俺の恋人はとても優しい。
色々ズレているんだけど、多分、優しいんだと思う。
例えば俺が仕事から帰ってきて疲れてぐったりとしていると、服を全部脱がして全身のマッサージをしてくれる。
彼の手つきっていうのはなかなか上手で、力の入れ加減とか、まあ結構気持ちがいい。
困るのは、その最中に何故か彼が興奮し出してしまうという事だ。
想像してもらいたいんだけど、マッサージとか、そういう類の気持ちよさと、あっちの、まあセクシーな方の気持ちよさって、全く別物だと思うんだよね。
身体を解されながら、ああ、気持ちがいい、このまま眠りたい、そう、うっとりとしている時に突然耳元にはあはあと熱い息使いが聞こえて来て、身体をひっくり返されて、乗っかられて。
(いやいや、そうじゃないだろう。そういう雰囲気だったか……?)
そう思っている間にも、彼の中のゴングは鳴っているらしい。こうなってしまっては仕方が無い。
結局いつもそういう流れになって、最後はくたくたに疲れ果てた俺が全ての後始末をする事になる。
いや、だって、彼途中で飛んじゃうからさ……正直言って、俺が飛びたい。
彼も最初からそういうつもりで始める訳ではないんだろう。
疲れた俺を労おうと思っているみたいだから、無碍にも出来ない。
結果的に、俺の疲れが倍になっても。
あと、俺の為に料理をしてくれる。
料理が好きだとは言っているけど、俺はあれは嘘だと思う。
だって、本当に好きなら、もっとレパートリーが増えるなり、一人の時だって手間暇かけて作ったりもするだろう。
この間不意打ちで家に遊びに行ったら、キッチンにはビールの缶とオートミールの空き袋しか置いてなかった。
そういえば、初めてロンドンに行った時に一番驚いたのは、マーケットの食品コーナーがほぼレトルトとデリで埋まっていた事だ。フルーツや野菜も沢山あるけど、それも含めて「そのまま食べられる」ものが多すぎる。俺の家よりも多いんじゃないか。
『料理は嫌いではないけど、好きでも無い。イコール、あまり食に対して興味が無い』。
これが、俺のイギリス人のイメージだ。勿論、彼にも当てはまる。
食より酒。ただし、フランスやイタリアみたいに酒に合う食事というものは重要視していない。酒といえばビール。ビールにはサッカー。これだ。
実際、彼にサッカー中継とビールを渡したら一日中何も食べなかった。
そんな彼の作る料理は、想像していた通りにどうしようもない。
まず、『これとこれを混ぜたら、こんな味になる』っていう事を理解していないんだ。
だからクラムチャウダーに、ケチャップとソイソース(※醤油)を砂糖なんて入れる事が出来るんだ。
いいかい、クラムチャウダーだぞ。どうしてホワイトソースが赤黒いんだ。浅蜊が甘くてしょっぱいんだ。だいたい、このスープって元は君の所の出身が多い、ニューイングランド発祥のものだろう。君が盛大にレシピを間違えてどうするんだよ。
色々言いたい事は山あるけど、絆創膏を沢山巻いた指が見えてしまったり、火傷した顔でにこっと微笑まれては、文句も言えなくなってしまう。
(今度、俺も一緒に作ろうかな……)
砂抜きすらしていない、じゃりじゃりとした甘くて潮臭い浅蜊を奥歯で噛み砕きながら、俺は「美味いか?」と尋ねて来る彼に無言で親指を立てて見せた。
他には? ああ、そうだ。
眠る時に歌を歌ってくれる。
もう子供じゃないんだし、いいよ、なんて断っても、気付いたらいつも歌ってる。
きっと昔の癖なんだろう。付き合い始めて最初の方は「いつまでも弟扱いして」と面白くない時もあったけど、もう慣れた。
過去は消せないし、俺が彼の弟であった事は事実だし。今は、それも受け入れて彼と付き合っていこうと思ってる。
(この子守唄もな……別にいいんだけど、何でか途中からパンクスやデスメタルに変わるんだよな……)
恐らく、歌っているうちに興が乗るんだろう。
俺が眠ったと思っているのか、だんだんと歌詞が過激になって、最後は一人でヘッドバンキングしている時もある。ベッドの上で。
初めて薄眼を開けて見た時は、彼が何かに憑りつかれてしまったのかと思って怖かった。
小さい頃はこんなこと見た事無かったから、きっと俺の独立後にUKロックやパンクスが流行り出してからのものだろう。
良くも悪くも、俺達の身体は国の流行や世論に反映されている。
そんな訳で、彼と一緒に眠る時は、この激しい子守唄とエアギターと、時々始まるヘッドバンキング(たまに頭突きされる)にドキドキしながら眠らなければならないので、大抵はいつも寝不足だ。
俺が落ちこんでいる時は、彼なりの気遣いをしてくれる。
どちらかといえば、俺は凹んでる時はそっとしておいて欲しいタイプなんだけど……どうしてだか、彼は必死に俺を笑わせようとしてくれる。
下手くそなギャグを言っては自分で笑ってしまったり、何かのネタを一人芝居しながら見せてくれたり(多分、日本のお笑いの影響だ)、途中で台詞を忘れて困って何故か逆ギレして大泣きする時も多いけど。
そんな時は、落ちこんでいる俺が彼を慰めなくてはならないから大変だ。
ギャグといえば、一度、俺が携帯を忘れて家を出た事がある。
帰ったら、『携帯忘れてるぞ。届けにいくか?』と携帯電話にメールが入っていた。俺の中では、これが一番面白かった。
(何か、ズレてるんだよな……いや、全然不快な訳じゃないんだけど、気持ちが籠ってる気はするし)
いつも俺の身体の心配をしてくれたり(その心配が更に俺の身体を酷使させる事は置いておいて)、俺が落ちこんでいるとそわそわしたり。もともと心配性な人ではあったけど、付き合い出してからは更に。
……いや、きっと、俺が独立してからもずっとこうだったんだろうな。言えなかったり、構ったりすることが出来なかっただけで。
今日も家に遊びに来てくれている、恋人の背中を見て思う。
俺がちっとも洗濯物を畳まないから、代わりに畳んでくれている優しい人。世話焼きな人。
今まで考えていた事と、その背中を見て、「あ」と思った。
「……わかった。君って、なんか不器用なお母さんみたいんなんだ」
「……は?」
「……いや、でも、母親とこういう関係にはならないか……俺、母親とかいないからよくわからないな」
「何わけの分からない事言ってんだよ……」
「無償の愛っていうんだろ? 愛されてるなと思って」
そうだ。そうそう、無償の愛情。
彼の行動にはこんな言葉がぴったりだ。
俺がずっと小さな頃から、ずっとずっと愛してくれていた人だ。
独立なんて事をして裏切った俺とまた一緒にいてくれる程には、この人は俺を愛してる。
俺は寝転んだまま彼の腰に巻きついて、「だろ」と言って笑う。
彼は、軽く耳を赤くしてから、ぷい、と横を向いて小さな唇を尖らせた。
「……当然だろ」
愛情は、どちらが重いか軽いかなんて考えた時点で違う気がすると思うけど、実は俺も彼に負けない位に愛してる。
但し、俺は無償のものではないけどね。
愛するのならば、同じくらいの愛が欲しい。俺の愛情は海よりも深く、山よりも高いから、彼くらい俺を愛してくれる人じゃないと釣り合わない。
そういう意味では、本当に理想の人に、俺は二百年以上も前から出会っていたんだな。
ここ数年でようやく気付いた恋心を、遅すぎたとは思わない。
きっと俺達はまだまだ先が長いから、ゆっくりと二人の間に生じる「ズレ」を直していければと思ってる。
「……何笑ってんだよ」
「地顔だよ。君といる時限定で」
「変な顔」
「失礼だな……」
そう言って、洗濯物の中で二人で笑ってキスをした。
◆◆◆
「あ。お前、ジーンズ汚れてたぞ。洗ってアイロン掛けておいたから」
「……うん、ありがとう。すごくしっかりしたセンタープレスだね」
……大事に育てていた、ヴィンテージもののデニムが。
やっぱり、少しずれてるけど。とりあえず俺は幸せだ。
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