「イヴァンちゃん、こんばんは」
「・・・お姉ちゃん、またお金の無心?」
「ひ、ひどーい!」
 
わぁっと大きな胸に顔を埋めて、血の繋がってない姉は泣き出した。
ひどいって、いつも貴女がここに来る時なんて、それくらいしかないじゃないか。
だいぶ寒くなってきたなと思いながら、にこにこ笑う姉を迎えて、はぁ、と小さく溜息をついた。
 
 
 
 
最後に会ったのは2か月前。確かあの時は、激しく外は吹雪いてた気がする。
姉は、よく金の無心にやってくる。
ある時はぼろぼろの服を着て、ある時はしくしく泣きながら、またある時は寒さでがちがち震えながら。
そんなカッコで僕の家に来るからだよ、死んじゃうよ、お姉ちゃん。
チアノーゼみたいにムラサキ色になった唇、歯の根が全くあってない状態で
『こんばんは、イヴァンちゃん』。
笑う姉に、流石に可哀想になって部屋に上げる。
お姉ちゃん、ここに来たことばれたら、大変なんじゃないの?
そう聞いてみれば、姉はぶわわっと目から大きな涙をぼとぼと落として、毛布に包まった状態でがばりと突然頭を下げた。
・・・おっきな芋虫みたいだなぁ。寒い寒い今の季節は、虫を見る事なんて、ほとんど無いけど。
どうしたの、一応、こちらも膝をついて聞いてやる。
理由はだいたい、わかるけど。
 
「お、おねがい、イヴァンちゃん、お金貸して」
「・・・・その前に、この間貸したお金まだ返ってきてないんだけど」
「ご、ごめんなさい。でも、おねがい、このままじゃ、あたしの家の人たち皆飢えちゃうの・・・!」
「僕の家の人も飢えちゃうよ。こんな毎回お姉ちゃんにお金貸してたら」
 
イヴァンちゃん。
ひっく、ひっく、と泣く姉から目を反らす。
服はぼろぼろ、相変わらず何が詰まってるんだか、我が姉ながら爆弾みたいなおっきな胸はついてるけど、この間見たときよりもだいぶ痩せた。
女性なのに、全く手入れをしてない爪。ぼさぼさの短い金色の髪。化粧ッ気のない白い顔、転んだんだろうか、右頬に泥と擦り切れた跡がある。
だめだよ、女の人は、顔は大切にしなくちゃ。
袖を伸ばして、顔についてる泥を払う。
お姉ちゃんは、「ありがとう」、そう言って、恥かしそうに自分でも顔を拭ってから、またぽろぽろと涙を零した。
 
「・・・お姉ちゃんさ、僕の他に誰かいないの?友達とかさ」
「だ、誰も友達になってくれないんだもの・・・・・・私、一生懸命頑張ってるのに」
「泣かないでよ。とりあえず、泣きやんでよ。お姉ちゃん」
 
ぼろぼろ、ひっく、大きくしゃくりをあげて涙を流す姉。
はぁ、と小さく白い息を吐いて、かりかりと白い頭を掻いた。
人が、良すぎるんだとおもう、この姉は。
僕らは国っていうひとつの集合体ではあるけれど、もっともっと、相手を見て、計算して、損得考えて動かないと。
意思はほとんど通る事なんてないけれど、しっかり自分の身体を守らなければ。
悲しむのは僕らではなく、家に住んでる人たちだ。
自分で決める事は出来なくても、国民に不安を与えはならない。
どんな状況でもどっしり構えていなければ、姉はいつまでたってもこの貧困な状況から抜け出せない。
上司から責められて、民衆から責められて、板挟みみたいな状態になってても、僕らはこの身体から、逃げられない。
 
「貸さないよ」
「おねがい」
「貸せないってば」
「おねがい、ちょっとでいいのよ」
「無理だってば、僕のところだって大変なんだよ!」
「・・・お願い、助けて、たすけて下さい」
「だめだってば・・・」
「おねがいします・・・おねがいします、お願い・・・」
 
ひっ、ひく、ひっく、ぅ、ひっく、
床に手を付いて、華奢でもない、それでも自分よりも薄い肩を震わせて、泣く。
・・・泣かれても、ねぇ、お姉ちゃん、僕だって本当に無理なんだよ。
結構、限界までお姉ちゃんには力を貸したんだ。本当に、限界の、限界まで。
上司に嫌味を言われても、呆れられても、僕だって頑張ったんだ。
これ以上、お姉ちゃんに回したら、僕の家の人が飢える。
実際もう切り詰めてるんだ。見て分かるでしょう、この家を。
冬将軍に魅入られたこの国は、白い季節になると育つものは何もなく、皆必死で生き延びようと知恵を使って外貨を稼ぐ。
体力と気力を削がれる厳しい寒さ、現実、吐いて凍る息は、人の心までも凍らせる。
がちがちと奥歯を震わせて、唇を真っ青にして頭を下げる姉。
こんな事をしてもらいたいんじゃないのに、頭を下げてもらいたい訳じゃないのに。
僕だって、出来る事なら、力になってあげたいのに。
吐く息は白く、冷たい指でぽろぽろ落ちる涙を拭う。
こんなに部屋は寒いのに、姉の身体はきっと芯まで冷え切っているというのに。
拭った涙は、驚くくらいに、暖かかった。
 
「・・・わかったよ、もう、わかったよ」
「・・・イヴァンちゃ」
「ただし、もう無理だからね。返済もきちんとして。じゃないと、ガス止めるから」
「うん、うん、うん、絶対、絶対返すから、絶対、あたし、もっともっと、頑張って、絶対に絶対に返すから」
「期待してるよ。お姉ちゃん」
 
・・・・・・死ぬほど悔しいけど、もう、連合の人たちに力を借りよう。
悔しい、悔しい。仕方ない。僕に力がないのがいけないんだ。仕方ない。お姉ちゃんを消滅させるわけにはいかない。
お金なんて。どうせ、返ってなんて、来ないと思うけど。
軽く溜息をついて言ったら、姉はぱぁっと顔を輝かせて、「どうもありがとう」と、涙を拭って頭を下げた。
寒い寒いこの国で、彼女の笑顔だけは、春に咲く花のようだと、いつも思う。
 
 
 
 
「・・・で?結局今日は、何の用かな」
「あ、あのね、あのね、イヴァンちゃんを吃驚させようと思って」
「もしかして借金の返済?うれしいなぁ」
「あ、そ、それは、もう少し待って・・・」
「・・・ガスの復旧も遅れるけど、いいかな」
「あ、それは大丈夫。国民の皆さんが火を焚いて温めてくれるの」
 
・・・・・・火事だけは気をつけてね。
忠告しながらも、以前ここに来た時よりも少しだけ肉付きのよくなった頬にちょっとだけ安心して、どうぞ、と部屋の扉を開く。
長い長い冬に閉ざされているこの国でも、彼女が来ると暖かい。
厚い厚い雲が太陽に道を譲って、顔を出す。ああ、暖かいな、眩しいな。きらきら反射する銀色の光が、あの子みたいだ。
姉は嬉しそうに席を立つと、少しだけ照れくさそうに「喜んでくれるといいな」と笑った。
 
「なに?」
「内緒で、あと、あたしたち、あんまりお金ないからちょっと下手くそなんだけど・・・。
 あ、入って。いいよ〜」
 
姉は僕に笑いかけてから、部屋の入口に向かって声を掛ける。
・・・・・・あたし、  ・・・・・・たち?
きぃ、と扉が開いたと同時に入ってくるのは、今思い出したばかりの、銀色の髪の女の子。
手元にはロシア国花の黄色い向日葵 ・・・・・・の、造花。
この時期には向日葵なんて、何処に言っても手に入らないから。
少し不格好な、黄色い花弁。
人見知りで目立つ事が大嫌いな、無口な妹は滅多にこちらに遊びに来ない。
無表情なままゆっくりとこちらに歩いてくる妹に、「どうしたの」と驚いて、目を丸くした。
 
「・・・・・・お誕生日、おめでとう。兄さん」
「おめでと!イヴァンちゃん」
 
寒い寒い部屋の中、二人は白い息を吐きながら、声を揃えて祝いの言葉を口にする。
驚きすぎて、一瞬声が出なかった。
僕の誕生日なんて、自分自身も覚えていなかったのに。
その後ぱちぱちと小さな拍手なんてされて、ますますどうしていいかわからない。
この時期は、皆、家に帰ると言って街に出ても誰も居なくて、家でも一人ぼっちで、なのに他の人たちは楽しそうで。
大好きな向日葵の、作りものの花束をぽふりと渡されて、不覚にも涙が出そうになった。
 
「えへへ、ナターリヤと一緒に作ったの。結構頑張ったのよ」
「・・・・・・姉さんはこの茎の部分しか作って無い・・・・」
「え、い、いいじゃない、真心こめて作ったのよ。どうかな、嬉しい?イヴァンちゃん」
 
太陽みたいに笑う姉に、普段は無言で何を考えてるか分からない、ちょっとだけ怖い妹。
二人が一緒に何かをした事なんて想像できなくて、それでも、自分の知らない所で何か動いてくれてたのかと思うと嬉しくて顔が少し綻ぶ。
すごくうれしいよ、有難う。
笑って二人にお礼を言ったら、姉と妹は顔を見合わせて、くすぐったそうに笑った。
 
 
 
 
「あ、お姉ちゃんたち帰るでしょ?早くしないと飛行機なくなっちゃうよ」
「え?どうして?」
「どうしてって・・・・・・」
「・・・私、兄さんの家に泊まりたいわ」
「え?」
「あたしもー、だって、もう泊まる用意してきちゃったもの」
 
誰も居ない寒い家で一通りの食事を済ませた後、時計を見て言った僕に、二人はきょとんと目線を上げた。
え、と目を合わせる僕に、姉は持参してきた大きなバックを見せて笑う。
 
「年末くらい、3人ですごしましょうよ。家族でしょ?あたしたち」
 
長い事戦ってばっかりで、人の弱みを握る事に精一杯で、自分の身体を大きくする事ばっかり、考えてて。
強くならなくては、じゃないと、こんな田舎に住んでる僕は、欧州の人たちから馬鹿にされて、弾かれる。
地位を築いてからも、いつもいつも走ってて。不安で、でも悟られない様に、常に余裕な振りを続けてて。
弱い国を、姉や妹の国の様にはなるまいと、必死で走り続けていたのに。
強さっていうものは必ずしも軍事力や経済力ではない。
こんな風に、何の疑いも持たず、利害を求めず、遠い所からわざわざ自分の所に来てくれる様な人を、大切に思えない訳が無い。
ずっと一つの事しか見ずに走ってた僕の、次に手に入れなければならない強さ。
まだ、彼女達のように素直には、なれる自信はないけれど。
 
「・・・・・・そうだね、家族だもんね」
 
同じように「家族」という言葉を口にしたら、何だか恥ずかしくなって、笑ってしまった。
 
 
 
 
 
 
◆◆おまけ◆◆
 
 
「でね、イヴァンちゃん、もうちょっとお金かしてもらいたいんだけど・・・」
「兄さん、いつ私と結婚を・・・・・・」
 
・・・・・・前言撤回。
やっぱり、人なんて、国なんて、利害関係がなければわざわざめんどくさい事なんてしないんだ。結局の所。
はぁ、と大きく溜息をついて「そんなつもりで来てくれたのなら今すぐ帰って」と呟いたら、二人は「誤解よ」と言って、泣き出した。