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「ルーイ!!」
 
だだだっと踵を返すルーイの後を追って、俺は鞄を脇に抱えたまま走り出す。
俺たちの周りをくるくると旋回した後に、そのまま遠くの山へ帰って行った蝙蝠たち。
その途端、顔を真っ青にしたルーイは「すまない」と俺に謝った後に、突然家に向かって走り出した。
 
「ルーイ、ちょっと、どうしたの?何かあった?」
「悪い、フェリシアーノ、行かなければ」
「行くって、ねぇ、ルーイってば」
 
がちゃん!と鍵を入れて力任せにドアノブを回して、ルーイはばたばたと家の中に入る。
尋常でなはい友人の様子に、俺も続けて玄関の扉を開けて、おじゃまします、と小さく言って靴を脱ぐ。
靴をそろえるのももどかしかったのか、いつも几帳面なルーイの学生靴は散らばってて、どうしたんだろう、一体、そう頭を回してたら
二階からがちゃがちゃがぁん!という、何かを引っくり返したような音が聞こえた。
ルーイ?
眉をしかめて、二階を見る。その後もがちゃがちゃと聞こえる物音。
ルーイの名前を呼んで、リビングを通って二階への階段を上がろうとした時に、私服に着替えたルーイが真っ青な顔のまんま降りてきた。
 
「ルー、」
「悪いが、家を空ける。無いとは思うが、父さんと母さんが帰ってきたら、出かけていると伝えてくれ」
「ルーイ、ちょっとってば!」
「話を聞いてくれて有難う、フェリシアーノ」
「落ち着いてよ、何があったの?」
 
黒いシャツに少し履き古したデニム、尻ポケットには皮で出来た分厚い財布。
鞄も携帯電話も何一つ持っていない状態で、ルーイは下駄箱から白いスニーカーを引っ張り出して、紐を結ぶのもどかしく、
苛々と靴ひもを引っ張って舌打ちする。
「ルーイ!」後ろから怒鳴って靴を奪い取ったら、彼は何を、と俺を睨んで、低く唸った。
 
「訳くらい説明してよ、何があったの?」
「・・・お前には、聞こえなかったのか?」
「何が?」
「蝙蝠の声だ」
 
…………………?
思わず、彼の言葉に眉間が硬くなる。
蝙蝠の・・・声?
ルーイに限って、ふざけている訳じゃない事くらいわかってる。でも、まさか。
 
「・・・聞こえなかったよ、俺には」
「・・・そうか、俺にだけか。俺は聞いたんだ、行かなければ」
「何て、聞こえたの」
「今夜『夜市』が開かれる」
 
静かに言うルーイの言葉に、さっと頭の血が下がる。
さっき、ルーイが思い出したという、ギルベルトが消えたという、夜市という、祭りの延長。
思い出したんだ。兄さんは、俺と一緒にそこへ行って、消えた。
何故消えたかは覚えていないと言う。
それでも、その『夜市』というものが彼の存在に大きく関与してる事は、ルーイの話を聞く限りは相違ない。
 
『入口で蝙蝠が言ったんだ』
『夜市へようこそ』
 
そして、今日、学校蝙蝠はこう言った。
 
『今宵、夜市が開かれる』
 
まさか、蝙蝠が喋るなんて。普通だったら、何言ってんのと、血相を変えたルーイを笑い飛ばす所だ。
でも、実際にギルベルトはここには居ない。何よりも、信じ難い事に、昔撮った写真の中からも彼の姿が消えている。
可笑しい事だが、現実だ。
一体何が起こってるんだろう、家から持ってきた、一人足りない写真は鞄の中に。
ぎゅっと鞄を無意識に握って黙ったら、ルーイは俺の手から自分のスニーカーを奪い取って、大きな足をそれに入れた。
 
「夜市というものがどんなものだったかは、覚えてないんだ。
 でも、あの蝙蝠たちが消えて行ったあの山は、昔兄さんと行った、あの場所だ。
 俺が今朝この存在を思い出したのも偶然とは思えない。兄さんとどういう関係があるのかもわからない、でも、行かなければ」
 
黙ってしまった俺の左頬に軽くキスをして、もう一度彼は俺に向かって「有難う」と言って、立ちあがる。
何の有難うなんだろう。話を聞いてくれて?それとも、今まで?
ギルベルトが消えたという『夜市』、ルーイはそれに、今から行こうとしてる。
そこがどんなものなのかも分からずに、ただ、彼の兄に関する何かが掴めればと、それだけの為に。
どうして彼は消えたんだろう。姿だけでなく、俺とルーイ以外の人たちの記憶からも、存在さえも。
そこに彼が居たという手掛かり、証拠を、一切何もかも、消し去って。
最愛の弟と、その友人である俺にだけ彼の記憶があるのも何か理由はあるんだろうか。
人一人が消える、実際、そんな事が。
実際今、起きている。
 
気がつけば、俺は携帯電話を取り出して、ぴぴぴとアドレスを開いて、自分の家に電話をかけていた。
電話に出たのは、自分に良く似た歳の近い兄。一人帰国した俺を心配して、たまに遊びに来てくれる、面倒見のいい兄だ。
にいちゃん?
わかってるけど、一応そう聞けば「おう、どーした」と返ってくる、当たり前の、いつもの返事が返ってきた。
この兄が、突然消えたらどうしよう。
覚えてるのは俺だけで、他の人は誰も彼の事を覚えていなくて、彼がそこに居たとする証が何一つ無い状態で、
兄ちゃんという存在だけが、この世から消えてしまったら。
きっと俺は探すんだろう。
誰も覚えてなくても、兄ちゃんはどっかに居る、俺の兄ちゃんは、どこかで俺を待ってる。それだけを思って、必死で。必死に。
携帯電話を持つ手が、軽く震えた。
どんな絶望感だっただろう。ルーイ、ルーイ。
大事な大事な家族が、自分の兄弟が突然消えて、誰に聞いても「覚えてない」。頼れるのは自分の記憶だけ。
年月が経つうちに、それすらも危うくなっていって。
自分の立場に置き替えて、背筋が冷えた。
きっと俺なら、耐えられない。
 
「兄ちゃん、俺今日、ルーイの家に泊まっていくから。試験近いからもしかしたら明日も泊まるかも」
 
電話の向こうで「なんだとこのやろ、おい、ちょっと待て!」怒鳴る兄ちゃんに「ちゃお」と答えて、ぱたんと携帯を閉じて、ルーイに笑う。
固まってこちらを見るルーイ、青い目は丸く、口は何かを言いたげに軽く開く。
鞄から、恐らく必要ではないであろう参考書や辞典を取り出して、軽くして。
ルーイの尻ポケットで窮屈そうにしてる財布も抜き取って、自分の鞄にぽとりと入れた。
 
「俺も、行くよ。ギルベルトの手掛かりがあるかも知れないなら」
 
ルーイだけじゃ危ないかも、なんて心配はしてないけど。むしろ、俺と一緒に居た方が道に迷ったりして危ないかもしれないけど。
傍に、居てあげたかった。
絶望の中でずっと闘ってた友人の、何かの支えになってあげたかった。
人一人の力は偉大だ。誰かが居ると思うだけで、持っている不安だって減ってくる。
何よりも、俺も、ギルベルトの事が気になった。
彼を心配してるのは、ルーイだけじゃないよ。
そう伝えて、彼の大きな手を握ったら、ルーイは少し黙った後に、ちょっとだけ声を震わせて「有難う」と小さく、呟いた。
 
 
 
 
夜市へようこそ。御兄弟。
 
入口の蝙蝠は、こう言ったという。
タクシーを飛ばして隣町の山へ向かう途中に、ルーイはゆっくりと話してくれた。
だんだんと、夕焼けは落ちて、数分の間にオレンジから濃いブルー、その後完全な暗闇へと空の色は変化する。
タクシーのメーターはどんどん上がる。
メーターの上がり具合と、でこぼこと舗装の無い道を見て、俺は少しだけ気になった。
彼とギルベルトが祭りに行ったのは、8年前。小学生だった彼らに、こんな道を抜ける事が出来たんだろうか?
車で送ってもらったの?そう聞いてみれば、彼も同じことを考えていたのか、「・・・歩いて行った筈なんだが・・・」。
結構、遠いな・・・。そう呟いて、それきり静かになってしまった。
ルーイの記憶は相変わらずあやふやだ。
自分自身でも苛ついているのかもしれない。後部座席から見えるルーイの顔はいつも以上に険しい。
 
入口だと下ろして貰った場所は、思っていたよりも栄えていた。
それでもこんな真夜中に、学生二人で。しかも、俺、制服のままだし。
少し不審そうに顔を顰めた運転手に「お祭りがあるんです」と伝えたら、運転手はますます顔を顰めて、ぶぅんとそのまま去って行った。
山の中は、当たり前だけど、真っ暗だった。
ルーイの言うとおりに『夜市』が祭りの延長にあるのならば、何かそれっぽいものがあってもいいものなのに、何も見えない。
彼はオレンジ色の提燈が沢山並んでいたと言っていた。
提燈どころか、人の気配も何もしない。
・・・本当に、ここであってるんだろうか、そう思っていたら、山の奥からばさばさと一匹の蝙蝠がやってきた。
握っていたルーイの拳が硬くなる。
 
ばさ、ばさ、ばさ、ばさ。
 
夕方に俺たちの上でしていたように、黒い蝙蝠は闇夜に溶けたままくるくるくるくる、旋回する。
そのままぴぅっと高く上がって、そのまま夜の空の中へ、すぅっと消えた。
なんだろう。そう思って、ぎゅっとルーイの顔を見たら、ルーイはこちらを見て、小さく言った。
 
「・・・今度は、聞こえたか?」
「・・・何?なにも」
「『夜市へようこそ』」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 
ざわっと背中が泡立つのを自覚しながら、落ち着け、と自分に言い聞かす。
ぎゅっと目を瞑って、深呼吸、その後にゆっくり目を開いたら、目の前は橙色の提燈の明かりの続く屋台が並ぶ道に変わっていた。
 
「・・・これは?」
「・・・わからない、だが、同じだ。俺が昔見た、兄さんと一緒に来た縁日、そのままだ」
 
突然視界に飛び込んでくるオレンジ色の光に、瞳孔が追いつかない。
ルーイも同じらしく、青い目を顰めてきょろきょろと辺りを見回してる。
明るい色の行燈、いつの間にこんなに人が。いや、俺たちがいつの間にかここへ迷い込んでしまったんだろうか。
一瞬のうちに、違う場所へ飛ばされたような感じだった。
ざわ、ざわざわ。小さい頃に来た事のある縁日、そのままの空間。
道なりに並ぶ屋台、浴衣を着て走り回る子供や、何かを焼いているような食べ物の匂い。
音楽こそないけど、人の雑踏だけで賑やかだ。可笑しいくらいに暖かい雰囲気、楽しげな空気に、逆に俺は怖くなる。
夢なんじゃないだろうか、これは。一体何なんだ。
瞬きをした一瞬の後に突然視界に広がった、夜の祭り。
着ている服はそのまま、隣のルーイも、一緒に居る。家から出た格好に変わりはない。
俺と同じように固まったままのルーイの手が、ぎゅぅっと俺の手を握り締める。
同じくらいの力で、握り返す。ああ、やっぱり、着いて来て良かった。
十分に現実離れした話ばかりだったけど、彼の言っている事は本当だった。
入り口で迎えてくれた喋る蝙蝠、突如として現れる縁日、消えた、彼の兄弟。
一体誰が、体験もせずにこんな事を信じるだろう。
足が、小さく震えた。ギルベルトが消えたという、夜の祭り。
 
恐らくこれが『夜市』だ。
 
「・・・昔見たものと、同じだ」
「・・・ギルベルトと行った、縁日?」
「俺たち以外の人間を見てくれ。皆、面をつけている」
「・・・・・・・・・・・・・」
「俺はあの面が欲しかったんだ」
 
ざわざわとしている、思い思いの行動を取る人達、ルーイの言うとおり、彼らは皆お面をつけている。
動物のものだったり、アニメのヒーローだったり、人気のある政治家のものだったり。
小さい子供も、大人も、皆。
気が付いて改めて祭り全体を見回せば、何とも気持ちの悪い光景だった。
 
「・・・行こう」
 
俺の手をぎゅっと握って、ルーイは小さく息を飲んで足を進める。
少しぬかるんだ足元、こっちの学校に編入する為に買った新品のローファーが泥に汚れる。
結構人は沢山歩いていて、どん、とぶつかる人に、俺はすみませんと頭を下げる。
すれ違う人は皆、表情の読み取れない、笑ったお面をつけていた。