天使の作った料理は、流石に人種が違う所為なのか、俺の予想を遙か彼方に超えていた。
「はい、どうぞ!」
「…………なんだい、これ」
「シチュー」
「…何で魚が丸ごと入ってるんだい」
「シーフードシチュー?ほら、サンマはDNAも豊富だっていうし」
「DHAだろ」
DNAじゃ遺伝子だろ、それよりも、ちょっと、本気でなにこれ?
クリーミーなホワイトソースの中に、どろっと目の落ちた東アジア産の青魚、何故か一緒に肉のミンチが入ってる。
……違う、ミンチじゃなくて、ハンバーガーだ。この間安いから大量に買って冷凍しておいた、マックの看板商品だ。パンとピクルスごと煮込まれてる。
他にも皮を剥いてないままの野菜、果物、キュウリとかレタスとかの、淡色野菜。
俺だって味覚や料理の腕は自慢出来るものじゃないけど、どうしてこれを一緒の鍋に入れようなんて思えるんだ。
ソースは市販のキャンベルスープ……ああ、せめて、これを温めるだけでよかったのに。
ぐつぐつと沸騰して泡立つ鍋をそのままどぉん!と低いテーブルに乗せられて、「食えよ」なんて笑われて。
食べれるかい、と鍋ごと引っくり返したい衝動を必死に抑えて、折角作ってくれたし、そこは意地で、鼻を摘んで、飲み込んだ。
ああ、明日バイト休みにしておいて、良かった。
薄れゆく意識の中で思ったのは結局自分の事ではなく、俺がシフト抜けたら大変だろうなという、アルバイト。
手と口と胃腸を叱咤して彼の作った得体の知れないシロモノを全部口に入れた後、俺は、そのまま後ろに引っくり返った。
「大丈夫か?」
「……あんまり。普段君達って、一体どんな物を食べてるんだい」
「オレ達、基本食わねーんだ。別に、普通に食べれるから好きな奴は食べるけど。趣味みたいな感じで」
「趣味で食事をするの?食費がかからなくていいね」
「食わないと痩せるから、ホントは食った方がいいんだろうけど」
ふわふわと、抜けた羽根の舞う部屋で、俺はころりと寝っ転がって、彼と話す。
うぷ、と気を抜けばリバースしてくる胃の内容物を、口もとで気合いで押し込めて、顔を撫でる羽根を一本手に取る。
大きくて真っ白な、鳥みたいな羽。
柔らかそうだと思ってたそれは触れば意外にしっかりしてて、結構、それなりに重量感もありそうだ。
羽、それ、どうなってんの?
まさか、本当に天使の羽だとは言うまい。作りものであればどんな風に背中についているのか気になって、尋ねてみる。
そうしたら、彼は「ん?」とこちらを向いて、べろっと服を肌蹴させて、白い背中を見せてくれた。
「まだ、小さいんだ。お前の願いを叶えて一人前になったら、もう少し羽もでっかくなる。そしたら、空だって飛べるんだ」
「コレで?十分大きな羽だと思うけど」
「まだこれじゃ空を飛べないから」
「へー」
ばさ、ばさ、ふわり。
大きな羽を撫でながら話す彼に、俺は何の気なしに相槌を打ちながら、縁無しの眼鏡を嵌め直して、目を顰めて、彼の白い背中をしげしげと見る。
………………どうなってるんだ?コレ。
生えてる。
飾りだと思っていた羽はしっかりと肩甲骨の下から埋まってて、どういう作りになってるのか、彼が動くと一緒に動く。
ぱたぱた、なんてもんじゃなく、結構しっかり、ばさばさと。
振動に合わせて、羽は抜ける。
こんなに抜けちゃったら、禿げちゃうんじゃないのかい。
作り物だって思ってる癖にそんな考えが出てきて、少し心配になりながらも聞いてみたら、彼は「うん」と小さく下を向いた。
「オレ、まだ誰の願いも叶えてやれてないんだ。だから、お前の願いをちゃんと叶えてやれないと、全部抜けちまう」
「羽が無くなるの?」
「うん」
「それは大きな問題だね。羽の無い天使なんて」
「だろ?」
だから、早く、願いを言ってくれ。出来ればオレの叶えやすい願いがいいな。
自称天使の男に合わせてやれば、男は嬉しそうに俺の腕を掴んで、早く早くと羽を振る。
子供みたいだなぁ。実際年齢は俺よりも少しだけ上そうだけど。
エメラルドみたいな瞳は、騙したり、嘘をついてるような感じはしない。
とすれば、ホントに思い込んでるんだろう、自分は天使だと。
面白い人もいるもんだ。クリスマスだし、こういう人に付き合ってあげるのも、まぁ、いいかも。
暖房器具の無い狭い部屋、はぁ、と吐く息は真っ白。
そういえば、アーサーの吐く息は白くない。体が冷たいんだろうか。
そう思って白い体を触っても、特に冷たくも無く、暖かい。
羽の生えてる部分がどうなってるのか気になって、ちょっと触らせて、と生え際を小さく撫でてみたら、彼はくすぐったそうに肩を縮ませた。
今は、こういった手術も出来るのかな。
羽の部分にもするりと手を伸ばしたら、天使のカッコした男は「やめろよ、ばか!」と少しだけ頬を赤らめて、俺の手を払って怒鳴った。
「感覚あるの?」
「当たり前だろ!もう、くすぐったいんだからあんまり触んなよ」
「……ああ、うん」
ごめんね、と言って手を離す。
……最近のテクノロジーは、ほんとすごい。感覚があると言う事は、神経が通ってると言うことか。すごいなぁ。
アーサーは、少しだけ赤い頬のまま、ちらりと俺の後ろに置いてある時計を見ながら、俺の瞳に向かって問いかける。
願いはないのか?
……うーん。大して叶えてもらうような、御大層な願いは、確かに、無いかも。
「無いと困るんだよ、何でもいいんだ。このままじゃ、オレ、皆の所に戻れねーよ」
「皆?」
「天使の仲間だ。今日はイブだから、今頃あちこち飛び回ってるだろうから。オレも早く飛べるようになって、混ざらないと」
「同じような趣味の人が居るんだ」
「仕事だよ。オレらは、イブの日に寂しそうにしてる奴らの願いを叶えるのが仕事だから」
「……俺、寂しそうにしてたかな」
「前見た時に、そう思った」
寂しくなかったか?
そう、細い首を傾げる男に、しばし瞳を合わせて、考える。
……寂しいつもりは、なかったけど。
いつもいつも忙しくて、あちこち飛び回って、休む間もなく、寝る暇も作らず。
学校に行けば皆が俺の名前を呼ぶし、バイト先でも、頼りにされるように頑張って。
寂しいなんて、特に思った事は無い。
だっていつも俺の周りは騒がしい。俺も、その分、騒がしいけど。
唯一騒がしく無いのはこの家の中だけで、家に帰ってきた時だけは、しん、と静まり返る部屋が寂しいと思った事はある。
ガールフレンドだって居るし。居ると言っても、この間、恋人になって欲しいという告白に、頷いただけではある状態だけど。
誰かの為に走り回る事は多々あれど、自分の為にあくせくどたばたする事は殆ど無い。
だって、皆が俺を頼るから。
頼ってくれるなら、期待には応えたい。
そうやって今まで走ってきたから、「寂しそうに見える」なんて言われて、心外だった。吃驚した。
「今日だって、クリスマスなのに、一人で家に帰ってきたじゃねーか」
「元々はバイトだったんだよ。でも、君が居たから」
「クリスマスの日にバイトなんて」
「だって、誰かが出なくちゃ駄目だろ。結局代わって貰っちゃったけど」
寒い寒い、白い羽根の舞う部屋の中で、白い息を吐きながら俺は話す。
目の前には、ビー玉みたいな瞳をした、天使のカッコした変な男。
頭の上についてるわっかは、どうなってるんだろう。どうでもいい事を考えながら、再度「寒くないの?」と、肌蹴てる肩に毛布をかけてやったら、
アーサーと言う名の自称天使は、俺の両頬を掴んで、大きな瞳を合わせてきた。
「何?」
「お前、優しいな」
「え?そうかな」
「うん」
天使のカッコの男は笑う。
お前みたいな奴は、やっぱり、幸せにならないと駄目だ。
オレ、頑張るから。何がいい?どんな願いがいい?
瞳を合わせたまま、真剣な顔して言う男。
天使だと言う彼の声は、普通に俺たちと同じ声。
吐く息は、限りなく暖かい。頬を包んでる手も、背中にそっと乗っかる、白くてふわふわした、大きな羽も。
暖かいな。心に、ぽわりと火が灯る。
「じゃぁさ」
「うん」
簡単なお願いだけど、大丈夫かな。もしかしたら、逆に無理かもしれないけど。
古い毛布に包まってる、暖かい男の手を持って、軽く握る。
白くて骨ばった指は、少し天使のイメージとは違ってる。それでも、本当にあったかい。
「天使の友達の所になんて帰らずに、ここに居てよ。この部屋はひどく寒いから、君が居てくれると暖かい」
「え?」
「駄目かな」
「ここって、ここか?」
「うん」
「えーと……」
一瞬瞳が丸くなって、その後考え込むように、男は小さく唸って、下を向く。
下を向いたら、金色に光るわっかも一緒に下を向いて、あ、と思ってそれに触ろうとしてみたら、スルっと手が通って、驚いた。
ばさり、ばさり、と揺れる羽。大きいなぁ。小さなこの部屋の中では少し窮屈そうだ。
彼は、うーんと唸って、一回俺と目を合わせる。
その後もう一度俯いて、また唸って、その後俺の顔を見て、ぱちりと緑色の瞳を瞬かせた。
「いつまでだ?」
「え?」
「ここに居て欲しいの」
「えーと、そうだな、そろそろ冬休みになるし、もし君がよければ、いつまでも」
「いつまでも?」
「良ければ、だけど。部屋も、もうひとつあるし」
我ながら随分思い切った事を言っている。
普通ならこんな事、初対面の人に言ったりしない。
勿論女の子にも言わないし、長く付き合った男友達にだって。
ただ、出来れば、もう少し、彼と話がしたいと思った。
人の集まる所が好きな自分は、寂しいと感じた事なんて、今まで無かった。
それでも、いつも気になっていた、胸の間にぽかりと小さな、小さな隙間。
寂しそうに見えると言われて、どきりとした。
どうしてそう見えたのか、聞いてみたい。彼と居ると、開いた穴が埋まったようで心地いい。
困るかな、でも、
でも、俺の願いを叶えてくれたら、君は仲間の所に戻るんだろ?
だったら、俺と居てよ。
君の所為で、バイトだって休んだし、このままじゃひとりぼっちのイブになってしまう。
もし、難しければイブを一緒に過ごしてくれるだけでもいいぞ。
言って笑った後に小さくくしゃみをしたら、アーサーは慌てて自分の肩に掛っている毛布を俺に被せてきた。
「いいよ。君が使いなよ」
「天使は寒くねーんだよ」
「見てる方が寒いんだよ。じゃぁ、一緒に入る?はい、どうぞ」
「………………」
毛布を片方開けて、痩せた肩にかけて、座ったまんま二人で包まる。
暖房器具、欲しいなぁ。せめて、ハロゲンヒーターくらいは買おうかな。
何だか発熱してるみたいな、この人の傍に居れば暖かいけど。
天使と名乗る男の身体は、くっつけばとても暖かい。子供の体温みたいだ。
君が居れば、暖房器具はいらなさそう。
冗談みたいに笑って眼鏡を外したら、アーサーは「わかった!」と叫んで、そのまま立ちあがって、バルコニーに続く大きな窓をがらっと開けた。
途端に部屋に入ってくる風、あと、雪。
急激に下がる部屋の温度に、思わず全身に鳥肌を立てて、使い古した毛布を握りしめた。
「アーサー?寒いよ!」
「決めた。お前の願い、叶えてやる」
びゅうびゅう吹く風の中で、アーサーは大きな羽を揺らしながら、俺のパーカーを羽織って、こちらを振り向いて、嬉しそうに笑う。
雪はばんばん降ってるけど月は出ていて、光に当たった彼の顔が、何だかとても綺麗に見えた。
彼は、くるりと俺に背を向けてバルコニーに出ると、大きな声で何かを叫ぶ。
何だろう。
がちがち奥歯を鳴らしながらベッドから降りて、彼の後ろから、目線の先を一緒に見る。
白く発光してる、大きな星のようなものが、夜空にぽかりと浮いていた。
フランシス!
アーサーはもう一度大きな声で叫んで、細い手をぶんぶんと、空に向かって大きく振る。
ぎょっとした。
人の名前?
真っ暗な夜空、真っ白な雪の降る中で、月明かりに浮いてる光るものは、星ではない。人だ。
人が浮いてる、いや、飛んでる?
何か動いていると思ったら、それは大きな羽だった。
ばっさばっさと揺れるそれは、今目の前にいるアーサーの羽より、何倍も何倍も大きくて。
肉眼でそれが羽の生えた男だと言う事が確認できた時に、アーサーは頬を紅潮させて、もう一度「フランシス」と、大きく人の名前を呼んだ。
羽の生えたもう一人の男は、きらきら光るブロンドをかきあげて、右手を上げる。
着てる服は白いシャツに白いベスト。全身が発光してて、顔はよく見えない。
彼は、アーサーに向かって笑いかけると、そのまま「アロー」と手を振った。
「はぁい、坊ちゃん。どう、その人間のお仕事終わり?……じゃ、なさそうね、まだ羽が小さいもんね」
「フランシス」
「なぁに」
「フランシス、悪い。オレ、ここに残る」
「はぁ?」
「ローデリヒ呼んでくれ、話すから」
「ちょっと、ええ?残るって、このクソ忙しい時に〜?」
「だって、この人間がオレに傍に居て欲しいって」
「勘弁してよ、仕事溜まってんのよー」
「だって……」
「んもー、あ、貴族様。お前からも何とか言ってやってよ」
白く光る、ブロンドの男。
バルコニーの手すりに掴まって空に向かって話すアーサー、何事だと呆気に取られていたら、後ろからもう一人、羽のついた男が飛んできた。
夜空に浮くブロンドの男よりも、もう一回り大きな羽を持つ、漆黒の髪の眼鏡の男。
彼は真っ白な燕尾服のような服を着て、神経質そうに、鼻の上に乗ってる眼鏡をちきりと直してこちらを見る。
目が合う。アメジストみたいな、パープルの瞳。
アーサーもだけど、この人たちの瞳は皆何だか宝石みたいだ。
その後更に後ろから、今度は二人の男が飛んできた。
不機嫌そうな男に、隣で呑気そうに「ふそそそそ」と笑う、褐色の肌の男。
説明するまでも無く、この二人の男も、白い羽に白い服を着て、ばさばさと夜空に浮いている。
一体、何なんだ。
知らないうちに、あまりの寒さに俺は眠ってしまったんだろうか。
何が起こってるのかわからない状態に、必死でどんなトリックなんだと考えてたら、空に浮いてる眼鏡の男は、
ゆっくりと、通る綺麗な声で「アーサー」、とバルコニーに居る天使のカッコの男を呼んだ。
「残ると言う事は、どう言う事か分かっていますか」
「うん」
「本当に良いのですか?羽が無くなりますよ」
「いいんだ。だって、こいつ寂しそうだし、他に願いが無いっていうから」
「そうですか。後悔はありませんね」
「ない、大丈夫だ」
夜空を隔ててて話す、大きな翼を持つ者たち。
アーサーの顔はちょっとだけ紅潮してて、やっぱり寒いんだろうかと少し思う。
嬉しそうに、眼鏡の男に話す彼に、同じように空の上でばさばさ羽を揺らしていた褐色の男が「ええー」と呑気な声を上げた。
「アーサー、そっち残るん?お前、人間キライやったやんか」
「うん。こいつならいい。お前も早くロヴィーノを一人前に出来るように頑張れよ」
「そーやね。今年こそお仕事できるよーに頑張ろな、ロヴィ」
「うっせーなバカアントーニョ!アーサーみてーな半人前と一緒にすんな」
きーきーと羽を揺らして怒鳴る男に、アーサーはやっぱり楽しそうに、自分の羽を撫でて笑う。
傍で観ていたブロンドの男は、はぁー、と大きな溜息をついて「役立たず」と、眼鏡の男に悪態づいた。
「勘弁してよ、も〜…。今日中に終わるかしら」
「アーサーの分は私と手分けして廻りましょう。
 ああ、そこの、お馬鹿そうな人間さん」
眼鏡の男が、突然くるりとこちらを向いて手を上げる。
突然振られた言葉に、一瞬誰を呼んでいるのかが分からなくて、俺はぱちりと目を合わす。
「貴方ですよ、このお馬鹿さん」
「俺は馬鹿じゃないぞ!」
「アーサーを、宜しく頼みますよ」
「ん?」
「料理の腕が壊滅的なのが少し難点なのですが……」
「知ってるぞ」
「意地っ張りですが、根は素直ないい子です。どうぞ、末永く宜しくお願いしますね」
「え?ああ、はい」
にこりと笑う大きな羽を持つ男に、おかしな会話だと思いながらも、こちらも合わせて、にこりと笑う。
アーサーは、「アルフレッド」と俺の名前を呼んで、あったかい手を俺の腕に巻きつける。
きゅっと握られる掌、ホッカイロみたい。ばさばさ、身体の近くで揺れる白い羽が、頬にあたってくすぐったいと思った。
「それでは、私たちは行きます。アーサー、良いですか、明日の朝までには終わらせるのですよ」
「うん、今までありがとう」
「じゃぁね、坊ちゃん」
「元気でな〜」
「うん、また来年!オレの所にも来てくれよ」
「俺らが行かなくちゃなんねーよーな、寂しいイブを送ってたらな」
ばさりと大きな羽を羽ばたかせて踵を返す、4人の天使……のような、男たち。
きらきら光る大きな星みたいな光はだんだんと小さくなって、3手に別れて、見えなくなる。
アーサーは俺の手をきゅっと握ったまんま、星に紛れて見えなくなった夜の空を、いつまでも、ずっと、眺めてた。
「……君、ホントに天使だったのかい」
カラカラとバルコニーの扉を開けて、あんまり外の気温と変わらない寒い部屋に戻って、ベッドの上に座って毛布を被る。
相変わらず俺の吐く息は真っ白で、彼の吐く息は暖かい、それでも何故か白くならない。
同じように毛布にごそごそ入ってくるアーサーにそう言ったら、彼は「何言ってんだ」とでも言うように瞳を丸くして、憤慨した。
「最初からそう言ってんだろ!信じてなかったのかよ」
「うん、ちょっと変わった趣味の人なのかと……」
「……お前、失礼な奴だな。まぁ、もう人間になるから、別にいいけど」
「人間になるって」
「オレ達、25日が終わったら、戻らなきゃなんねーんだ。だから、ずっとここに居るなら人間にならないと」
「うそ!?」
「嘘ついてどーすんだよ」
毛布に入りきらない大きな羽を撫でながら言う彼に、思わず大きな声が出てしまった。
非現実的な事は一切信じないリアリストの俺でも、他に4人も仲間の天使を見てしまっては、信じる他無いだろう。
人間という種族の他に、羽を持つ天使という種族が居るだけだ、自分の知らない動物の存在を知っただけだ。
頭がついていけるようになったと思ったら、今度は、その天使から彼は人間になるという。
種族が変わるって、大変な事なんじゃないのか。
どうやって、という事よりも、今更ながらに自分の頼んだ願いの重大さに戸惑った。
「そんな大事な事していいのかい、嘘だろ、だって」
「お前が、傍に居て欲しいって言ったんじゃねーか」
「そうだけど、でも……」
「……やっぱり、要らないってんなら、帰る」
「い、いや!要るよ、必要だよ!ごめん、ちょっと心の準備がついていけなくて」
「オレが傍にいたら、嬉しいか?」
「もちろん」
暖かい毛布の中で、ぽかぽかの掌をきゅっと握る。
緑色の瞳に笑いかけたら、アーサーは嬉しそうに、「よかった」と花が咲くみたいに笑った。
忙しい年末、バタバタと家に帰ったら天使が居て、傍に居て欲しいと願ったら、天使は人間になる覚悟を決めて笑ってくれた。
何だか、よくある絵本のテーマのようだ。
クリスマスに、天使だなんて。
いつもはロマンチックな事なんて全く無縁な俺だけど、たまには、こんな事もいいんじゃないか。
だって今日はクリスマス。
おかしな奇跡が起こったって、不思議じゃない。
笑って「これからよろしく」と雲った眼鏡を外したら、彼は「こちらこそ」と少し顔を赤くして、それこそ天使みたいに、微笑んだ。
◇◇◇おまけ◇◇◇
「そういえば、天使から人間になるのって、どうしたらいいの」
「あ、えーと、その」
「なに?そういえば、25日までに終わらせろってさっき一番偉いっぽい天使の人が言ってたよね」
「25日過ぎても天使のままでここに居たら、消えちまうから」
「そうなの?じゃぁ、急がないと」
「あの」
「うん」
「……その、人間と寝れば、天使じゃなくなるんだけど」
「………………?」
「オ、オレ、あの、初めてだから、その……」
「……寝るって、一緒に寝るだけの事とかじゃないよね」
「…………………」
「オ、オーケイ、わかった、ちょ、ちょっと、心の準備をさせてくれ」
……ジーザス、何てミラクルなクリスマスだ。
クリスマスに天使とベッドイン?天使に性別があるかは謎だけど、見かけは俺と同じ同性だ。勿論俺はゲイではない。
俺の願いを叶える為に覚悟を決めた彼を蔑ろにする訳にはいかない、もしかして、これは夢ではないんだろうか。
一つの毛布の中で、全身を桃色に染めて見上げる天使、無意識にごくんと喉が鳴る自分の身体にあれっ、と思う。
ドキドキとこちらまで聞こえる天使の鼓動、つられる様に大きくなる自分の心臓の音は、聞かない振り。
取り合えず、最近交際を申し込まれた女の子へは、断りの連絡を入れなければ。
そんな事を頭の隅で思いながら、目の前で小さく目を瞑る天使に、俺も覚悟を決めて目を瞑って、ゆっくりゆっくり唇を寄せた。