7月4日。
この日は、宗主国で親で兄で相棒で仕事仲間で恋人のアーサーは、よく体調を崩す。
独立してから1年、2年、10年、100年。
最初の頃こそ俺に対する嫌味のつもりで会議を欠席したり、
わざと大げさに咳をして俺の注意をひいたりしているものだとばっかり思っていたんだけど、どうやらそうでもないらしく。
俺より少し色白の肌は蒼白になって身体はひんやり冷たくなるし、立場が恋人に昇格してからもこの日は俺に触れたがらない。
一緒にいる事すら、拒否される事もある。
俺にとっては記念すべき誕生日で、彼とようやく同じ立場になれたという晴れの記念日なのだけど、彼にとってはそうじゃない。
俺が、彼の元から立ち去った日。
銃を向けて、背を向けて、さよなら、そう、言い放った、裏切りの日。
アーサーはこの話をしたがらない。
だから、関係に進歩はないまま、俺たちは何だか気まずく、この日を過ごす。
「アーサー」
「うん」
「7月4日の事なんだけど」
「・・・・・・・・・・・うん」
「君、避けてるよね。この話題」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
かちり。
昔よりも少しだけ目の悪くなったアーサーは、縁のない透明なレンズの眼鏡を外して、向かっていたノート型の端末をぱたりと閉じる。
独立して200年強。あれから俺の身体はぐんぐんと大きくなって彼を追い越したけれども、彼の体は変わらない。
少しだけ、小さくなったかもしれない。老いとか成長とかいうものが俺たちの体にも当てはまるとするならば、彼はどちらかというと幼くなった。
俺が傍にいた頃よりも大きく揺れるようになった感情の振り幅、身体の大きさ、傷つきやすい心を守る、鎧の強度。
人は守るものがあればいくらでも強くなれる。弱くなった彼の心は、守るものが無くなった、その証。
弱いから逃げる。傷つきたくないから、逃げる。
現実を直視する強さが無いから、見たくないから、耐えきれないから。
彼は、あの時の俺を見ようとせずに、俺から逃げる。
「・・・俺はちゃんと、話がしたいんだけど」
「・・・なんだよ、別に逃げてねぇよ」
「本当に?じゃぁ、話をしようよ。俺がどうして君の元を離れようと思ったか」
「・・・・・・・・・・・・」
「聞いてよ。どうして目を反らすんだよ」
アーサー。
緑色の瞳。いつも、何処か遠くを見てる、丸い瞳。
彼はいつも俺を見ない。今の俺を通して、昔の俺を見てる。
彼の後ろで笑ってる、彼と手をつないでいる、小さな俺を。
「何度も言うけど、俺は君を裏切った訳じゃないぞ、ねぇ、聞いてる?ききなよ」
「何度も聞いたよ、もういいじゃねぇか、分かってるよ、今は楽しいんだ、それでいいだろ!」
「よくないね!だって君、まだ俺の事疑ってるだろ?またいつでも俺が離れていってもいいように、そう思いながら俺と居るだろ!」
「思ってねぇよ!」
「じゃぁ何でテキサスを外した俺を見ないんだよ!」
ちき、と音を立てて、透明なレンズを外す。
独立後にかけ始めた、テキサスという名の伊達眼鏡。
度なんて入ってないから完全に見かけ倒しのこのアクセサリーは、恋人と対峙した時には外すことを許されない。
許されないというよりも、嫌がるのだ。
テキサスをかけていない俺の顔は、独立前の、彼の元に居た俺を思い出すと。
彼の弟だった頃の俺、そんな俺と恋人という肩書になって、背徳に怯えて嫌がっているのかと思ってたが、そうではない。
過去の俺と、対峙する度胸が無いのだ。この、どうしようもなく精神の脆い、恋人は。
レンズを通さない青い瞳で彼の緑色の瞳と目を合わせれば、アーサーはぴく、と片眉をあげてベッドに手をつく。
後じさる身体。
じりっと近づけば、その分だけ同じようにアーサーも下がり、空いた距離はいつまでたっても縮まらない。
アーサー、名前を呼べば、細い身体はわかりやすく、びくんと跳ねる。
「過去から逃げないでよ、昔の俺も、今の俺も、きちんと愛して。何を怖がってるんだよ、アーサー」
「・・・愛してるよ、ちゃんと。怖がってなんか、ない」
「嘘つき。恋人から疑われた状態で一緒に居る、俺の気持ちなんてわからないだろ。一体君はどうしたら、わかってくれるんだよ」
「わかってるって。疑ってなんて、いねぇよ。アルフレッド」
「きちんと俺の目を見て言ってくれる?アーサー」
意思の強そうな、太い眉。軽く歪めて、下を向いて、彼は言う。
愛してるよ。昔のお前も、今のお前も。
じゃぁ、未来は?きちんと前を向いて、俺との事を考えてる?
どん、と背中はベッドのマットレスに当たって、行き止まり。ぎしりとスプリングが音を立てる。
散らかった部屋、彼はいつもこの家に来ると文句ばかり。オレと一緒に居た時は、こんなんじゃなかっただろ。
過去の事を蒸し返して、笑う。遠くを見て。幸せそうに笑う。
「いつまでそうしてるつもりだよ、アーサー。目を背けないでよ、俺を見てよ。
 愛しい人に信用されてないなんて、まっぴらだ」
彼は下を向いたまま。おかげで俺は彼のつむじに話しかける羽目になる。
はぁ。溜息、押し問答。いつだって彼はこの問題から避けて、蓋をして。
彼の傍で笑っている小さな俺と、恋人として傍に居る俺を、イコールにしない。
俺は一人しかいないぞ、アーサー。君の手から独立して、そうして、恋人の座を勝ち取ったのが、今の俺だ。
過去の自分であっても、俺を見て他の誰かを重ねられるのは、気分が悪い。
何が怖いんだよ。アーサー。愛してるって、言ってるだろ。
そんなに人を信じるのが怖いの?弱虫。ネガティブ。うじうじ、全く、みっともない。
多少大げさに、わざとらしく溜息をついたら、恋人は軽く舌打ちして、ぎっと下から見上げて、怒鳴りだした。
「・・・お前になんて、わかんねぇよ!このガキ!裏切られてばっかりのオレが初めて愛情を注いだんだ、結局それも裏切られてよ!
 ずっとオレの傍に居るって、お前言ったじゃねぇか!オレに銃を向けて、背中向けて、でっかくなってのこのこ戻ってきたと思ったら
 愛してるから一緒に居よう、ふざけんなよ、信用できる訳ねぇだろ、ふざけんなよ!」
「ほら、やっぱり信用してなかったんじゃないか!君の気持なんてわかるわけないだろ、俺は君じゃないんだぞ!
 言ってくれなきゃ分からない、だから言葉があるんじゃないか!自分の殻に閉じこもってるのもいい加減にしなよ!」
「うるせぇな!いつもノーテンキで人の気持ちを汲まない、自分勝手なお前なんかに分かってもらおうなんて思ってねぇよ!」
人の気持ちを汲まない?自分勝手?
自分勝手はどっちだい、この、バカアーサー!
この人の暴言や自分勝手さには慣れてるけど、それでも面と向かって言われるこの言葉には納得いかない。
いつも散々俺には空気を読めと言ってる君に、言わせて貰うよ。
君はもっと俺の気持ちを読むべきだ!
「あったまきたぞ、ねぇ、アーサー。同じ事を君にも言ってあげようか。どうせ君はバカで自分勝手でノーテンキだから、
 俺の気持ちなんてわかろうとしてくれないんだろ。
 あんなにも愛してるって叫んで、泣いて、戦争まで起こして、君を手に入れたかった、俺の気持ちなんて」
「わかんねぇよ!なんで、なんで、オレの側を離れたんだよ、わかんねぇよ、オレは、あのままでよかったんだ、あのままで!」
「あのままで?兄弟のままで?冗談じゃないぞ、俺は君と対等になりたかったんだ、愛してる人に守られてるなんて、冗談じゃない!」
「だ、からって、だって、お前、だって、」
ぶわり。
大好きな緑色の瞳に、涙が浮かぶ。
何度か過去にこの話をした時も、彼は大声を上げて泣き出した。
泣いた挙句にキレ出して、そのまま俺も売り言葉に買い言葉で、喧嘩して。
折角の誕生日なのに、何で、いつもこうなるんだ。毎年毎年、歯噛みして。散らかった部屋で一人で荒れて。
もう嫌だ、いい加減にこのループから脱け出したい。
俺が、ようやく彼と同じ土俵に立った、記念の日なんだ。俺という国が、人格が、生まれた日なんだ。
君にとっては最低最悪な日であっても、一緒に祝ってもらいたい。
アーサー、呼びかければ、彼はエメラルドの瞳からぼろっと涙を零して、唇を小さく、小さく、震わせた。
「・・・何で、なんであんな、あんな事したんだよ、オレに、銃を向けたんだ、裏切ったんだ。アルフレッド、アル、畜生、なんで」
俯いて、ぽろぽろ、涙を落としながら途切れ途切れにしゃくりをあげる、愛しい人。
だから、何度も言ってるだろ。同じ事を言わせたいの。
前髪を掻き分けて、形のいい額に、軽くキス。
ひっ、と声なく喉を鳴らす恋人は、「お前は裏切られた事がないから、わからないんだ、」と小さく小さく、呟いた。
「・・・それはそうだけど。でも、俺は裏切った訳じゃないんだけど」
「さよならって、言ったじゃねぇか。背中を向けたじゃねぇか、オレを、一人にしたじゃねぇか」
「戻ってきただろ。約束したじゃないか、大きくなって、また会いに来るって」
「約束なんて、信じない」
「信じてよ」
しくしく、透明な涙を流す彼を見るのは、何度目だろう。
彼の過去に何があって、どんな裏切りをされて、どんな気持ちで俺を育ててくれたのかなんて、分からない。
だって俺は彼じゃない。
でも、俺は彼が好きで、俺の好きな事は、彼も好きでいて欲しい。
一緒に、未来を歩んで行きたい。
後ろを向いていて欲しくない。今の俺ごと、愛して欲しい。
愛してるよ、信じて。そう言って手を握ってキスを落としたら、彼は泣くのを止めずに、首を縦にも振らず、横にも振らず。
ただただ、しくしく、しくしく、泣き続けた。
7月4日。
13の植民地が立ち上がって、イギリスの手を払って、自由を求めて、独立した日。
我に自由を、さもなくば死を。
合言葉を胸に、ただただ、君と同じ立場になりたくて。
7月4日。
度重なる戦争を繰り返して勝ち取った、愛すべき、愛しき植民地が自分に銃を向けた裏切りの日。
何度も何度も裏切られ、愛されなかった彼が、一生懸命愛を注いだ国が。自分の手を振り払った悪夢の日。
二人の距離は埋まらない。それでも、少しずつでも、埋めていきたい。いつか隙間が無い程に。
愛してるよ。いつか、俺が生まれたこの日を、一緒に祝って。
今はこうして喧嘩をしないで一緒に居られるだけで、我慢するから。だから、アーサー。いつの日か。