「兄さん!」
 
彼がたどり着いたのは、一つの古い檻。他の人間が三人、四人、とまとめて入れられている中で、ここの檻だけは、子供一人が入れられている。
真っ白な肌に、銀色の髪を持った、小さな子供。
ルーイががしゃがしゃと檻を揺らすものだから、中で寝ていた子供は吃驚して起き上がって、大きな瞳をゆっくり開けた。
瞳の色は、赤。血に濡れた様な不吉な赤。
充血したウサギのようなその目は、恐ろしく輝いていて、子供ながらに爛々と暗い中で光っていた。
 
兄さん、ルーイは尚も続ける。
 
「兄さん、ギルベルト兄さん!俺だ、ルートヴィヒだ、迎えに来たんだ、貴方を」
「ルーイ、その子はギルベルトじゃ、」
「兄さん!」
 
中に居るのは、ギルベルトじゃない。
あれから8年も経っているんだ、彼は子供ではないし、こんな白髪に近い銀色の髪もしてないし、赤い瞳も持っていない。
子供はじゃらりと太く重たい鎖を鳴らして身体を起こして、俺とルーイの顔を交互に見ながら、不審そうに眉を寄せる。
怯えている気配はないけど、真っ赤な目には不審という名の二つの文字。
がしゃがしゃと鉄の檻を掴んで、兄さん、と叫び続けるルーイの身体を引き止めて、落ち着いてよ、何が何だかわからないまま、声を荒げる。
ついに、彼はおかしくなってしまった。大きな身体を引きとめながら、俺は思った。
尋常でない彼の様子に、中に居る子供も身を硬くして、威嚇するように牙を剥く。
兄さん!それでも彼は、檻を叩いて手を伸ばそうとするのを、止めなかった。
 
「兄さん、ごめんなさい、俺は、貴方を」
「ルーイ、ルーイ、落ち着いてよ、この子は違う・・・」
「離してくれ!」
「ルーイってば!」
「よく分かったね。流石、兄弟だね」
 
楽しそうに笑う声が聞こえた。
俺の後ろから、子供が笑うみたいに、高い高い声が聞こえた。
 
人買いは笑う。
狭い部屋に反響する声に、俺とルーイの動きもぴたりと止まった。
流石兄弟だね。
発せられた声に、まさかと思考が一瞬止まる。
 
「まさか」
「8年前に、君が僕に売ったお兄さんだよ。見栄えをよくする為に成長を止めちゃったんだけど、ついでに外見もこんなに変わっちゃって」
「・・・ギルベルト?まさか、一体、何を」
 
この、檻の中に居る子供が?
不吉な程に光る赤い瞳を爛々とさせて、がりがりに痩せてしまった、動物の様な、小さな子供。
嘘だ、そう思って檻の中に居る子供と目を合わせたら、子供は敵対心を剥き出しにして俺の事を強く睨んだ。
 
「・・・何をしたんだ」
「何も。ただ、ちょっと遊んであげたら、一気にこんなになっちゃったんだよね。
 白髪みたいでしょ、瞳も赤くて気持ち悪いし、こんなんじゃ売り物にならなくて。だから、ずっと売れ残ってたんだけど」
 
笑いながら、人買いの男は続ける。
 
「喉もね、潰しちゃったんだ。煩いから。でもちょっとは出るよ。大きな声は出ないけど。
 あと、ああ、そうだ、足も、走れないように健を切ってあるから。
 結構乱暴なんだよねぇ、使用人としても使えないし、どうしようかなと思ってたんだ」
 
いくらで買ってくれる?
楽しそうに言う男に、ルーイの、鉄格子を掴む腕がぶるぶると震えた。
俺は、まだ、この中に居る子供がギルベルトだとは思えない。面影は、有る気はする、でも。
子供は銀色の眉を寄せたまま俺とルーイを交互に見詰めて、事の成り行きを見守ってる。
ルーイに対して、特に反応もなく。本当に、彼はギルベルトなんだろうか。第一、人の成長を止めるなんて。
思ったけれども、ここに来てから嫌と言うほど現実には考えられないような事が続いた事を思い出して、中の子供と目を合わせた。
充血した真っ赤な瞳。黒目の部分がこんなにも赤い人間は、生まれて初めて見た。
ルビーの様にキラキラしていたけど、怖かった。
ギルベルト?名前を呼んだら、ぴくりと形の良い耳が動くのが見えた。
 
檻の中の子供は、しぱりと銀色の睫毛を瞬かせた後に、ごそりと自分の胸元のボタンを外す。
太い鎖のついた首輪の下で光る、鈍い色を放つ、見覚えの有るネックレス。
きらりと光るそれに、思わず「あっ」と声を上げて、鉄格子の外から名前を呼んだ。
 
「ギルベルト!」
 
ルーイが振り向く。俺は、泣きそうになって、ルーイに叫ぶ。
 
「ギルベルト、本当に、ギルベルトだ。ほら、これ」
 
子供が首に掛けてるのは、もう酸化して黒くはなっているけれども、俺とルーイとお揃いの、鉄十字のネックレス。
彼ら兄弟が一緒のものをしてるのを見て、俺も欲しいと強請ったものだ。
無骨な鉄細工のそれは、彼らのお父さんの手作りのもので、同じものは二つとない。
自分も、制服のシャツのボタンを外して同じものを取り出して見せたら、子供の真っ赤な瞳が、大きく開いた。
フェリシアーノ、小さな唇がゆっくり動く。声は聞こえない、唇が、そう動くだけだ。
 
「ギルベルト、俺だよ、ルーイも来てるよ。迎えに来たんだ、もう、大丈夫だよ」
 
鉄格子から手を伸ばして小さな手を握ったら、中に居るギルベルトは、少し困惑したような顔をして、小さく口を動かした。
何て言ってるのかはわからない、人買いの男は、彼の声帯を潰したと言っていた。
それでも、小さく、蚊の鳴くような、ひゅぅひゅぅという風を切る音は聞こえる。
ギルベルト。名前を呼んでも、彼はぱくぱくと口を動かすだけ。
 
「僕もね、仕事だし商売だから、『買い物』はしてもらいたいんだ。もう売れ残ってる子だし、安くていいよ」
「・・・あの時、お前があんな取引を持ち掛けてこなければ」
「こなければ?きっと、二人して消えてたよ。折角外に出れたのに、また自分から来るなんて。
 ああ、でも、この子供を『買い物』すれば、君は出られるね。お兄さんと一緒に」
 
君は出られるね。
 
『君は』と、にこりと笑う男の言葉に、びくりと背筋が凍った。
夜市では、何か『買い物』をしなくてはならない。
記憶の戻ったルーイは、きっとこの後、ギルベルトだと信じてるこの子供を『買い物』して、この夜市を出るのだろう。
じゃぁ、俺は?
俺は一体、何を『買い物』すればいいんだろう。
お金なんて持ってきてない。第一、ルーイだって、この人買いから子供を買うお金なんて持ってきているんだろうか。
迂闊だった、考えてなかった。
俺も、夜市の客だ。俺も何か取引をしなければ、ここからは出られない。
背中にうっすらと汗が滲んだ。
鉄格子を握っている手を解いて、ルーイ、と彼の服を引っ張って、腕を握る。
ルーイは俺の方を見る事なく、デニムの後ろのポケットに突っ込んである財布を取り出して、そのまま人買いに放り投げた。
 
「・・・だめだよ、全然だめ。これで、人一人買えると思ってるの」
「貯金がある」
「今じゃなきゃ駄目だよ。君たちの居る世界って、きっと僕らの世界の通貨よりも価値が低いんだね。
 残念だけど、諦めてくれるかな」
 
悪びれた様子もなくにこにこ笑いながら、黒い財布を差し出す人買いの男。
ルーイはそれを受け取らず、眉を顰めて小さく唸る。
 
「・・・頼む、金で済む問題ならば、どんな手段を使っても支払いはする。
 ようやく、兄さんを見つけたんだ、このままでは帰れない」
「お金作ってからまた来てよ。もうその頃には売れちゃってるかもしれないけど」
「頼む」
「無理。取引には応じられない、だって、対価が見合わないもの」
 
表情を変えずに話す男に、ルーイの顔が暗く曇る。
このまま、人買いをどうにかして、中に居るギルベルトを攫って逃げようか。
そんな考えも浮かんだけど、逃げる所なんて何処にも無い。
夜市で嘘や詐欺は許されない、ここは、閉ざされた空間だ。
恐らく、中に居るギルベルトだって、色んな方法を試しただろう。
幼いころからプライドの高かった彼が、こんな状況で何もせずに甘んじていると言う事は、信じ難かった。
大丈夫だよ。ルーイがきっと何とかしてくれるから。
頑張って笑って、暗くて狭い部屋の中、鉄格子から伸びる小さな手を握って、呟く。
それは、この小さな子供に、と言うよりも、自分に言い聞かせた言葉だったのかも知れない。
ルーイは、そんな俺たちのやりとりを見てから、もう一度人買いに向かって「頼む」と金色の頭を下げた。
 
「うーん、僕も、別に売ってもいいんだけど、これじゃねえ。ごめんね。無理」
 
取り付く島もない。
他の店で買い物をして、一度出るか。それでお金を用意して、また。
・・・駄目だ、次、またいつ来れるかもわからない、それに、今この状態で、ルーイが引き下がるとは思えない。
何か方法はないのかな、ギルベルトの手を握りながら頭をぐるぐると廻していたら、ギルベルトの小さな頭がふるふると横に震えた。
ギルベルト。小さな手で腕を握り締められながら、昔の事を思い出す。
俺の記憶の中のギルベルトよりも、少しだけ成長はしてるけど。
ルーイと二人で頼りっぱなしだった幼い頃の彼は、こんなにも、小さかったんだ。
いつも頭を撫でてくれた大きな手、口を開けば勝気な事しか言わなかった、自信に満ちた広い背中。
こんな姿で、彼は、8年前に、弟を守ったんだ。
自分が身代わりになる事で、8年間も、こんな場所に。
大丈夫だよ、一緒に帰ろう。そう、小さな声で言ったら、それでも彼は首を振った。
 
「・・・お前を連れてきて良かった、フェリシアーノ」
 
しん、と静まった真っ暗な部屋の中で、ルーイの声が響く。
・・・ルーイ?名前を呼び返したら、ギルベルトの腕を握っている手を取られて、そのまま、ぐっと握られた。
 
「・・・俺は、今まで、ずっとずっと兄さんを探して来たんだ。兄さんの為ならどんな犠牲も、そう、ずっと思って、生きてきた」
「ルーイ」
「ここに来て、記憶が蘇った時に決めたんだ。必ず、彼を連れて帰る。巻き込んですまない、でも、俺は」
「・・・・・・・・・・・・・・ルーイ?」
 
ルーイは、俺の手を掴んで、人買いに向き直る。
強く握られた左腕、そのまま彼は、俺の手を人買いの男に差し出した。
 
「健康な、若い男と引き換えだ」
 
血の気が下がった。
うそ。
一気に瞳孔が開いて、心臓がばくんと音を立てる。
前が見れない、ざぁっと引く血の音を聞きながら、ルーイの続ける言葉を聞く。
 
「もう、売れないのだろう、兄さんは。だったら、少しでも売れる人間と引き換えの方が、お前にとってもいいんじゃないか。
 身体は健康だし、丈夫だ。使用人としても働けるし、ドナーにもなれる」
 
畳み掛けるように冷静に話すルーイに、どんどんと心臓の音が煩くなる、どんどん、ばくばく、ばくばく。
ルーイ、ルーイ。うそでしょ、まさか、
がしゃん!と、内側から、ギルベルトが鉄格子を掴んで、揺らして暴れ出した。
掠れた声、上手に発生が出来ない壊れた声帯で、彼は意味の持たない言葉を叫ぶ。
きぃきぃ、蝙蝠が、何か悲鳴をあげているようだった。
 
「ルーイ、ルーイ、そんな、いやだ、いやだよ、俺、」
「すまない、本当に。でも、俺は、今まで兄さんだけの為に生きてきたんだ」
「ルーイ!」
「頼む」
 
頭を下げて、ルーイは人買いに向き直る。
白い男は、面白くて仕方がないとでもいうように、子供みたいな高い声を上げて大きく笑った。
 
「いいね、面白い!それならいいよ、どうせもう飽きてたんだ、ギルベルトには。
 昔に兄弟を売ってこの夜市を出た君は、今度は友人を売ってここから出るんだ。ああ可笑しい。
 憎たらしい、でも、嫌いじゃないよ。
 その子と引き換えに、ギルベルトくんを売ってあげる。それで、この取引は成立だ」
 
どくん、どくん、心臓の音は外に聞こえてるんじゃないかと思うくらいに大きくなる。
隣の檻では、相変わらずギルベルトががしゃがしゃと鉄格子を叩いて、何かを叫んでいる。
怖い、怖い。俺も、この中に入るのか、一体、いつどんな人に買われるのかわからないまま、真っ暗な時間を生きるのか。
ルーイの、ふざけている訳ではない、本気の瞳に、足ががくがくと奮えた。
8年前に、ギルベルトも、こんな気持ちだったんだろうか。ルーイを守る為に、彼を、ここから出す為に。
何処までもどこまでも続く闇、幼い彼は喉を潰されても、足の腱を切られても。こんな場所で。何年も。
心臓が潰されそうになった。
彼を救いたい、そう思って、必死に顔を作って、ルーイの腕をぎゅっと握った。
 
「・・・す、すぐに、迎えに来てね、お金を貯めて、『買い物』に来てね。待ってるから」
 
俺も、ギルベルトを助けたい。ルーイと彼が一緒に笑ってる所を見るのが好きだった。
無理やり口角を上げて、震える声で、ルーイに伝えた。
大丈夫だ、頑張れ。自分を叱咤して、人買いの男にも笑いかける。
檻に入れられてるギルベルトは、しきりに同じ言葉を繰り返して、ひどい悲鳴を上げて、檻を壊さんばかりに、何度も叩く。
 
「・・・巻き込んで、すまない。お前が居てくれて、本当によかった」
「・・・だ、大丈夫。ギルベルトを助けに来たんだ、俺だって」
 
ぐ、とお互いに手を握って、二人とも震える声で静かに話す。
にこにこと、こちらに向かってくる人買いの男に背中を向けて、ルーイは、俺の肩を掴んで、「兄さんを頼む」と一言言った。
え、と、頭一つ大きなルーイの顔を見上げる。
彼は、先ほどと変わらない表情で俺を見て、その後、ゆっくりと俺の頭にキスをした。
 
「お前が、俺を売ってくれ。その金で、どうか兄さんを」
「ル・・・」
「兄さん」
 
ルーイは、俺の隣にいる、檻の中のギルベルトに向かって手を伸ばす。
かろうじて腕一本入るくらいの隙間から手を差し伸べたら、ギルベルトは真っ赤な瞳を吊り上げて、ばしばしとその手を何度も叩いた。
 
「8年前、貴方は、自分を身代わりにして、俺を守ってくれた。ギルベルト兄さん、今度は、俺が」
「・・・・・・・・・・・・・、・・・・・・・」
「貴方が居ない世界は、とても曇っていたんだ。
 折角守ってくれたのに、俺には後悔しか残っていなくて、何故、あそこで貴方を売るという決断をしてしまったのか、
 どうして、頷いてしまったのか。自分を恨む代わりに、兄さんを恨んだ事もあった。本当に、辛い日々だった。
 兄さん、よかった、見つけることが出来て、本当に」
 
ルーイの青い瞳から、涙が流れる。
嬉しそうに話すルーイは、流れる涙を拭う事無く、ギルベルトの小さな手をぎゅぅっと握る。
正しい発声をする事のできないギルベルトの声は、何を言ってるのかはわからない。掠れた高い声で、何度も何度も、叫んで、ルーイの腕を殴る。
ルーイは同じように何度も「ごめんなさい」と「ありがとう」を言って、幼い姿の、自分の兄に頭を下げた。
どうして、何で、こんな事に。
膝が震えてして、立っていられない。
彼が望んでいるのは、自分が、ギルベルトの代わりに『商品』となる事だ。
俺はギルベルトを買って、『取引』をして、外に出る。
俺に、ルーイを売れと、言っているのだ。
無理だ。そんな事、出来る筈が無い。
 
「どうする?僕はどっちでもいいよ、二人ともとても一緒に遊んで楽しそう。
 きっとすぐに売れるから、心配ないよ。さあ。どっちが僕の店に来てくれるの?」
 
かつりと白い男の履いてるヒールが、狭い部屋に響いた。
先程から他の『商品』となっている人間達は、静かに俺たちを見つめている。
この、畜生の様に扱われている人間達の中に、ルーイを放り込めと言うのか。
俺の口から?冗談じゃない、そんな事出来る訳、ないじゃないか!
 
「フェリシアーノ」
「い、いやだ、やだ、やだよ」
「頷くだけだ、俺を売るかと聞かれた時に、ただ、頷くだけでいい」
「いやだ、」
「お前が俺を売ってくれなければ、兄さんを助けられないんだ」
「いやだ!!」
 
いやだ、いやだ。自分勝手じゃないか、だって、ルーイはギルベルトを売って、後悔しか残らなかったって、言ってたじゃないか。
あそこで頷かなければって、何度も何度も、言ってたじゃないか。
どうして、それを俺にさせるの。だったら、俺が、俺が。
そうだよ、怖いけど、兄弟二人で暮らしたほうがよっぽどいい、俺にはできない、だったら、俺が残る。
そう、泣きながら伝えたら、ルーイは笑って「有難う」と俺の頭を撫でてくれた。
 
「最後のお願いだ、フェリシアーノ。
 俺は、一度彼を置いてここを去った自分を許せないんだ。もう、あんな思いはしたくない」
「俺にそんな思いをさせないでよ、ひどいよ、無理だ、できないよ」
「俺はひどい男なんだ。大丈夫だ、俺を売って、ここから出れば、記憶は綺麗に無くなる。
 次の日に、兄さんを忘れてしまった両親のように」
「いやだ」
「フェリシアーノ」
「いやだ!!!」
 
きぃん、と自分の声が頭に響く。
残酷だ。こんな事の為に、俺は彼に着いて来た訳じゃない。
忘れたくなんてない、だったら、罪の意識に苛まれて過ごす方がよっぽどましだ。
彼をこんな空間に残して帰るよりも、俺がここに残る方が、数倍ましだ。
置いていかれる辛さと置いていく辛さ、俺は、前者を選びたい。
嫌だと何度も首を振っても、ルーイの答えは変わらない。
ぼろぼろと涙をこぼして名前を呼んだら、彼はもう一度、「兄さんを頼む」と小さく笑った。
 
 
 
 
「名前は?」
「・・・フェリシアーノ・ヴァルガス」
「いい名前だね。ではフェリシアーノ、君は、友人であるルートヴィヒを、人買いである僕に売る。
 金額は、ギルベルトという僕の商品を買える分だけ。この契約に意義は無いかな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「どうかな。君の同意が無いとルートヴィヒ君を買えないんだけど」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 
いやだ。いやだ。無理だ、むりだ。
他にも、何か無いんだろうか、これしか方法は無いのだろうか、頭がぐるぐると廻る。
檻に入ったギルベルトはしきりに頭を横に振って、今はもう騒ぐ事は止めて、必死に俺とルーイに向かって、
赤い瞳に涙を滲ませながら、何かを説得したがってる。
ルーイは覚悟を決めてる。
顔は、何だか、嬉しそうだ。幼い頃守ってもらった兄に、自分の身で今度は彼を救うことが嬉しいとでもいうように。
深海の様な色の瞳と目を合わせたら、彼は黙って頷いた。
 
「もう一度聞くね。フェリシアーノ。君は、君の意思で、友人のルートヴィヒを売って、ギルベルトを買う。
 この取引に意義は無いか」
 
「・・・・・・はい」
 
涙を落として頷いたと同時に、隣にいたルーイは「有難う」と俺の手を握って、静かに静かに、頭を下げた。
これで、良かったんだ。これで、これで。
ルーイが望んだことなら、俺はそれを曲げる事は出来ない。
8年前の決断の後悔が、これできっと報われた。
檻の中のギルベルトは、そんなルーイの姿を見て、真っ赤な瞳からぼろぼろと涙を流して、何度も何度も、檻の格子を叩いて、泣いた。
 
契約完了。
 
男が笑うと同時に、ルーイの身体は白くなる。
指先がどんどんと冷たくなって、作りものの様に固まっていく。
申し訳なさそうに笑い掛ける彼に、俺はそれ以上は泣かなかった。
ただただ、満足そうに瞳を瞑って笑う彼の、冷たくなっていく指先を、最後までぎゅっと握ってた。