歌っているような発声、舞っているような身体の動きは、思わず見惚れるほど美しかった。
 
 
シルクのような髪、小さな身体、人形のように表情の無い、白い顔。
意思の強そうな、黒曜石の瞳。その瞳の奥は、黒。何も見えない黒。
顔を切られても、すぐ隣の仲間が倒れても、ただひたすらに真っ直ぐに向かってくる姿には、
当事者でなくとも遠くで見ていてぞわっと虫が走った。
黒髪の、黒い瞳の特攻隊。
 
口に出す言葉は、ただ一つ。祖国の為に。
高い高いプライドを持ったサムライの国。
 
かつては黄金の国とまで言われた美しい国土を持つ、かつての東の強国は、
人形のような表情を崩す事なく、真珠のような涙を一粒落として。
1945年8月。
焼けた国土に一人立って、静かに静かに、白旗を上げた。
 
 
 
 
「アルフレッド!!」
 
ばん!
観音開きになる木製の扉を、壊さんばかりの勢いで押し開ける。
無用心にも鍵がかかっていないその扉は、込めた力そのままに反動をつけて大きく開いた。
中に居るのは、大きな革張りの椅子に深く腰かけて書類に目を通す元弟。
きちっと締めたタイ、カフス、スリーピースの黒のスーツ。
珍しくしっかり正装してるアルフレッドを見て、オレはぎりっと奥歯を噛んだ。
何の会議だ。これから。それともマスコミを呼んで華々しく勝利宣言でもするつもりか。
後ろからバタバタ駆けて来るこいつの家の警備兵がうざったくて、開きっぱなしの扉をばんっと閉めて、
中からがちゃりと鍵を掛ける。
口の端だけを上げて「ハイ」と笑うアルフレッドに振り返って、オレは大股で、デスクに居る奴へと歩いた。
にやにや。腹の底から頭にくる、むかつく笑い。
まるで、オレがここに来る事なんて、ずぅっと前から見透かしていたように。
血管がキレそうになるのを必死で堪え、それでも上がってくる怒りを抑えきれずに、
ダン!とテーブルに手を突いて、感情のまま怒鳴りつけた。
 
「どういうつもりなんだ、アルフレッド!!」
「どうって、何が?何のことだい。アーサー」
 
むかつく笑顔を貼り付けたまま書類から目を離さない元弟に向かって、
オレは「てめぇ」とタイの締まってる胸倉を掴み上げた。
ばさばさ。持っていた薄い紙も、積み上げられた書類も音を立てて床に落ちる。
顔に掛かっているテキサスが少しだけ歪んで、窓から差す明るい日差しに反射した。
きらきら、オレと同じ色の髪の毛が白く光る。こんなに、世界は明るいのに。
この地は、こんなにも明るいのに。
アルフレッドは締まった喉に少しだけ咳き込むと、やめてよと言ってオレの手を外す。
でっかく育った大きな手は、やけに力が強くて、オレの痩せた腕は難なくくいっと外される。
そのままぎゅっと握られて、手首の内側にキスをされて、思わず鳥肌立ってばしんと頬を引っぱたいた。
 
「・・・ったい。何するんだよ。今の俺にこんな事出来るの、君だけだぞ」
「・・・お前、何てことしたのか、わかってんのか」
「だから、何のことだってば、アーサー。忙しいんだから、単刀直入に言ってくれよ」
 
少し赤くなった頬を撫でながら、それでも笑いを崩さないアルフレッドに、沸騰する程頭に血が昇る。
上がる血圧とは裏腹に脳内は静かに冷えて、発した声は小さく小さく、震えた。
 
 
「・・・・本田の事だ」
 
 
デスクの上に散った書類には、綺麗にタイピングされた「HIROSHIMA」というゴシック文字。
震える手は薄いペーパーを小さく丸めて、オレはもう一度ダン、とデスクを叩いた。
 
 
 
 
 
 
かつては同盟も組んでいた、大切な友人。
これは、戦争だ。わかってる。敵対する軍に籍を置いてる身で、こんな事をいう資格はない。
こいつを責める資格はない。オレは、結局アルを選んだんだ。
急激にでっかくなって、力ばっかりありあまった、このでかい子供みたいな、放っておけない元弟を。
それでも。それでも。
 
 
「・・・あのさぁ。アーサー?戦争なんだぞ。今更じゃないか」
 
アルは笑う。むかつく笑い。こんな笑い、オレと一緒にいた時はしなかった。
体の震えが止まらなくなって、オレは小さく声を振り絞って、握っていた書類を叩きつける。
ばさり。紙の書類は目の前で散る。ばさばさ。
 
「・・・・・・こんな方法、議会が黙ってる筈がない。お前、一体、いつまで子供なんだよ!」
 
叫んでから、机を乗り越えてアルのシャツをつかみ上げ、タイを締め上げる。
手が震える。声も。頭が痛い。入り口の扉がどんどん、煩い。黙らせろ。
力の入らない両手をやんわりと握ると、アルフレッドは笑いながら腕を取った。
なんだい、それ。議会が黙っている訳ないって、議会って誰?
何が間違ってて、何が正しいなんてのは誰が決めるんだい。多数決、正論。
それなら、俺だろう。違う?アーサー。
 
「いいかい、アーサー。俺は長引く戦争を終結させようとしただけだぞ。
 自分の命を捨てて戦闘機で特攻してくるクレイジーな奴らなんて、こうでもしなきゃ絶滅だ」
「・・・お決まりの自分正当化か、誤魔化すな、お前がした事は、ただの自分勝手の高慢だ」
 
震える声を叱咤して、必死で声を出したら、涙が出そうになった。
WW1の後、あいつはひっそりと、静かに静かに自分の家に篭っていた筈だ。
植民地を作る事に夢中で、領土ばっか広げていた自分とは違い、自分は本当はこうして
のんびりと暮らしている方が好きなのだと。美しい着物を着て、刀を置いて、笑って。
同盟を組んだ後何回か訪ねた際には、いつも嬉しそうにはにかんで。
この笑顔が、この小さな手が、あの狂った戦場で踊りまわっていたなんてそれこそ信じがたい程に。
 
あいつを、こんな戦いに巻き込んだのは誰だ。
自分勝手な要求で、帰路を退って、騙まし討ちみたいな方法で。
どんどんと追い詰めて、逃げ道を塞いで、やせ細らせて!最後はコレか!
虫唾が走る。我が元弟ながら、気味の悪い笑顔に、本気で、本気で吐き気がした。
 
 
「見損なった」
「どうぞ、御好きに。反対意見なんて認めない」
「・・・あいつを、これからどうする気だ」
「どうって?もちろん俺が面倒見るよ。いろいろガタガタだろうから最初から最後まで、きちんとね。
 次の会議には俺と一緒に同席させる。
 勘違いしないでもらいたいんだけど、俺は弱い者いじめをしてる訳じゃないよ、アーサー。
 ヒーローとしては、世界の秩序を守るのは当然だろう」
 
もう、いいかな。そろそろ会議の時間だから。ああ、帰るときマスコミには十分注意してよ。
第一に声明を発表するのは俺でなくちゃいけないんだから。
君も色々忙しいのに、御苦労だね。じゃぁ、また。
 
 
そう言って、するりとオレの横を通り過ぎようとするアルフレッドに、体が、正確には右腕が勝手に動いて、振りかぶった。
 
「・・・自分で勝手に巻き込んで、滅茶苦茶にして、綺麗事みたいに作り直して、何がしたいんだよ!!
 オレは!あいつはそんなこと、なんで、お前は、どうして・・・・・・・!」
 
振りかぶった右腕は、予想してたように避けられたあげく、そのまま強い力で掴まれる。
吐き気がする。胃腸がむかつく。
いつから、こいつはこんな冷たい笑いが出来るようになったんだ。
いつからオレはこんなに無力になったんだ。
元弟の暴走も止められないほどに、弱くなったオレは、何なんだ。情けない。悔しい。悲しい。なんで、どうして。
無意識に涙が滲んで、テキサス越しの空色の瞳が滲む。
空を映すビー玉みたいな、透明な瞳。濁りのないその瞳は、昔と変わらずそのままに。
お前、いつからそんなになっちまったんだよ。
瞳はそんなに綺麗なのに、掴む手はこんなに暖かいのに。
あんな事、するような奴じゃないのに。なぁ、アル。お前はそんな奴じゃなかっただろう。アル。アル。
 
ぼろっと瞳から涙が流れて、書類の上にぼとぼと落ちる。
JAPANと書かれた、インクが滲む。じわじわ、他の文字と混ざって薄くなる。
テキサスを光らせたアルフレッドはオレから目を反らす事無く、小さく鼻から息を吐いて、呟いた。
「がっかり」
心底失望したような、肩をすくめるその態度。
オレの右腕を解放すると、奴はそのまま背を向けて扉のノブに手をかけた。
 
「君に教わった事だぞ。侵略、征服、騙し打ち。
 汚い事を繰り返して植民地化を進めてきた君に、泣かれる事なんて何もない」
君って本当、いつからそんなに腑抜けになっちゃったんだい。
そんなにあの島国が好きだった?
 
アルフレッドはそう言って、目を丸くするオレに笑いかけてドアのカギを開ける。
ドアを開ければ、こいつによく似た顔をした、複数の軍服の兵士達。
一斉にこちらに向けて銃を構える彼らに、アルフレッドは右手を挙げてそれを静止させる。
敵じゃないよ。俺を育ててくれた、昔の兄。
シニカルに笑って、大きく扉を開けて、出口までの道を作って。
 
「お帰りはこちら。遠所はるばる、ご苦労だったね、ユナイテッド・キングダム。
 俺は見送りは出来ないから、ここでいいかい。アーサー」
 
三日月に歪む、テキサス越しの青い瞳。
涙の止まったオレの背中を緩く押して、肩からコートをかけて、アルフレッドは耳元で囁いた。
手が、冷たい。震える。
まさか、アルフレッド。こんな事を言われる日が来るなんて、思ってなかった。
大好きだった、持てる愛の限りを捧げた愛しい弟に。
オレは、何の為に戦っていたんだろう。
あの時オレが必死で戦っていたのは、死ぬ気で世界を敵に回していたのは、全部全部、お前を取られたくなかったからなのに。
お前が大事だったから。守りたかったから。初めて好意を向けてくれたお前が、大好きだったから。
そうか。そんな風に見えていたのなら。
 
ふらりと扉をくぐったら、自由と平等を掲げる、こいつの家の国旗が見えた。
赤と青の星条旗。派手で目立つことの大好きないかにもこいつらしい国旗。
兄弟だからきっと似ている所はあるんだと思っていたこいつは、そういえばオレに似た所なんてひとつもないんだな。
「帰る」
小さな声で背を向けたままアルフレッドに伝えたら、アルはオレの耳元に屈みこんで、後ろから耳元で小さく言った。
許してないんだよ。俺は。
 
 
「恋と戦争においては、あらゆる戦術が許される。君の家の言葉だぞ。覚えておいてよ」
 
 
振り向いた時には大きな扉はばたんと閉まって。
最後に、アルがどんな顔をしていたのかは、わからなかった。
耳に残るのは、最後に聞いたその言葉。許してなんか、やるもんか。
何を。何を許さないんだよ、アルフレッド。
がしゃんと銃を構える軍服の間を通って、言われるままにタクシーに押し込まれて。
ふらふらと、どんなルートを通ったなんて覚えてないまま、ロンドンの自宅へ帰った。
家に着く前には連合国の勝利宣言に沸き立つ民衆に押しつぶされそうにもなったけど、何の関心も湧かない。
湧いてこない。
考える事も、これからしなければならないことも、山積みなのに。今は何も考えたくない。
 
 
「・・・・本田」
 
 
会いたかった。
ただ、ただ。
本田に、あの、黒い瞳と髪を持つ、笑顔の似合う小さな島国に、会いたかった。