初めて入ったそのクラブは、入り口の扉をくぐった瞬間に「何かが違う」と思った。
(……男ばっかりだ。珍しい)
フロアに続く長い廊下に、何人かの男がグラスを持ってたむろしている。
打ちっ放しのコンクリートに響く、ドン、ドン、という低音は他のクラブと変わりは無いように見えるけど……。
……少し、他の所よりもガラが悪そうな雰囲気ではあるけど。
恐らく、女の子の姿が見えないからだ。華やかな感じがないというか。
壁に寄りかかるようにして話している彼らは、結構露出度の高い服を着ている。
しっかりと筋肉の乗った人も、逆に女性みたいに細い人も。
やけに近い距離で話していると思っていた男二人は、そのままお互いの首に腕を回してキスをした。
(……ワオ)
顔には出さないように心密かに驚いて、目が合った彼らに「ハイ」と笑って右手を挙げた。
二人は俺を見てにっこりと笑って、同じように手を降り返して、そうしてまたディープなキスへと戻っていく。
多少驚きながらも、ちらほらと男ばかりがいる長い廊下を、履きつぶしたスニーカーで歩いた。
(NYも法改正されて、同性婚も認められるようになったからな……)
まだマイノリティではあるけど、ゲイも確実に市民権は得ているんだろう。
特に、この州では。
思いながら、メインフロアに続く扉を開いた。
――で、その後に更に面食らって、開いた瞳が閉じられなくなった。
ほとんど全裸の男が、ステージで踊っている。
更にフロアにひしめき合っている客の半数、いや、九割が男だった。
「オーマイガー……」
なんて事だ。間違えた。
俺が入った場所は、同姓愛者専門のゲイクラブだった。
※
あちこちに飛び散るLEDライト、レーザービームの眩しい光。足元からびりびり響くウーハーの低音。
かかる曲は、何故かほとんどが女性ボーカルのアップテンポなハウスとポップス。
地下に続く階段があって、そこでは少し静かな曲が流れているようだった。
フロアに流れる爆音に耳が潰れそうになって、とりあえず地下に逃げ込もうかと思って、少し考えてから足を止める。
ゲイクラブの地下。静かな曲。
――駄目だ。俺みたいな初心者が行ってはいけない気がする。
(……異世界だ……)
はあ、とうなだれて息を吐く。
すぐに出ようかとも思ったけど他に行く所も見つからなくて、仕方なしに空いているソファに腰を掛けた。
「ハロー。踊らないの? 一人?」
「……え?」
「それとも、誰か待ってる?」
声を掛けてきたのは、露出度の高い服を着たボブカットの女の子だった。
女の子もいるんだ。
なんだかほっとして、「一人だよ」と言って席をつめてスペースを空けた。
「よかった。連れとはぐれちゃって……」
よかったら少し付き合って、と笑って、彼女は俺に氷の溶けたグラスを渡した。
「ありがとう」
「ここ、初めてでしょ。目が泳いでる」
「初めてだよ……ここ、何だい。ゲイ・クルージングスポット(ハッテンバ)?」
「違うわよ。今日は男の人の方が多いけど……男でも女でも中間でも、同性愛や性別に偏見が無い人なら誰でも歓迎してくれるわ」
「君も?」
「愛にボーダーはないもの」
俺と同じ青い目を細めて、彼女は微笑んだ。
バイセクシャルっていうやつか。
ふうん、と返事をしてから、貰ったグラスに口をつける。
目が慣れてきた頃にフロアを見れば、男に混じって、彼女の他に何人か女の子の姿もあった。
同性同士で踊っている人達もいれば、男女のペアになって抱き合っている人達もいる。
男女のカップルみたいに見える片方は綺麗に着飾った男だったり、その逆だったり。
現実離れした空間に、改めて異世界だと思いながら、彼女から手渡されたドリンクを飲んだ。
「あ……見つけた。あんな所に」
「君の相手?」
「うん」
女の子は、フロアに向かって手を振って立ちあがる。
彼女の目線の先には、長いブロンドをツインテールにまとめている細い子がいた。
その子も、彼女を見つけて小さく手を振る。
「行くわ。それ、よかったらあげる」
「ありがとう」
「いい相手が見つかることを祈ってる」
そう言って俺の頬にキスをすると、彼女は細いピンヒールでフロアに向かって駆けだした。
俺は小さく息を吐いて、彼女の露出した背中を見ながら眼鏡を外す。
ほとんど度の入っていない、縁なしの透明な眼鏡。
(いい相手……そんなつもりで来たんじゃないんだけど)
もともと、こういうクラブだって事も知らなかったし。
明るいポップスとは正反対である自分の心を自覚して、眼鏡を胸元に引っかけた。
今日、大学をドロップアウトしてきた。
何があった訳じゃない。友達もいたし、授業もそれなりに楽しかった。
……ただ、自分が何をしたいのかが分からなくなって。
なんとなく大学に進んで、これを学びたい、っていう明確なものもなくなんとなく勉強して、このままじゃ駄目だって漠然と思った。
これからどうするのが自分にとっていいのか。なりたいものは何なのか。
自分はどう生きていきたいのか。
どんな大人になりたいのか。
次々と進路を決めていく友人たちの中で一人、俺だけが目標というものが見えなかった。
今まで用意されたレールの上に乗っかってただ走っていただけなんじゃないかと気付いて、そのレールが何処に続いているのかと考えた時に、俺には何もなかった。
大人になったら自分でレールを作っていかなければならないんだ。
来年には二十歳になるのに。
そう思ったら何だかいてもたってもいられなくて、半年間考えて、それで決心したことだった。
自立したい。
親には「考えが甘い」と反対されたけど、俺は気持ちを曲げなかった。
考えが甘いのも、きっと後悔することもわかってる。でも、今のままじゃ何が「後悔」というものなのかもわからない。
まだ若いと言われてる今だからこそ、自分のことは自分で決めたい。
『家も出る。仕事も自分で探す。また何かを学びたいって思った時には、その時に自分のお金で大学に行く』
そう言って、半ば強引に、今まで一度も出たことのない家を飛び出した。
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