■彫師アルフレッド×留学生アーサーの現代パロです。
■手直しして、続きものとしてオフで発行する予定ですが、サイトのものだけでも読める様にする予定です。
「……なんだ、ここ」
見上げてもてっぺんの見えない位のでっかいビルに、高い高い空。乾いた空気に、コンクリートから巻き上がる熱気。
排気ガス、クラクション、同じくらいのボリュームで耳に入ってくるのは甲高い若い声。
露出度の高い服を着た若い奴らに混じって、せっかちそうなビジネスマンがすごい勢いでぶつかって来たと思ったら、
エクスキューズ!と、謝りにもなってない言葉で叫ばれた。ソーリィじゃねえのか。そこは。
ていうか、道の往来でぼけっとしてるオレが悪いのか?
思って重たいスーツケースをずるずると引き摺って道の端に寄せたら、見知らぬ男に「ハロー」と声を掛けられて、ついでに尻を撫でられた。
「What!? Are you doing!」
叫べば、男は隣に居る奴らと笑いながら、手を振って何処かへ行ってしまった。
…………な、なんなんだ。一体。
アメリカ合衆国、ニューヨーク州・マンハッタン。
ロンドンからの格安フライトで約8時間、時差2時間。
ひとりぼっちでこの地にスーツケース一つで下りたオレは、到着早々、帰りたい、と切に思った。
「……ぃよい、っしょ、っと」
ガラガラとでかいケースを引いて地図を片手にやってきたのは、NY郊外にある小さなアパート。
小さな……っていうか、………………想像以上に、オンボロだ。
今にも倒れてしまいそうな一応鉄筋コンクリート、ひび割れた壁に、体重をかけた瞬間に壊れるんじゃないかという外にあるペンキの剥がれた非常階段。
一応4階まであるその建物にエレベーターなんてものは勿論無い。まさか、あれ使うんじゃないだろうな。壊れるだろ。
自分の体重くらいあるんじゃないかという大きなスーツケースを傍らに置いて、オレはもう一度地図を見る。
場所……あってる。……名前も。
番地とアパートの名前を確認して、小さく溜息をついて、右手で地図をくしゃりと仕舞った。
(まぁ……安いってだけで決めた家だしな……。時間も、無かったし)
仕方ない、そう自分に言い聞かせて、オレはぐっとスーツケースのハンドルを持ってアパートの入り口に足を向けた。
ロンドンから履きっぱなしの、プリングルのスニーカー。休み無くここまで来たから、足が痛い。早く休みたい。
そんなに長いフライトでは無かったけど、やっぱり知らない土地っていうのは、疲れる。
あらかじめ受け取っていた鍵を肩掛けしているショルダーから取り出して、およそエントランスとは言い難い、そのおんぼろの建物の中に入った。
「……エレベーターくらい、つけろっての」
ぜい、ぜい、重たいスーツケースの持ち手を両手で持って、一段一段、階段を上る。
お、重い、それとも、オレが鈍ったのか。
ひび割れたコンクリ造りの古い階段は電球一つついてなくて真っ暗で、これは相当家の中の日当たりも悪いんじゃないかと、額に浮いた汗を拭いながら思う。
この共有部分の階段だって、でっかい窓……というか、踊り場の壁半分は吹き抜けなのに、全然風も入ってきやしない。
風通し悪い、日当たり悪い、ついでに、このむしっとした湿度に、気温。建物の外の方が、まだ涼しそうだ。
次の踊り場まであと少し、と言う所で、オレは「はぁっ」と息をついて、スーツケースにもたれかかる。
ぎりぎりと持ち手を握っていた掌は真っ赤になっていて、ここに来てかいた汗で、シャツの背中がびっしょりだ。
ポロシャツの前を左手の親指と人差し指で掴んで、ぱたぱたさせる。足も疲れたけど、シャワー、浴びてぇ。……水道とかガスとか、もう通ってんのかな。
嫌な事に気づいて、再度絶望しそうになる前に、気合いを入れ直して重いケースの持ち手を握って、残りの階段を上ろうと足をかけた。
階段を上りきった後には、少し長めの通路が続く。
鍵を見て、自分のルームナンバーを確認……302、こっちか。
角部屋が良かったんだけど、生憎とそれは空いて無くて。ふー、と素手で額の汗を拭って、オレはガラガラとケースを引く。
302、302……、おんぼろのアパートの癖に案外一部屋が大きい造りのこの建物は、結構部屋と部屋の間が空いている。
部屋数も、一つのフロアに4つくらいあるみたいだし…… ……どうせこんなアパートに住んでる奴らなんて、碌な奴じゃないだろうけど。自分も含めて。
まだ整いきらない呼吸をしながら薄暗い通路を歩いていたら、途中で一人の男とすれ違った。
オレより背が高くてガタイのいい、金髪の、恐らくアメリカ人。サングラスを掛けてるから顔の表情は分からない。
狭い通路ですれ違い様にスーツケースとぶつかって、オレは「ソーリー」と一言言った。
「ノープロブレム」。男は笑って、左手を上げる。
その手首にでっかい星型のタトゥが見えて、思わず凝視してしまった。
男はオレの視線を特に気にせず……というか気がつく事無く、その手を腰履きにしたデニムに突っ込んで、MP3のイヤホンを耳に掛ける。
でっかい肩幅。男はそのまま、オレをすり抜けて、今自分が上ってきた階段をカンカンと軽快に降りて行った。
……なんだあれ。何で手首にあんな派手なタトゥ彫ってんだ。
(…………帰りてぇ…………)
オレは去っていく男の背中を見て、げんなりと溜息をついて、肩を落とす。
見た限りは、オレよりも歳下そうだけど…………ガラ悪そう。やっぱり、ああいいう奴らが住んでんのか。
家賃が桁外れに安いから、若い奴らとか、逆に歳いったどうしようもない奴らが住んでるんだろうなとは思ってたけど。
近所付き合いなんてハナから望んでないていないけど。
せめて隣に住んでる奴は、まともな奴だといいなと思いながら、オレは302の扉に、手に持っていた鍵を差した。
オレの生まれた国はイギリスっていう島国で、EU圏内であるにも関わらず、ユーロ加盟なんてせずに独自の通貨を貫いている、結構プライドの高い国だった。
国民性も結構気難しい……というか、皮肉ばっか言って人生斜めに見てる奴らが多くて、それは例に漏れずに、きっとオレにも該当すると思う。
ユーモアは大事にするけど、暑苦しい奴らは好きじゃない。
ただし、サッカーと自分に対する侮辱に対しては沸点が低くて(例えばイングランドのフーリガンなんていい例で)、一旦キレると結構厄介な人種だったりする。
浅い人付き合いは嫌いじゃないけど、あんまり深くまで突っ込んでこられるのは、正直苦手だ。
少し日和見主義でもある。ただそれは面倒事に巻き込まれたくないとか、物事を円滑に進めようとしようとか、そんな大層な理由がある訳じゃない。
性格なんだ。楽しい事は好きだし、気の合う連中で飲むのは好きだし。
ただ、オレは一人で家に籠ってるの方が好きだったりする。
イギリス人、と一言で言ってもそれは人の数だけ個人差がある。紅茶の嫌いなイギリス人だって居るし、パンクよりもジャズが好きな奴だっている。
あまりファッションに関して興味の無い奴らも居れば、その為に、わざわざアメリカに留学してくる様な奴も居る。
ちなみに、イギリス人の半数以上は、アメリカっていう国が大嫌いだ。
その、嫌いな国の、学校に、何でオレは貯金をはたいて通う事にしたんだろう。
『お前、どうだった?』
「…………落ちた」
同じクラスに一緒に通っていた幼馴染の腐れ縁、フランス国籍の遊び人の男にそう伝えたら、次の瞬間、電話越しに馬鹿笑いされた。
『ほんとに?あんなに自信満々だった癖に』
「うるせー……くそ、何がまずかったんだ。試験の点数はセーフだった筈なのに」
『その眉毛じゃない』
「んだとクソ髭!」
ぷぷぷ、と電話越しに聞こえる笑い。
そのままガチャン!とたたきつけてしまいそうになる受話器を持ち直して、オレは大げさに溜息をつく。
『どーすんの?留年?』
「……いや、もうムリだろ……お前は何すんだよ」
『お兄さんはフランスに帰りますよ。卒業したら家業継ぐって約束だったし」
「葡萄農家?」
『ワイナリーって言って貰える』
向こうで口を尖らせるフランシスを想像しながら、オレは少し笑って、落ちついてからその後もう一度息を吐く。
参ったな……まさか、落ちると思わなかった。本気でそうぽつりと言ったら、フランシスは「まぁ」と、同じように、電話越しに息を吐いた。
『競争率高いの、知ってたでしょ。俺は元から難しいとは思ってたけど』
「……行きたかったな。アントワープ」
『アントワープ以外にも受けてるでしょ?どっか引っかかって無いの」
「………………一応、他も受けたけど……あんまり行きたく無くて」
『ロンドンのマーチンズは?』
「そこも落ちたんだよ!」
怒鳴ったら、更に向こうで笑われた。
くそ、笑うなよ、バカ!
アントワープ王立芸術アカデミー……世界のモード会の先陣を切って席巻するアントワープ・シックスの出身校として余りにも有名な、
ヨーロッパで最も歴史のあるベルギーの芸術アカデミー。
ドリス・ヴァン・ノッテン、マリナ・イー、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク、ダーク・ヴァン・セーヌ、ダーク・ビッケンバーグ、
それに、アン・ドゥムルメステール、ゴルチェに弟子入りして今は独自のブランドでファッション界を疾走してるマルタン・マルジェラ。
ディオール・オムのメインデザイナーとして就任したクリスヴァン・アッシュ……ファッションを学ぶ者として、憧れを抱かない者はいないだろう。特に、EU圏内に住んでいて。
入学は毎年100人弱、その中でも卒業出来るのは10人足らずだという。まずは、入学。結構、自信あったのに。
オレとフランシスはハイスクールの時から同じクラスで、同じクラスを取っていた。特に気は合う訳じゃないけど、所謂腐れ縁というやつだった。
悔しいけど、ファッションに対する感覚とかセンスとかはオレなんかよりも格段に上で、負けたくなくていちいち突っかかって、オレはその陰で一生懸命勉強してた。
時々おかしいくらいにズレた事やってた時は軌道修正してくれたり、買い物付き合ってあちこちの店で片っぱしから試着しまくって、
帰りのカフェで雑誌広げて、ショーや次のシーズンの話とかに、白熱させて。
結構、楽しかったのに……だから、こいつが自分の国に戻ってしまうって聞いた時は、少し寂しかったりもしたんだけど。
「お前なら、受かったかな」なんて小さく言ったら、電話の相手は珍しそうに「俺もきっと無理だったよ」と、同じように小さく笑った。
『それでさ、どーすんの。就活もしてないでしょ』
「……………………一応、引っかかってるトコはあるんだけど」
『どうせ、今更普通の仕事なんてしたくないんでしょ?そこ行けば』
「……まぁ……そうなんだけど……」
『何よ。気が進まないの?何処?』
受話器から聞こえる「ぱきん」という音。……あいつ、電話しながら何か食ってんな。
聞いてみたら、『板チョコ。禁煙してから、口寂しくて』という答えが返ってきた。
太るぞ、と忠告してから、オレは本日何回かの溜息をつく。
ずっとずっと行きたかった、ファッション専門のアカデミー。どうせ行くなら、でっかい所で、きちんとした勉強がしたい。
世界で有名と言われる学校は、3つある。
まずは前述した、ベルギーにのアントワープ王立芸術学院、ロンドンのセントラル・セント・マーチンズ。
もう一つは……
「……パーソンズ・スクール・オブ・デザイン」
場所は、アメリカ合衆国、ニューヨーク州のど真ん中。
一応受けたけど、受かっても絶対に行かないと思ってた所が、唯一残った道になった。
よりによって、ロンドンでなくて、アメリカなんて。
死にたい、と電話の相手に伝えたら、フランシスは面白そうに『いいじゃない、お前が、アメリカ!』と、盛大に笑った。
どうしても有名校に、なんてこだわってた訳じゃない。
ロンドンに居たって、ファッションの事なんて学べるし、他にも学校なんて一杯あるし。
何でわざわざ、海を渡って、第一志望でも無い所になんか来ちまったんだ……。
飛行機の中では思わなかった事を、がちゃりと部屋の鍵を回して入って、はぁー、と思う。
予想はしてたけど、……いや、予想以上に…………なんだ、この部屋。
剥き出しのコンクリートに、大きく亀裂の入った窓ガラス。一応部屋は3つあるけど、一つの部屋が異常に狭い。
真中の扉ぶち抜いて、二部屋にするか……。埃っぽい床にスニーカーのまま上がって、スーツケースをごろごろ転がす。
多分、ここ、寝室だろう。前の住人が使ってたんだろう、色の変わった床はベッドでも置いてあったのか。壁には申し訳程度に修正された、ペンキの跡。
思った通りに日当たりがすこぶる悪くて、クローゼットがかび臭い。
……これ、ちゃんとハウスクリーニングしたのかよ。
申し訳無さ程度についてるバルコニーには、煙草の吸殻。最悪だ。
心の中でがっくり肩を落として、その後に、頭を振って顔を上げる。
仕方ない、自分で決めた事だ。第一、学費ももう振り込んであるし、ロンドンの家も解約してきちまったし。
帰る場所も無い。だったら、ここを帰る場所にしなければ。
べりべりとカーテン代わりに取りつけられてた茶色の模造紙を剥いで、オレはがらりと窓を開ける。
どんよりとしたこの部屋とは違って、外は嫌になるくらいのいい天気だった。
「……ハロー、アメリカ。これからしばらく、宜しく頼むよ」
どうか平穏に過ごせますように。
願わくば……就職先は、イギリスで見つかりますように。
真っ青な空に向かって、オレはぽつりと小さく呟いた。