「・・・ルーイ、変だよ、やっぱりこのお祭り」
「・・・そうだな」
「人間じゃない人が居る」
「ああ」
 
通行人は皆お面をかぶっていてわからない、だけど、店先に立ってる人は素顔のままだ。
素顔のまま、それは目が3つあったり、逆に一つしかなかったり、大きな耳が沢山ついていたり、動物の姿で二本足で立っていたり。
人間の姿じゃない。よく出来た被り物?否、人ではない者と思った方がいいだろう。
彼らは笑ったり怒ったりしながら、通行人に声をかける。
いらっしゃい。若返りの薬だよ。こちらは逆に歳を沢山とる薬。誰にもばれずに人を殺せる劇薬もあるよ。
薬屋だろうか。屋台でもあんなものを売るんだ。
人を殺せる劇薬って、そんな文句で謳う薬屋なんて初めてだ。
背中に汗が滲む。薬屋の顔は無い、首から上が無いのに、一体どうやって喋ってるんだろう。
握ってるルーイの手を更にきつく握る。橙色の堤燈の明かりの下でも、ルーイの顔は青く、強張ったままだった。
他にも自分の棺桶を売る死人、色とりどりの瓶の蓋を売る白髪のお爺さん、見れば、俺たちの学校の参考書まで売ってる店もある。
俺が知ってる縁日のように、金魚だとか、綿あめだとか、そういうものを置いている店もあった。
 
「お兄さん。りんごあめはどう」
「・・・ほんとにそれ、りんごなの?」
「当然だよ。イタリアのチロル地方から直参りんごだよ」
「・・・今の季節には、生らないよ」
「相当希少価値の高いりんごだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「三千万で売ろう、どうだい」
 
にこりと笑う一つ目のおじさん。
目だけが大きくて他のパーツが見えないくらいに小さいから、目を瞑るともう何がなんだかわからない。
提示された金額に「おもしろい」と冗談だと思って笑ったら、一つ目のおじさんは途端にむっと目を赤くさせて、
「冷やかしならあっちへ行きな」と舌打ちした。
 
「このリングについてる石は海の神ポセイドンの涙だよ」
「甘いキャンディ、舐めれば人の心が判るようになる」
「武器はどうですか。伝説の剣エクスカリバー、今はもう錆びて何も切れやしないけど」
 
提示される金額は何処も揃って桁違い、何よりも胡散臭い品物ばかりだ。
何なんだ、一体、表情の分からない通行人、人の形をしてない店主、売られている物も普通じゃない。
ギルベルトはこの夜市をきっかけに消えたと言っていた。
不気味な空気の流れるこの祭り、この中で彼が消えたのであれば。
誰にもばれずに人を殺せる劇薬もあるよ。
先ほど薬屋の店主が言っていたことを思い出して、一瞬最悪な事を考えて、それで慌てて頭を振った。
 
「・・・少し、思い出してきた」
 
俺は黙って彼を見上げる。
俺に合わせてゆっくりと歩いてくれるルーイ。
周りのおかしな屋台を見ながら、遠くを見た後に、俺に目を合わせて、すぐに外す。
屋台の続く道は、あちこち枝分かれしていて、遠く、ずっと遠くまで続いてる。
振り返っても同じ風景で、一体どれだけこの祭りは大きいんだろう。
その前に、この祭りに、出口はあるんだろうか。
思った時に、背中に冷たいものが走った。
 
「いくら歩いても祭りから出れなくて、何時間歩いても、朝は来なくて。
 腹が減って何か食べたいと、兄さんにぐずった。それでも兄さんが持ってる小遣いで買えるものなんて何一つなくて、
 そこで、俺たちは途方に暮れた」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「何でこんな所に来てしまったんだろう、泣き出してしまった俺に、兄さんは少し困って、それでも何もする事は出来ずに
 ただただ、この祭りの中を歩くしか出来なかった」
「・・・・・終わりがないの?」
 
怖くなった。
どきどきと心臓が跳ねて、鳴り出す。
落ち着け、でもルーイは帰ってきた。何処かにきっと出口があって、そこから彼は帰ってきたのかもしれない。
じゃあ、ギルベルトは?
ここから、帰ってきていない。だから、居なくなってしまったんだろうか。
 
黙ってしまった俺に、ルーイは「すまない」と頭を下げる。
いいよ、俺が来たいって言ったんだし、慌ててそう言って、笑おうとして、笑えなくて、それでも
「ルーイを一人で来させなくてよかった」と硬い声で伝えたら、ルーイは少しだけ表情を緩めて、額に出てる汗を拭った。
 
 
 
 
「・・・おや、お面をつけてない方が」
 
 
りん、と鈴の鳴るような声が聞こえた。
自分たちに話しかけられてるのかと思って、二人で後ろを振り向いたら、狐のお面を被った、和服の青年が立っていた。
黒地に赤の曼珠沙華。
着物と同じ色の真っ黒な髪の毛。明るい行燈の光に反射して、表面だけが鈍く光る。
笑ってる狐の面の所為で、表情がわからない。どんな顔をしているのかも。
この人は、人間だろうか。
ルーイと二人で固まっていたら、彼は狐の面を取って、俺たち二人に、にこりと笑った。
 
「危ないですよ。お面をつけていないと舐められて、誑かされてしまいますよ。
 特にそちらの貴方。そんなにびくびくしてたらいけません。夜市の客ではないとみなされてしまいます」
 
りん、りん、と響くような声だった。
お面を取った彼は青年というには少し幼く、顔は闇夜に浮かび上がるような白い色。
漆黒の髪の毛と同じ、吸い込まれるような、真っ黒な瞳が、にぃっと細く、三日月のようにゆっくり形を変えた。
唇は赤い。着物に縫われている不吉な不吉な、彼岸花のように。
白と、黒と、赤で出来た人だった。
 
 
 
 
「こ、こんばんは」
「おや、こんばんは。とてもいい夜ですね」
「貴方は」
「見ての通り、ここの客です。夜市は初めてですか?」
 
お面を後ろに付け直して笑う男。
ここに来て、ルーイ以外と初めて話せる人がいた事に少しだけ、ほっとした。
ここの客です。ここというのは、夜市の事だろう。
初めてですか?彼の問いに、ルーイは軽く口ごもって「恐らく、二回目だと思う」そう、静かに呟いた。
相変わらずルーイの握ってる手は、強い。
二回目、狐の男は少しだけ驚いた顔をして、黒い瞳を丸くした。
 
「では、ここでのルールは知っているでしょう。お面を付けないのは何か理由があるんですか?」
「いや・・・」
「つけた方がいいですよ。初心者だと思われますから」
「ルールって?」
「貴方は初めてですか」
「はい」
 
男は、ルーイから黒い瞳を外して俺を見る。東洋人の顔だ。遠く離れた、黄金の国。
一体ここは、何処なんだろう。人では無いものが存在してる時点で俺の知ってる世界ではないが、人種の違う人間まで。
彼は、何処から来たんだろう。
狐の男は黒地の着物の袖を口に当てて笑って、「そちらの金髪の方に連れてきてもらったのですか」と俺に向かって尋ねた。
 
「俺が着いてきたんです。探してる人が居て」
「人ですか?この、夜市の中に?」
「・・・わからないけど、ずっと前に、多分、ここではぐれたって」
 
ね、とルーイを見上げて同意を求めたら、彼も黙ったまま頷いて、その後狐の男にゆっくり尋ねた。
 
「・・・以前来た事はあると思うんだが、ほとんど覚えていないんだ。何か、俺の探してる人の事について知っている事があれば教えて欲しい」
「どなたをお探しですか?はぐれたのはいつ?」
「8年前、兄と」
「そうですか。無理ですね。恐らくもう、居ないでしょう」
 
即答。
りん、と鈴が転がるように狐の男は言った。
 
「夜市のルールは覚えていますか?ここでは取引をしなければ帰る事は出来ません。
 貴方はここに来るのは二回目だと言った。お兄さんとはぐれたのならば、お兄さんは取引をしていないのでしょう。
 夜市は商売をする所。私たちは客です。取引をしなければ、夜市に客ではないとみなされて、暗い闇に取り込まれます」
 
りんりん、りん、りん。鈴は鳴る。彼が喋る度に、りぃんと高く、音は鳴る。
ルーイの顔が、青くなったのが夜目にも分かった。
俺には、彼が何を話しているのか、いまいちよく分からない。
取引、商売、確かに、屋台の店主から見れば商売で、俺たちは客だろう。だけど、夜市に取り込まれる、とは。なんだろう。
狐の面の東洋人は続ける。尚も、涼しく鳴る鈴の声で、話を紡ぐ。
 
「取引をしたら、私達客は、元の世界に帰ります。帰っていないのでしょう?貴方のお兄さんは」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「8年間もうろうろしている客を、夜市は放ってはおきません。
 恐らく、もう『客』ではないとみなされて、とっくのとうにこの祭りの一部になっているでしょう」
「・・・夜市って、何?」
「夜市は生き物です。我々は夜市の中で、取引をする為の場を作られてる、ただそれだけです」
 
単純でしょう。ルールさえ守っていれば、何も怖い事はありません。
鈴は鳴る。
男は笑って、もう一度黒い瞳を三日月に細める。赤い唇が、なんだか、少し気味が悪い。
彼が後ろに廻している、狐のお面とそっくりだと思った。
 
夜市のルールは二つ。
彼は続ける。
面を被りなおして、狐の顔をして、高い高い音を鳴らす。
 
「ひとつ。ここで商売をしてる者と取引をする事。
 夜市は目的無くここに来る者を嫌います。取引とは商売。何か買い物をしなければここから出る事は出来ません」
「・・・特に欲しいものがなかったら?」
「取引をする意思無し、夜市の怒りを買って、永久にこの闇の中に閉じ込められます」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「本来ならば、本当に欲しいものが無い人間には見えない場所なのです。
 欲しいものは全て、夜市に出ている。だから客はここに来るんです」
「貴方も?」
「ええ。欲しい薬がありまして」
 
狐の面の下で、男が笑うのが分かった。
ルーイの表情は次第に曇り、形のいい額から汗が流れる。
かたかたと、握っている手が震え出したのが分かった。
 
「ふたつめ。決して嘘は言わないこと」
 
狐の男は人差し指と中指を立てて、お面の下から音を鳴らす。
人が喋る事に対して「鳴らす」という表現はおかしいだろうか。でも、そう聞こえるのだ。
狐の男の声は、さっきからリンリンと鈴が転がってるようにしか聞こえない。
 
「夜市の中で、嘘は言ってはなりません。宜しいですか。いつ、何時、どんな小さな嘘もいけません。
 夜市は詐欺を嫌います」
「・・・屋台の人、結構嘘っぽい事言ってたよ」
「本当の事でしょう、全て。でないと夜市からきついお仕置きがありますから」
「飲み込まれると、どうなるの」
「姿が無くなって、この中の一部になります。取り込んだ分だけ夜市は大きくなりますが、夜市はそれを望みません。
 我々がルールを守れば、何も怖い事はないんですよ」
 
震えていますね、大丈夫ですか?
かたかたと震えの止まらなくなったルーイに、狐の男は再度面を外して、語りかける。
 
残念ですが、お兄さんがまだお兄さんとしてここに居ると言う事は、恐らくありません。
暗闇に消えているか、亡くなっているか。
残念です。折角夜市に来たのに。
心底気の毒そうに男は言う。
といっても顔は見えないから、声色だけで判断するしかないのだけれど。
ルーイの手をぎゅっと握って、俺は狐の男に尋ねた。
 
「・・・ここには、望むものが全て、売っているんでしょう。俺たちの探してる人は売ってないの」
「基本的に、生きている人間は売っていません。だいたい、もともと客だった人間を売る所など・・・」
 
男の話が止まる。
何か考えている様な仕草をして、黙り込んだまま、お面の下に手を入れて、口もとを抑える。
そのまま視線は右下へ。
何秒か、それとも何分か。賑やかな雑踏が遠くで聞こえる空間で、男は思いついたように顔を上げた。
 
「・・・ありますね、一つの店だけ。夜市から特別に人身売買の許可を得て営業してる、なんとも心持ちの悪い、
 畜生の様な商売をしているお店が、ひとつだけ」
 
人身売買。
血の気が下がる。
途端に、ルーイが崩れるようにしゃがみ込んで、頭を押さえて、震え出した。
顔は真っ青だ。
かちかちと形のいい歯が震えてる。
ルーイ?慌てて俺も屈んで、彼と目線を合わせて、大丈夫、と震える背中をごしごし擦る。
冷たい背中、気温はそんなに寒くない。汗だ。びっしょりと湿った黒いTシャツ、夜風に冷えて、冷たくなってる。
 
おやおや、狐の面の男は、りん、りん、と音を鳴らして、少しだけ驚いて、俺と同じように大丈夫ですか?と尋ねた。
 
ルーイの震えは止まらない、かちかちと奥歯を噛むリズムが早くなる。
遠くで鳴る、太鼓の音。周りはこんなにも、暖かい縁日の雰囲気に包まれているのに。
冷えていく彼の背中が心配で、着ているブレザーを脱いで、ルーイの広い背中にかける。俺のサイズじゃあまり意味が無いけれど。
もう一度、大丈夫、しっかり、そうゆっくりと言ったら、ルーイは震える手で俺の手を握って、小さく小さく、声を出した。
びっしょりと湿った、大きな手。握り返す俺に、思い出した、と彼は言う。
 
思い出した。ここでのルール、取引、買い物をしなければ、教えてもらって走り回った後に会った、人身売買の男。
かちかちと奥歯を鳴らして地面に話す様に声を出すルーイ。
鈴の音。狐の男が声をかけた。
 
「何を思い出したんですか」
「8年前にあった事だ。何故、兄さんが消えたのか」
「何をしたんですか?8年前の貴方であれば、恐らくここで買い物できるほどのお金は持っていなかったでしょう。
 貴方は何を、夜市で取引したのですか」
「兄だ」
「おや」
「兄を、兄さんを、俺は取引した。思い出した、フェリシアーノ、俺は、」
 
ルーイ?
 
切れ長の、青い瞳からぼろっと涙がこぼれる。
何度目だろう、彼の涙を見たのは。
壊れたように、決壊したダムのように、彼の右目から涙が落ちる。
ぼろぼろ、ぼろぼろ、ぬかるんだ地面に落ちて、吸い込まれる。
りんりん、りぃん、と鈴の音が聞こえた。狐の男は笑ってた。
 
「まさか、初めてお会いしました。あの人身売買の男と取引をする人間を」
「・・・ルーイ?ルーイ、まさか」
「買い物をしなければ、それでも、買い物をする金が無かった。どうしたら、途方に暮れていた時に、会ったんだ」
「ルーイ」
 
震える腕。
まさか、声が震える。
消えた記憶、居なくなった彼、人身売買、しなくてはならない取引。
一人だけ、この世界から戻ってきたルートヴィヒ。
まさか。ルーイ。まさか。
 
 
「8年前、俺は、兄さんを売ったんだ」
 
 
耐え切れずに響くルーイの嗚咽、りぃん、りぃん、と楽しそうに転がる鈴の音。遠くから聞こえる太鼓とお囃子の音色。
何が一体現実なのかわからないまま、俺はしばらくそのままで、呆然とルーイの手を握ってた。