アーサーは、とことん自由で気ままな人だった。
彼の回りには、この人も含めて俺が今まで会ったことのない人種の人達ばかり。
職業は医者や弁護士から始まって、ストリップガールやカラーギャング、貧乏学生、ニート、フリーター、果てはホームレスやストリートチルドレンまで。
既婚者もいれば、ゲイやレズビアン等の同性愛者も多かった。
ニューハーフや、トランスジェンダー、トランスセクシュアル(現在における性同一性障害と称される言葉)の人達も、彼のまわりには沢山いた。
昼間はスーツにネクタイを閉めて決裁書類に判を押すSM愛好家、身体中がピアスだらけの国会議員、不感症の風俗嬢、大きな声で言ったら即NY警察が駆けつけてきそうな、特殊な趣味嗜好を持つ人……一言でいえば、性的弱者と呼ばれるマイノリティな人間が、あのクラブには集まっていた。
「そんな店だなんて、知らなかった……」
「普通の奴もいるけどな。お前、その服変だぞ。こっち着ろよ」
「いいだろ。それ、寒いんだぞ」
「いやだ。こっちの方が似合う」
「もー……わかったよ」
俺がこの家に来た翌日、彼は俺を一日中連れまわして大量に服と靴を買ってくれた。
クローゼット一つ分くらいはあるんじゃないだろうか……完全に彼の着せ替え人形と化した俺は、そのお金遣いの荒さに呆然としながらも、嬉しそうに散財する彼と一緒に街を歩いた。
彼が何の仕事をしてるのかは聞かなかったけど、昼はずっと眠っているか、暗い部屋で映画を見ながらお酒を飲んでいる。
仕事は夜で、帰って来るのは明け方。
俺は眠っている時もあれば、ネットゲーム等をして寝るタイミングを失って起きている時もある。寝ていても起こされる。
俺の仕事は、疲れて帰ってきた彼に、「おかえり」と言ってベッドの中で抱きしめることだ。
気付けばこんな生活を既に一週間もしていて、今夜は彼の行きつけのクラブ……というか、俺達が会った所だけど、そこに連れて行かれるらしい。
「友達に紹介する」と言われて再度訪れたその場所では、相変わらず爆音の音楽と一緒に沢山の人達が踊っていた。
のんびりと身体を揺らしている人もいれば、パートナーといちゃつきながら踊ってる人も。
よくここに一人できたな、と自分で思いながら、背の高いバーカウンターに腰掛ける。
「アーサー、何処だい。すごい人で……」
「あっ。この曲だけオレも踊ってくる。お前、そこにいてくれ」
「ちょっ……」
アーサーはそう言うと、と早々に俺を置いて真ん中のメインフロアに駆けて行ってしまった。
(……友達を紹介してくれるんじゃなかったのか)
本当、フリーダムな人だ……。
呆れるよりも、逆に尊敬してしまう。
あのマイペースさとパワフルさは、一体どこからくるのか。
俺もあと四年もすれば、ああいう風に、何もかも自由に振る舞える様になれるんだろうか。
もう見えなくなってしまった彼の姿を追う事は諦めて、俺は眼鏡を外してカウンターのメニューに目を落とした。
「アーサーのボーイフレンド?」
「え?」
カウンターの中にいる身体の大きなバーテンダーが、「彼と一緒に来たでしょ」と声を掛けてきた。
ニューハーフだろうか。短く刈り込んだ頭に、真っ赤な口紅。
『ボーイフレンド』という言葉に少しだけ自分に自問してから、俺は「うん」と言って頷いた。
まさか、彼に飼われている身だとも言えない。だって、そんなのヒモみたいじゃないか。
(実際そうだけど)
「アルフレッドだ」と言って手を出したら、奥に立ついかつい身体のオカマの人は、にこっと笑って俺の手を握り返してくれた。
「ここのマスターよ。よろしく」
「よろしく……」
大きなごつごつした手は、見た目に反してつるつるのすべすべだった。
俺よりも低い声で話されるお姉さん言葉は、少し慣れない。けれど、不思議と嫌な感じもしない。
どうぞ、と出されたカクテルはノンアルコールのもので、「まだ十代でしょ」と言われて言葉に詰まった。
「この間も来てたでしょ。お酒飲んでないみたいだったから様子見てたけど……でも、アーサーの連れなら仕方ないわ」
「ありがとう……彼は、どんな人なんだい。付き合いは長いの?」
「アーサーと? そうね。第一印象から変わらない子よ」
「ふうん……」
「貴方には優しいでしょ? 好きな相手にはとことん尽くす子なの。好き嫌いが激しいから、敵だと決めた相手には容赦ないけど……」
……と、マスターがカウンターの椅子に腰かけた時に、お店の奥のフロアから、ガターン! と大きな音がした。
音に吃驚して、持っていたグラスをカウンターに置く。
椅子を鳴らして後ろを振り返ったら、音のした方から今度はわあっという声があがって、あっという間に人だかりができる。
「あら……」と目を細めたのはカウンターの奥にいるマスター。
俺は、彼の顔と後ろを交互に見てから尋ねた。
「何の騒ぎだい」
「噂をすればってやつよ」
「……?」
ちょっと見て来る、と椅子から立ったと同時に、人だかりの中心から怒鳴り声が聞こえた。
「表出ろ、この野郎!」
……アーサーの声だった。
「もういっぺん言ってみろ。殺してやる」
「何度だって言ってやるわよ、頭の弱いちびでがりがりのブリティッシュ。なに、あの若い男。パトロンでも気取ってんの? どうせそんな身体じゃ、すぐに捨てられるでしょうけど」
「お前みたいに股のゆるいクソビッチに言われたくねえよ。おおかたその自慢のメロンみたいなバストも、何の役にも立ってねんだろ。育ちの悪さと下品さが滲み出てんだろうな。ひがんでんじゃねえよ。ブス」
「何ですって?」
「図星だろ? お前、いっつも身の丈に合ってない男のケツばっか追っかけてよ。あれ、バレてないとでも思ってんのかよ。惨めじゃねえの? 分相応って言葉知らねえの? 知らねえか。その馬鹿にでかい頭の割にはちっとも詰まってなさそうなオツムじゃな」
とんとんと自分のこめかみを人差し指で叩きながら言うアーサーは、完全に挑発モードだ。
相手の女の子の顔が、怒りでみるみる真っ赤になっていくのが、ここからでもよく分かる。
(ちょ……ちょっと、ちょっと。何やってるんだ、あの人)
アーサーは更に挑発的に唇の端を持ちあげて、彼女の事を真っ直ぐに睨んだまま中指を立てて、静かに言った。
「誰にも相手にされない惨めなブタは、そのご自慢の長い爪でオナニーぶっこいてそのまま寝てろ」
次の瞬間、下にいた彼女の強烈なアッパーがアーサーの顎を掠めた。
アーサーは「バーカ」と身を翻して立ち上がり、ブロンドの女の子はチッ、と舌打ちしてから客席の椅子を持ちあげて、アーサー目がけてぶん投げる。
ステンレスの椅子は背の高いテーブルに当たってグラスやボトルが割れ、破片が飛び散り、ギャラリーはピィッと口笛を鳴らして囃したてた。
みんな面白がって、誰も止める気配がない。
俺は慌てて立ちあがって、目の前のマスターとアーサーと、怒りに顔を真っ赤にしている女の子を交互に見た。
「うわ……ちょっと、何してるんだよ。止めてくれよ。相手、女の子じゃないか」
「大丈夫よ。あの子、男だから」
「……え?」
「アタシとおんなじ」
オカマのマスターはそう言って、自分の喉元を人差し指でトントンと叩いた。
現代医学をもってしても、決して性転換の手術が出来ない場所。
それは、男特有の喉仏だという。
見た目はどう見てもグラマーな女性にしか見えないアーサーの喧嘩相手には、なるほど大きな喉仏がしっかりとあった。
良く見れば、相手の方がアーサーよりも身体も大きいし、がっしりしてる。
「いや……でも、心は女の子なんだろ」
「アーサーは、そういう区別つけないのよ。本当の女の子には優しいけど、手を出されたら出し返す。紳士が聞いて呆れるわ」
「何処が紳士なんだ……」
あのままじゃ、二人とも怪我する。
一応、あの人は俺の飼い主なんだ。止めないと。
カウンターの椅子から飛び降りると、俺は笑いながら騒ぐギャラリーを「どいて」と言って掻き分けて、とっくみあっている二人の間に両手を広げて飛び出した。
「アーサー、ストップ!」
「アル、どけ!」
「何よ、この坊や。アンタの?」
「アルに触んじゃねえよ! 殺すぞ!」
「アーサー、ちょっと、落ちついて……」
思わぬ俺という飛び入りに、回りはますます面白がって手を叩く。
女性の格好をした男の人は、面白そうに笑ってからすばやく俺の首に両手を掛けて、軽く唇を舐めてから俺の唇にキスをした。
軽く触れるだけのものだったけど、すぐ近くで何かがぶちんっと切れる音が聞こえた。
人がキレる瞬間って、本人だけじゃなくて、周りにもその音が響くのか。
次の瞬間にはアーサーが俺を乗り越えて、彼よりも身長の高いオカマの人に、強烈なドロップキックをかましていた。
※
「殺してやる、あの野郎」
うっ、ぐすっ、と泣きながら、彼は物騒な事を言って何度も俺の唇をごしごし拭った。
「落ち着いてってば……あと、泣かないでくれよ」
「もうお前、家に繋いでおこうかな……」
「よしてくれ……」
結局喧嘩は回りのギャラリーにまで飛び火してしまい、最後はマスターが出て来て、全員店を追いだされた。
アーサーの泣きっ面が見れたということで、彼らは大いに笑って満足そうにまだ人通りの多い夜の街に散って行き、アーサーは俺の腕を掴んで泣いている。
俺は「二軒目行って飲む」と、ぐすぐす鼻を鳴らすアーサーを引っ張って、家に帰る為の道を歩き出した。
「まだ帰りたくない」
「飲むなら、家で飲もうよ。その方が君だって安心だろ」
二人の方が。
そう言ったら、アーサーはぴたっと泣きやんで、「そうだな」と言って鼻を啜った。
彼の感情は、爆発的に一気に沸点まで上がって、一気に爆ぜる。愛情も同じく。
会ったばかりの俺に、……自分で言うのもなんだけど、こんなにべったりになってしまっていいんだろうか。
今まで俺がした恋愛っていうものは、もっと時間を掛けてお互いのことを知ってから、初めて「好き」という感情になった。
こんな状態になっているけど、正直俺は彼の事が好きというよりも、成り行きにまかせてしまっている感じだ。
どうせ恋人もいないし。
この人が俺のことを好きだと言ってくれるなら、拒む理由もない。もう一線も越えているし。
「……あ。ゴム買って帰る」
「ああ……うん」
白い息を吐いて、彼は俺の手を引いて大通りに出た。
感情がまだ伴っていない、セックスから始まる恋愛というものは、少し不思議な感じがする。
肌を重ねると、途端に相手を近く感じたり、深い情が沸いてしまうものなんだな。
(……お互い、一番かっこ悪い顔見せてるから、それもそうか)
裸を見せ合って、無防備に気持ちのいい所を探り合って。
自分のあんな姿も、声も、最中の言葉も、他の人になんて見られたら憤死する。
冷たいブロックを二人同じ歩幅で歩きながら、つないだ彼の片手を自分のポケットに入れた。
アーサーが俺を見上げて「カップルみたいだ」と少し笑った。
「違うのかい」
そう言って、俺も笑った。
この人と一緒にいると楽しい。
滅茶苦茶な人だけど、退屈することがあまりない。
泣いたと思ったら笑ったり、幸せそうに微笑んだり、かと思えば突然怒り出したり。
こんな人と本気で一緒になったら、大変だけど面白そうだ。
(――……ただ、このままじゃ俺は駄目になる)
何のために学校を辞めて家を出たんだか、わからなくなる。
明日からは本格的に仕事を探して、そうしてこの「飼い主とペットごっこ」みたいなものからも抜けださないと。
執着が強い位の彼の愛情は、今の俺には気持ち良すぎて。きっと泥沼になってしまう。
燃え上がる火の勢いが強い程、きっと燃え尽きるのも早いし、火傷した時もきっと痛い。
『オレが飼ってやる』と言って、幸せそうに俺の頭を撫でてくれたアーサー。
「俺の、どこがそんなに気にいったんだい」と尋ねたら、彼は「顔と身体と声と雰囲気」と言って俺の指に指を絡めた。
「今のところは、全部好きだ」
今のところ。
その言葉が、少しだけ心にちくんと刺さった。
……ほら、俺がこの人に本気になってしまう前に、抜けださないと。
彼の可愛いペットでいられるうちに。
「……俺も、君の顔好きだぞ」
そう、自分らしくもないことを言って彼の頭に自分の額を押しつけたら、アーサーは嬉しそうに微笑んだ。
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