもしれない。
他の人間の血を吸わせるくらいなら、やっぱり俺が。
 
「……わかったよ。今日だけだぞ」
 
息を吐いて自分のシャツの襟首をぐいっと引っ張って見せたら、アーサーは白い顔をぱぁっと輝かせて、俺の頬にキスをした。
 
 
 
 
「……んっ」
「……痛いか?ごめん……」
「痛くはないけど……、ぅー……」
 
さら、とアーサーの指が俺の髪の毛を撫でる。
ソファに座ったまま、ぎゅっと目を瞑っていたら、首筋に彼の冷たい唇が押し付けられた。
ぴくっ、と身体が反応する。
噛まれる。
身体を固くして待っていたら、ぴりっとした痛みが一瞬走って、牙が刺さったんだと分かった。
ゆっくりと、尖った歯が首筋に食い込んでくる。
はぁ、と勝手に息が上がった。
……本当に、苦手だ。血を吸われるのって。
うー、と歯を食いしばって、首筋に埋まってるアーサーの金色の髪を掴む。
アーサーは、ぺろっと軽く首を舐めてから、ぐぐっと尖った歯を沈みこませた。
 
「……あっ、アーサー、」
「……ん、……んー」
「……ッ、」
「…………」
 
ちゅう、と首筋が吸われる感触がする。
アーサーの息が荒くなって、俺の後頭部に回していた手の力が強くなった。
ちょっと、がっつきすぎ……抵抗の声は、言葉になる前に軽い悲鳴に変わってしまった。
思わず、自分で口を押さえて、目を瞑った。
ああ……だから、嫌なんだ。
吸血鬼に血を吸われる時っていうのは、半端なく気持ちがいい。
牙から変な媚薬でも出ているんじゃないかと、本気で思う。
本来は、異性とベッドに居る時に気付かれないように血を拝借する為の機能らしい。
今でも、この機能を上手に使って血を頂いている女たらしの吸血鬼も沢山いるらしいけど……。
口を押さえながら、上がってくる呼吸を何とか耐える。また変な声なんて出たら、たまったもんじゃない。
アーサーはますます強く俺を押さえつけて、アルと俺の名前を呼んで、流れている血液をぺろりと舐めた。
びくっと身体が跳ねる。やばい、力が抜けてきた。
首にかじりついて離れないアーサーの頭に回している自分の腕が、だんだんと下がっていく。
 
「……ま、まだ……?」
「……んく、……んっ」
「……っはぁ、もう……」
 
全然、少しじゃない……。
痺れるみたいな感覚の中で、はっ、と短くなる呼吸で、熱くなっていく息を吐く。
そのうちに全く力が入らなくなって、俺の身体は完全にソファの上に沈み込んだ。
一瞬口を離して、アーサーが上から圧し掛かるみたいに体勢を入れ替える。
さっきとは違う所に噛みつかれて、音を立てて血を吸われて、俺は濁っていきそうな意識の中で、アーサーの名前を小さく呼んだ。
 
結局、解放されたのは、彼の食事が始まって40分も経ってからだった。
汗だくの状態でぐったりとしてしまった俺に、アーサーは口元の血をぐいっと拭って、俺の頬にキスをした。
 
「……ありがと、アル。美味かった……」
「……それは良かったよ。しばらく、あげないからね」
 
憎まれ口も、言うのがやっとだ。
はぁ、と前髪を掻きあげながら息をついて、俺の血で染まっている唇を軽く舐める。
……美味しく無いと思うんだけどなあ。血なんて。
口の周りを血だらけにしているアーサーの顔をシャツで拭って、ついでに首元も軽く拭いた。
ぬるっとした感触が気持ち悪い。一体、どれくらい吸ったんだ。
まだ熱い身体がだるくて、アーサーの手に触れて、目を瞑った。
 
「……アル」
「……うん」
「……あのさ、ええと」
「……………………」
「……こっちも、吸ってやろうか?」
 
履いているデニムの中心を押し上げている部分を触りながら、アーサーが赤い顔で尋ねて来る。
……言っただろ?吸血鬼に血を吸われるのって、すごく気持ちがいいんだ。
別に恥ずかしい事じゃ……嘘だよ、恥ずかしいよ。初めての時なんて、そのまま血を吸われながらいっちゃったんだからな……。路地裏で。
それも含めて、彼には他の人の血なんて吸って欲しくないんだ。
ついでに言うと、俺もあんまりあげたくない。
こんな不本意な状態で、セクシーな雰囲気になるだなんて、不本意じゃないか。
返事を待たずに、ベルトのバックルを外しにかかるアーサーに、俺はゆっくりと上半身を起き上がらせた。
 
「……いいよ。次は、俺がしてあげる」
 
アーサーの手を掴んで、そのままぐいっと引っ張った。
こっちまで主導権を握られるなんて、たまるもんか。
力の入らない身体を叱咤して、細い身体をそのままソファにひっくり返す。
吸血鬼の彼の真似をして、細い首筋に齧りついたら、アーサーは蕩ける様な声を上げた。
 
 
 
 
午前二時。
ぼろぼろのベッドに移動してそのまま愛し合った俺達は、うとうとと二人で抱き合ってまどろんでた。
汗の浮いた彼の額にキスをして、そろそろ寝ようかなと時計を見て……「あ」と、有る事に気づいて声を上げた。
ぱかりとアーサーの瞳が開く。こちらを、少し不安そうに見る。
俺は、「……あーあ」、と息を吐いて、ゆっくり身体を起こした。
 
「……アル?」
「……忘れてた、今日って13日の金曜日じゃないか」
「……あ?」
「ごめん、俺ちょっと用事あるから。出かけて来るね」
「……こんな夜にか?何処に?」
「朝までには戻るよ」
 
心配そうに身体を起こす恋人にキスしてゆっくり髪の毛を撫でて、「君は寝ていて」と、毛布を肩まで引っ張り上げる。
アーサーは納得していない様子で俺を見てから、その後小さく息を吐いた。
 
「……浮気か?」
「まさか。君が居るのに?」
「………………」
「もし俺がそんな事してたら、殺してもいいよ」
 
大した事ない用事だから、すぐに帰ってくるよ。
ベッドから降りて、まだ曇った顔をしている恋人に「愛してるよ」と笑ってから、部屋を出た。
 
「……寒いなぁ……」
 
立てつけの悪い扉を開けて屋敷の外に出たら、怖いぐらいに大きな月が黒い夜空に浮かんでいた。
今日は、特に大きく見える……。星は全然見えないけど。
はぁっ、と白い息を吐いて、白いマフラーを首に巻く。
屋敷の二階は、小さな灯りが灯ってる。アーサーが、心配して窓の外でも見ているんだろうか。
本当……心配性なヴァンパイアだよなあ。怪物のくせに、情に脆いし。
心配掛けないように、なるべく早く帰ろう。
思って、屋敷に背中を向けて歩き出した。
 
俺の名前は、アルフレッド・F・ジョーンズ。
…………の他に、もう一つ。
本名は、ジェイソン・ボーヒーズだ。
生年月日は1946年6月13日の木曜日。
冒頭で、俺が普通の人間だと言った事は、訂正させて頂きたいと思う。これは、彼にも内緒だからね。
彼と違って、造りは普通の人間なんだけど……不死身なんだよね。歳もとらないし、死んでもすぐに生き帰る。
例え、ナタを顔に叩きこまれても、生きたまま土葬されて、その後雷が落ちて来ても。友人だと思っていた人間に、頭に袋を被せられたまま、湖に放り込まれても。
一度、エルム街の住人と喧嘩した事もあったなぁ……あの時も結局、死ねなかった。
ぴかぴかに磨き上げたアイスピックを腰に差して、チェーンソーを右手に、左手でアイスホッケーのマスクを頭に引っ掛ける。
 
「さーて……今日は誰を殺しに行こうかな……。久々にクリスタルレイクにでも行こうかな」
 
幼い頃に、容姿の事でからかわれた挙句、背中から蹴飛ばされて突き落とされた、大嫌いな湖。
あいつらも、よくあんな酷い事をしてくれたよね……人が溺れて死んだらどうしてくれるんだ。ああ、殺したかったのかな。
殺したい程に俺の事が嫌いだったら、自分達が死ねばいいのに。そうしたら、俺を見なくてもすむだろ。自分勝手な奴らだ。
正直、恋人である吸血鬼みたいな怪物よりも、同じ人間の方がよっぽど恐ろしい。
大嫌いだ。人間なんて。さっさと絶滅してしまえ。
人口も増えて来ているっていうし、少しくらい減らしてあげたって、問題なんてないだろう?
 
「あの人も、汚い人間の血なんて吸う生活、やめた方がいいに決まってるんだ」
 
身体が腐っちゃうよ。可愛いアーサー。
 
ホッケーのマスクをかぶって、再度後ろを振り返る。愛しい恋人の住む、古い屋敷を。
真っ暗な中にぽかりと浮かぶ様に建っている屋敷を取り囲む蝙蝠達に、笑って小さく手を振って、俺はチェーンソーを担いで地面を蹴った。