君はペット 2

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――……のは、いいんだけど。
(……何をしたらいいんだ? まずは、働き口を探さないと……)
あと、家も。
当面は今まで貯めていた貯金を崩して、日借りできるアパートメントに住もうと思っていた。
その間に仕事を探して、お金を貯めて……。
学校を辞める前に漠然と考えていたことは、いざ実行するとなると何から始めればいいのかわからなかった。
いかに自分が世間知らずで、家族に守られていたということを痛感した。
何をしても、何を選んでもいい。
誰からも咎められない自由は、全ての責任を自分自身で負わなければならないということだ。
誰も助けてくれないし、道を標してもくれない。
道標がほしいのならば、自分でそれを探さなければならない。
(不思議だな……辞める前は、辞めたら何処に住もうとか、何の仕事をしよう、とか、何でもできると思っていたのに)
どんな自分にでもなれると思っていたのに。
結局自分で生き方を決めると啖呵を切って出たくせに、どうしていいか分からない俺がいる。
案外決められたレールに乗っかって、多少の不自由さを感じながら生きている方が楽なのかもしれない。

学校を辞めたその足で町をふらついているうちに、何だか無性に虚しさと、これからどうしようという消失感を覚えて、そのままここに来てしまった。
自分で選んだ事の筈なのに。この浮かない気持ちはなんなんだろう。
はあ、と息をついて、氷の溶けたトニックに口を付けた。

何でこのクラブを選んだかって、IDチェックがなかったからだ。
俺の歳では、普通はこういう遊び場には入れてもらえない。
外に並んでいた人たちに混ざって話をする振りをしながら通ったら、そのまま入り口を通過できてしまった。
がんがんとうるさいハウスも、今は何も頭に入ってこない。
瞼の裏でぴかぴか光るストロボを見ながら天井を見上げた時に、隣に誰かが座る気配がした。

「ハロー?」
「……ハイ」

ストロボに光る、緑色の大きな瞳。
今度は男の人だ。金髪の、痩せた身体の白人の人。
(……綺麗な色の目だな)
濁りのない金髪にエメラルドの大きめの瞳。
顔はまだ幼く見えたけど、男のくせに妙な色気のある人だと思った。
仕立ての良さそうな白いTシャツに、同じ色のカラーデニム。足はずいぶん細い。モデルみたいだ。
まっすぐにこちらを見詰めてくる彼の瞳を見ながら、俺は持っていたグラスから口を離す。
緑の瞳の彼は、俺に向かってにこっと笑い掛けてから、「フリーか?」と尋ねてきた。

「……フリーって?」
「相手、いるのか? 今夜の」
「え?」

響く音にかき消されない様に俺の耳元で話す彼の言葉に、何のことだと驚いて顔を離す。
彼は少しきょとんとした顔をした後に、俺の手を握って自分の頬を触らせた。
「タイプなんだけど」と少し上目遣いの表情で俺を見る。
その顔が、さっきこの店に入った時に見たダンサーの顔と、被って見えた。
(……あれ? この人って)

「……君、さっき踊ってた? ステージで」

ほぼ全裸に近いような、ぎりぎりのホットパンツ一枚で。
フロアに響く音で聞こえ辛いのか、彼が「What?」と聞き返してくる。
唇を耳元に近づけて再度言ったら、彼は「ああ」というように顔を綻ばせた。

「見てくれてたのか?」
「嫌でも目に入るよ。あんな格好で踊ってたら」
「パフォーマンスが派手な方が受けるんだ。チップも」
「ここのダンサーなのかい」
「ダンサー……じゃ、ねえんだけどさ」

嬉しそうに笑って、彼は肩腕を俺の腕に絡める。
(……この人も、ゲイなのか。あんまりそういう風には見えないけど)
身体はその辺の女の子より細くて、掌で触らせられている頬は、肌理が細かくてすべすべしてる。
ゲイって、もっとマッチョなイメージがあったから。
思っているうちに細い手が首に回って、ぐいっと顔を近づけられた。
長めの金色の睫毛が至近距離に見える。息がかかる。
唇と唇が触れる直前に、俺は思わず彼の口に自分の手を押し当てていた。

「……っと、ごめん」
「……なんだよ? イヤか?」
「ご、ごめん。俺、ストレートなんだ」

言ったと同時に、彼の顔色がさっと変わって、太めの眉が顰められた。
エメラルドの瞳が俺を睨みつける様な目に代わり、チッ、と分かりやすい舌打ちが聞こえる。

「ノンケが、こんな所に来てんじゃねえよ」

そう言って、彼は俺を押しのけてソファを立って、フロアに向かって歩いて行ってしまった。

(び……びっくりした)
あんなに大胆に、突然誘いがくるものなのか。
男同士だから? それとも、夜の遊び場っていうのは、みんなこういうものなのか。
座っていたソファに沈んで、足音荒くフロアに戻って行く彼を見る。
すぐに彼には他の人からの誘いがかかって、彼はそれに笑顔で答えて、細い腕を絡ませていた。
――色んな意味で、俺には上級者向けすぎる……。
クラブなんて普段来ないから、比較対象がないけれど。
もうほとんど水になってしまっているお酒を一口飲んで、俺は目に痛い眩しいストロボの中で瞳を閉じた。





いつの間にかソファで座ったまま眠ってしまっていたらしく、気付けばフロアは落ち付いたR&Bに変わっていた。
それでも耳にうるさい大きな音量はそのままで、よくこの中で眠れたなと自分でも少し驚いた。
時計を見れば、そろそろ三時だ。
ここって、何時までやってるんだろう……明るくなるまでいても大丈夫かな。
朝になったら、とりあえずは何処かのドミトリーでも探そう。
小さく欠伸をしてから伸びをして、自分のお尻の形になってしまっているソファから立ち上がる。
先程までは人で溢れていたダンスフロアにも人はまばらで、今はバーカウンターでお酒を飲んでいる人の方が多かった。
暗い店の中を、レストルームは何処かと少し迷って扉を押す。
中に出来上がったカップルでもいたらどうしようかと思ったけど、落書きだらけのトイレには俺の他には誰もいなかった。
洗い場のコックを捻って、勢いよく水を出してから自分の顔を濡らす。
冷たい。
まどろんでいた意識はすぐに覚醒する。
着ていたTシャツの裾で水を拭って、鏡に写る自分の顔を見た。
(……疲れた顔だ。何してるんだろう。こんな所で)
夜の遊び方も知らないくせに。
今日何度目かの溜め息をまた吐いてしまいそうになる自分を叱咤して、鏡の中の顔をコツンと叩いた。

キィ、と扉が開いて、男の人が入ってきた。
個室は二つ。洗面台は一つ。
邪魔かな、と思って身体を退かして扉の方を見たら、入ってきた人と目が合った。

「あ」
「……あ」

――さっきの人だ。
ノンケは来るな、と俺を睨んでいった、瞳が緑色の人。
気まずい、と思ったけど、すぐに目を反らして出て行くのも何だかな、と思って、俺は「ハイ」と彼に右手をあげた。
彼は俺の瞳から目を反らさずに、少しだけ口を尖らせて「よう」と言った。
俺と同じ様に、顔を洗いに来たらしい。
ばしゃばしゃと勢いよく水を出して顔を濡らす彼がまだここに居るということは、「今夜の相手」はまだ見つかっていないんだろうか。
何となく出ずらくなってしまって、鏡で髪の毛を直している振りをしていたら、彼は顔をあげて、濡れた髪の毛を自分のシャツの袖で擦った。

「……お前、なんでここにいるんだ」
「……なんでって」
「分かってんだろ? この店にはゲイとバイしかいねえよ。女引っかけようったって無駄だぞ」
「そんな事、思ってないよ。偏見だってないし……こういう店だってことは、知らなかったけど」
「へえ」

手の甲で、唇を拭う。濡れた唇は、俺を見てから片端が上がる。
ずいっと細い身体が近づけられた。
顔が近い。さっきと同じだ。
近づいた分だけ俺も後ろに退いて、眉を寄せる。
彼は怯まずに、俺の瞳を覗きこんだままで少し笑った。

「偏見、ねえんだ?」
「……ないよ」
「ガールフレンドは?」
「今はいない」
「じゃ、いいだろ」
「え……」

腕を引かれて、顔を洗った時に濡れた前髪を掻きあげられる。
そのまま両頬を掴まれて、抵抗する間もなく柔らかい唇を押し付けられた。
至近距離に、揺れる金色の睫毛が見える。
どん、と背中を壁に押し付けられて、目を開けたまま、ぬるりと入って来る熱い舌の感触を確かめた。
初めてした同性とのキスは、思っていたよりも甘くて、不思議と何の違和感も沸かなかった。




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