投げっぱなしジャーマン

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時々、こいつと一緒に居ると、まるで投げっぱなしのジャーマンスープレックスを掛けられている様な気持ちになる。
ジャーマンスープレックス……あれだよ。レスリングの技で、背後から羽交い締めにされてそのまま後ろに脳天から叩きつけらるみたいなやつ。二人で一緒にブリッジするようなやつ。
そういえばあれ、なんでジャーマンスープレックスっていうんだろう。
調べてみたら、初めてこの技を使った奴がドイツ出身だかららしい。
もっと調べたら、本当の出身はベルギーらしい。そうしたら、ベルギースープレックスじゃねえか。
どうでもいいことを考えながら、更に横道に反れてしまった考え事を元の道に戻した。

例えば、会議で会った時とか、滅多にないけどたまたまプライベートが一緒になった時とか、これは本当に珍しいけど、何でかあいつがオレの家に立ち寄った時とか。
大抵あいつはオレに向かって「君はいつもひとりぼっちだな」とか、「どうせ友達は俺しかいないんだろ」とか馬鹿にして、オレを無理やりリングに上げる。
短気なオレはすぐに頭に湯が沸いて、気付けばいつの間にかゴングが鳴ってて、互いを罵る試合に突入してしまう。
第一ラウンドで皮肉を言い合って、第二ラウンドで怒鳴り合って、三ラウンド目あたりで、口じゃオレに勝てないあいつは手が出てくる。
手というか、身体というか。でっかい身体で圧し掛かってきたり、手で口を塞いできたりする。
ふっ掛けてきたのは向こうのくせに、不利になればいつもオレの身体を持ちあげて、そのまま遠くに放り投げる。
それで、そのまま走って逃げていく。
なんなんだよ。一体。
投げっぱなしのジャーマンスープレックスのように遠くにぶん投げられたオレは、しばしその場で呆然として、走り去るあいつの後ろ姿を見て、その後にはっとしたように腹を立てる。
突然やって来て突然去っていくのは変わりはないけど、嵐だとか、台風だとか、そういうのとはまた違う。
勢いこんで乗った特急列車に、突然連結を切り離される様な気分だ。

(一体何がしたいんだ……今日だって、突然ロンドンに来たと思ったら……)

「……アル?」
「やあ、アーサー」
「何の用だよ」
「相変わらずひとり寂しい休日を過ごしているのかと思ってね」

ビー、と鳴るチャイムに出てみたら、先日大喧嘩したまま別れたアルフレッドが扉の前にいた。
この前の喧嘩の理由だって、こいつが変な所に突っ掛かってきたのが原因だ。
花が好きだという友人に贈った薔薇の花に、どうでもいいいちゃもんをつけてきたから、オレも頭にきて「お前には絶対やらない」と睨みつけて、そのまま別れた。
――その事を謝りにきたかと思えば、これだ。
どうせまた、何かのついでにからかいにでも来たんだろう。
リビングでサッカー観戦をしていたオレは、不機嫌さも露に羽織っていたローブを外して少し目線の高いアルフレッドを見上げた。

「この間の謝罪なら、聞いてやってもいいけど」
「俺が謝罪することなんて何もないだろ。他の用事で近くに来たから寄っただけさ。ロンドンの灰色の空を象徴したかのような、君の顔でも見ていこうかなと思って」
「沈んだ灰色の顔で悪かったな。こんな顔が見たいためだけに寄ったなんて、お前も相当暇だな」
「暇なわけないじゃないか。ただ、こんな綺麗な星が出ている夜に、君がまずい料理を一人で食べていると思うと哀れになって」

アルフレッドの背後には、いつの間にかいくつかの星と、大きな月が瞬いていた。
時計を見ていなかったから、気付かなかった。あ、と思って自分の時計を見る。
「君がどうしてもっていうなら、俺が一緒に……」と言うアルフレッドの言葉を遮って、オレは「ばーか」と言って鼻で笑った。

「生憎、今夜のロンドンはこれから更にいい天気になるぞ。星がよく見えるから、天体観測でもしていけよ。可愛い子猫ちゃんが泊まりに来るんだ」
「……え?」
「オレがいつも寂しい夜を過ごしてると思ってんじゃねえぞ。バーカ」

そう、わざとにやっと笑って中指を立てて見せたら、次の瞬間、アルの青い瞳が満月みたいに丸くなった。
……で、そのあとに、すごく傷ついた、みたいな顔になった。

(……ん?)

あれっ、と思って立てた中指を折り曲げる。
アルはすぐに表情を変えてオレを睨んで、小さく唇を噛んでから、怒鳴った。

「……それはよかったね。せいぜい君の大事なビッグ・ベンが崩壊しない程度に楽しみなよ!」
「は……っ?」
「じゃあね!」
「え……おい」

な……なんつうことを。
引きとめる間もなく、アルフレッドは乱暴にドアを閉めて、そのまま走って庭から去っていってしまった。
一瞬あっけにとられたオレは、はっとしてドアノブを回して扉を開けて、アルフレッドの後ろ姿を探す。
いない。庭を走っていったと思ったのに、薔薇の花は一本も踏み潰されてはいなかった。

(……だから、なんなんだよ、本当に……)

こうやって、いつもあいつはオレをリングから放り投げて、呆然とさせたまま逃げていく。
喧嘩がしたいのかと思えばそうじゃない。仲良くなりたいのかと思えば、それも違う。
投げっぱなしジャーマン。
オレはいつもこういう時、どうしていいのか分からなくなる。

「子猫ちゃん……って言い方が、気持ち悪かったかな……友達から猫を預かるだけなんだけど」

あいつによく似た、アメリカ生まれのメインクーン。
はあ、と息を吐いてから、オレはローブを引っ掻けてしおしおとリビングに戻っていった。





(恋人がいるなんて、聞いてなかった)


彼が大切に育てている花を潰さない様に気をつけながら、それでも足音荒く、俺はなるべく早くにその場から走って大通りに出た。
石畳ででこぼこ歩きにくい、ロンドンの公道。
今日は仕事を必死に片付けて、何とか休みをもぎ取ってここまで来たのに。朝から来たかったけど、どうしてもこの時間しか取れなくて。
――あの人にそんな人が出来るなんて、考えた事もなかった。

『君、いつも一人だな』は、『よかったら、俺と一緒に過ごそうよ』。
『誰がそんなまずいものを食べるんだい』は、『手料理は俺以外には食べさせないで』。
『たまたま近くによったんだ』は、『君に会いたいから来たんだ』。

(どうして素直に言えないんだろう)

オレンジ色の街灯が落ちる道を、買ったばかりのスニーカーでがつがつ歩いた。
ひとりよがりのジャーマンスープレックス。
なんとかして技を決めたいのに、あの人はいつも最後に俺の一番聞きたくない事を言って、その度に俺は、ぐっとなって、悲しくなって、技を放棄してしまう。
まず、技をかけようと思うのがそもそもの間違いなのか。でも、言えるわけないじゃないか。

(君が好きだなんて。絶対に笑われるに決まってる)

俺が素直になれないのは、きっとあの人ゆずりだ。
小さなころに育ててくれた兄代わりのあの人に恋をしてるなんて、きっと信じてもらえない。

今夜、あの人は俺の知らない誰かと過ごすのか。
思ったらなんだか泣けてきて、結局ひとりぼっちでそのまま泣いた。


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